アルセーヌ・ルパンみたい
鏡花は着物を汚さないよう、先ほど買ったフランクフルトをもぐもぐ食べていた。空は昨日、泣いたのが嘘のように晴れ渡っている。星の装飾が夜を彩る。か弱い女性が一人、夜に歩くべきではない裏道だ。鏡花をじろじろと値踏みするよう見る人、人外。鏡花は臆した様子もなく、その内の一人にすたすた近づいた。ぽん、と紫の絹の小袋を放る。相手はしっかり受け留めた。
「大目黒千里。もしくは大目黒千鶴の情報が欲しい」
袋の中を確認した、一つ目の妖怪が、その大きな眼でぎょろりと鏡花を見た。
「大目黒? ……百花の乱か。お嬢ちゃん、そんなこと知ってどうするんだい?」
「情報を欲しているのは私だ。そしてお前は対価を受け取った」
「ほお。大層な啖呵だな」
「知らずに対価だけ取るのであれば、お前の命はないと思え。剣召しませ」
鏡花の右手から日本刀が生じ、銀の怜悧を紫紺の夜に煌めかせた。妖怪が慌てる。
「待ちな待ちな。ちぇっ、せっかちだな。別嬪さんが短気じゃ勿体ないぜ? 誰も知らないとは言ってないだろうが。大目黒千里のほうは判らねえが、千鶴のほうなら少しばかり情報がある」
「申せ」
鏡花と一つ目の妖怪を、たむろするごろつきたちが、物見高そうに見ている。鏡花は刀の切っ先を下げた。
「何でも奴さん、変装の名人だとよ。アルセーヌ・ルパンみたいだろう。美術専門学校で磨いた腕らしい」
「……他には何か知らないか」
「いんや。悪いけど、俺が知るのはこのくらいだ。時にお嬢ちゃん」
「何だ」
「口元にマスタードがついてるぜ」
腹が満たされない鏡花は、深夜でも営業している蕎麦屋に入った。十割蕎麦を謳い文句にしている店で、多少、値が張るが、出てくるものはどれも絶品だ。ぼんぼりのように丸い照明の下、カウンター席に腰掛ける。
「大将、サラダ蕎麦と蕎麦湯、塩お握りをくれ」
「はいよ!」
しばらくして出されたサラダ蕎麦には、汁がない。どんぶりの底のほうに胡麻味噌風味のどろりとした味わいが溜まっていて、掻き混ぜながら食べる。具は海老、蕎麦がき、かいわれ大根、南瓜、人参などの天婦羅だ。これが実に美味で、特に蕎麦がきの天婦羅は、鏡花の気に入りだ。黙々と食べる。蕎麦湯を箸休めに飲むと、温かく、ほっとする。冷めない内にと塩お握りにかぶりつく。かっ、と目を瞠った。
――――美味い。
極上の米と塩が使われていると、一口で判る。大将の拘りよ、と思いながら蕎麦も食べ進める。蕎麦に乗った天婦羅は、どれもが素材の味を引き出されている。特に海老天は、そこらの安物と違い、しっかりした歯応えの上物だ。蕎麦一杯で三千円近くするのは高いと言えようが、この内容であれば寧ろ納得だ。鏡花はサラダ蕎麦を皿を舐めんばかりに食べ尽くし、蕎麦湯も空にした。塩お握りは、とうに消えて鏡花の腹の中だ。
横に男が座る。鏡花は驚かない。ごく自然に、その存在を受け容れる。
「大将、ざる蕎麦一つ。蕎麦湯も」
「へい!」
「よく私の贔屓の店を知っていたな」
「何年の付き合いだと思ってるんだよ」
宗太郎が、澄ました顔で蕎麦茶を飲む。
「構わないが、ここ、高いぞ」
「え」
品書きを見て、宗太郎の顔色が変わる。
「それを先に言えよ……」
「宮仕えだろう。情けないことを言うな」
九曜家の子息たるもの、金銭的に苦慮しているとも思えない。
「将来に向けて貯金してるんだよ」
「地道なのか、ケチなのか」
宗太郎の前にざる蕎麦が置かれる。へい、お待ち! との店主の声も勇ましい。
「大目黒の親子について、何か判ったのか?」
「……千鶴は変装の名人だと」
「まるでアルセーヌ・ルパンだな。盗むお宝は何なのか」
くすり、と鏡花が笑いを零す。皆が同じことを言う。
ズルズル、と蕎麦を啜る宗太郎を横目で見遣る。
「なぜついて来た」
「美味いな、ここ」
「宗太郎」
声を尖らせる鏡花に、宗太郎は蕎麦湯を飲んで平然としている。
「お前を守る為だよ」




