群青アラベスク
宗太郎の通う習練場では、指導する者同士の仕合を生徒たちに見せる機会がある。目で見て盗め、というものだが、そう簡単に盗めるような異能も体術も宗太郎たちは持ち合わせていない。二限目の授業で、中央に円陣の描かれた結界内、宗太郎と卓は仕合うことになった。師範第一の甲同士の仕合だ。自然、見守る生徒たちは真剣になり、固唾を呑む。円陣に結界が張ってあるとは言え、万一の場合の時の為、宗太郎たちは観客である生徒たちに、個々の結界で防御することを忘れないよう注意喚起した。
宗太郎も、卓も、白い中華衣装にも似た服を着ている。
「始め!」
審判役の師範が声を発し、その途端、空気の色が変わる。
赤から青へ。ゆらりゆらりと波のように。
「群青かすがい」
宗太郎の言葉と共に、波が卓を絡め取ろうとする。それは敏捷な速さで、波のイメージにそぐわない。あえて挙げるなら津波の脅威だ。卓が後ろに素早く退く。普段のふざけた言動からは程遠い野生じみた動きだ。二本指を立てる。
「緊縛」
銀色の糸が、いつの間にか円陣内に張り巡らされていた。宗太郎の身体にも絡みつき、締め上げる。つう、と宗太郎はその銀糸を撫でる。緊縛が解ける。そのまま、拳を卓に繰り出す。卓は足を蹴り上げる。双方、届かない。宗太郎が卓の背後を取り、手刀を仕掛ける。卓の頬が切れた。
「籠遊び」
銀糸がふうわりと円陣内で丸くなる。卓は余程のことがなければこれを仕掛けない。毒が銀糸内に発生するからだ。しかし、相手は宗太郎。加減は要らない。そのことを証明するように、宗太郎が動いた。〝毒を中和している〟。
「群青アラベスク」
円陣内で繰り広げられている戦闘とはまるでかけ離れた装飾的な音楽が流れる。これは相手の脳内に入り込み、極まれば発狂させる。卓がその前に動いて飛び蹴りを放つ。辛くも宗太郎はこれを避ける。卓の体術のスペックは、宗太郎に勝るとも劣らない。だが、その卓の顔が苦悶に歪んでいる。アラベスクが効いているのだ。
「……銀状讃歌」
苦しい息から卓が唱える。
途端、床から銀の刃がついた槍が無数に突き出す。宗太郎でもなければ串刺しになるところだ。
審判はここまでだ、と判断した。これ以上は命に関わる。
「やめ!」
銀と群青が消える。一瞬遅れて、生徒たちから歓声が上がった。中には、どちらが勝つかで賭けていた者もいるらしい。勝負がつかなかったことを頻りに口惜しがっている。しかし皆、卓と宗太郎の異能の腕前を純粋に賞賛していた。いつかは自分たちも、という期待と希望がある。
「おい、宗太郎。ちょっと荒っぽかったんじゃないか?」
シャワーを浴びた後、普段着の単衣と袴に着替えながら、卓が言う。宗太郎は既に着替え終わり、肩を竦めた。
「卓相手なら、多少の荒っぽさも大丈夫だろう。元より、あの授業は生徒たちに実戦を見せるのが趣旨だ」
「まあ、そうだけどなあ」
「大目黒千鶴は変装の名人らしい」
「……どこからの情報だ」
「鏡花が仕入れて来た」
卓が額に手を当てる。
「全く、鏡花ちゃんは……」
「美術専門学校にいたらしい。そのへんを洗ってくれ」
「解った」
鏡花はにこにこ、ルンルン気分でいた。何と言っても、今日はグラタン。それもおとよがホワイトソースから手作りした本格派で、その味と言ったら、下手なレストランで出されたものより、ずっと美味なのだ。
「グラタン、グラタン、おとよさんのグラタン」
「好きな」
「大好き!」
満面の笑顔に、宗太郎の心がぐらりと傾ぐ。鏡花をして「大好き」と言わしめるのは、おとよの料理とおとよ自身くらいだ。
虫のすだく音が大きくなった。今日は涼しく過ごしやすい一日で、鏡花は煎餅を齧りながら漫画を読んだりして過ごしていた。そして今、目の前にはほかほかと湯気を上げるグラタンがある。キャベツととうもろこしのサラダも一緒だ。このグラタン、表面にどっさり蕩けるチーズがかかっており、その焦げ目がまた心惹かれる。ザクッと匙を差し込めば、マカロニ、海老、鶏肉、マッシュルームが顔を覗かせる。海老の歯応え、鶏肉の汁混じりの身の食感、マッシュルームのこりゅこりゅした歯触り、そして舌を落ち着かせるマカロニ。全てが満点である。鏡花は火傷しないように具を口に運びながら、一緒に運ばれて来た冷えた清水も飲んだ。
「……ああああ、おとよさん、万歳!」
ついに鏡花が賛美の雄叫びを上げた。そして恐るべきことに、もうグラタン皿は空になっている。どんなスピードで食べているのだ。
「宗太郎、お代わり!」
「はいはい。ああ、そう言えば今日、卓と仕合ったぞ。模擬戦」
「そうか。どちらが勝った?」
「引き分け」
「そうだろうな。宗太郎もそうだが、卓相手となると、私でも骨が折れる」
骨が折れる、つまり勝てないこともない。鏡花はそう言っている。自分も同じポジションなのだろうかと、宗太郎は複雑な気持ちでグラタンのお代わりをしに台所に向かった。廊下の張り出し窓に飾られていた秋明菊が硝子瓶の透明を透かして、骨のような影絵を下に滲ませている。鏡花を守る為には、もっと群青の技一連を磨かねばならないと思った。




