王妃
ジオルドとレティエルが合流した頃になります。
クレッゼル・シェーンベルグフ‥‥元第一王子殿下の側近候補で攻略対象だった人です。
「王妃様、お迎えに上がりました。ここは危険だと伺っております。我等が主君であらせられるクリスフォード様の元にお連れいたします」
夜も更けた頃、王妃の寝室に忍び込んだ若者が無礼を働いた詫びと臣下の礼を取り身に迫った危険を回避するため助けに来たと白状した。
彼の手には王弟であるジオルドの紋章の入った封書。読めばよいのか。
文に書かれた言葉『気掛かりは御身の安全‥‥‥‥』に心が揺れた。喜ばしい一報ではあるが胸のどこかで疑いもある。書き手は彼か?
だが、それよりもこの区域は若者が容易く侵入など出来ぬ。ここは離宮の王妃の寝室である。毒を盛られてからは人を遠ざけて使える侍女も最低限の人数で済ましている。そんな奥の宮の寝室に誰にも咎められずに忍び込むとは。誰ぞ手引きをした痴れ者が? それとも手練れの者か?
この若者の正体は‥‥突き止めたい衝動で彼女は室内に照らされた明かりを頼りに今一度、若者の見る。目を凝らして見た顔は忘れたくとも忘れられぬ我が息子を破滅に追いやった愚か者の顔であった。
我が子の未来を奪った忌々しい輩が何故か臣下の顔で控えている。
理解が追い付かない中、押し殺していた王妃の憎悪がドロリと蠢く。理性より感情が勝って胸の奥底に閉じ込めた感情が一気に噴き出す。怒りと憎しみと混乱で王妃の情緒は不安定で冷静に状況を対処する術を見失っていた。
忍び込んだ若者の名はクレッゼル・シェーンベルグフ。騎士団長だった男の子倅ではないか。元は息子であるクリスフォードの側近候補だった人物だ。
怒りで頭に血を上らせた彼女はこの場に相応しい対応が出来ずにいた。ただただ怒りが、憎しみが彼女を惑い震わせていたのだ。
「王妃様、如何なさいましたか」戸口から抑制の効いた男の声が、この場の緊張に水を差す。
不意に掛けられたその声に覚えのあるクレッゼルは「あ、兄上! 来てくださいましたか」と弾む声で男の正体を明かす。
「クレッゼルよ。愚か者め」
そう言った男は兄上と呼んだ若者を殴りつけ取り押さえたのだ。鮮やかな攻撃でクレッゼルは防御も碌に出来ずに地に伏した。
兄の行動が信じられないと驚愕の表情で狼狽え「な、何をなさるのですか兄上!」と口煩く足掻く。
「御前、お目汚しをお許しください。この者は我が一族を追放された卑しき男でございます」部屋に押し入った男はシェーンベルグフ家の嫡男であった。
「賊が押し入ったかと思い警備に参りました」その言葉を裏付けたのは護衛の制服を着用した且つての近衛騎士であった者だ。
「しかし…‥ここは王妃様の寝室。そう易々と立ち入ることは出来ますまい。そうなると誰か手引きした者がおりますな」
不穏な発言を続ける。
「どうやら王妃様は男を寝床に通わせていらっしゃる‥‥これは不義密通ですぞ王妃様。現行を抑えられた以上、申し開きは出来ますまい」
男の妄言に腹を立てた王妃は、漸く己の置かれた状況に気が付いた。
「な、何を申す! 言い掛かりを申す出ない! お前達グルであろう! だ、誰かぁっーーーうっ」
体調の思わしくない王妃の動きは緩慢で反応が鈍い。成す術もなく凶行に敢無くその命を散らす。この兄弟の会話に耳を傾けたことで王妃の運は潰えた。
「あ、兄う…え? 何を‥…」
「クレッゼル、騒ぐな。これもお家の為‥‥漸くお前も役に立つのだぞ」
「で、ですが‥‥兄上、王妃様はお助けせよとご命令だったではありませんか。何故、手を掛けたのです。これではあのお方のご意向に背くではありませんか」
「いや、これで良いのだ」無情な呟きが頭上に堕ちる。
弟の目には悲しみが見て取れた、捨てられた幼子の様に途方に暮れたその表情に兄は何を思ったのだろうか。表情に色の無い彼は静かに語りだす。
「お前の役割を教えてやろう。王妃の元に若い男が通っていたのだ。御子息の事があったにも拘らずご自身の醜聞も気にも留めずに。だが痴情の縺れで刃傷沙汰だ。誤って王妃を手掛けてしまった若い男はそれを苦に自死。まあ、そう言うことだ、わかったか。愚かなお前の所為で父君は騎士団長を辞し降爵処分だ。私も近衛の任を解かれた。‥…お前にわかるか? 我等の悔しさが」
「あ、兄上?」
「お前も役に立つと私に教えてくれ‥‥最期ぐらい家の役に立て」
吐き捨てる様に最後の言葉を告げた兄であった男は王妃の命を奪った同じ短剣で弟の命を奪った。
「これで我が家を取り立てて頂ける…‥‥」




