アドルフー①
レティエルの父アドルフ視点です。
『公爵領と家族に害を成さないのであれば自由にしてくれていい。私の許可も不要だ。理由も尋ねないでくれ。それと、決して私を裏切らないように』
当主交代の際、最愛の妻に告げた言葉。
聞く者によれば愛も関心もない伴侶の言葉と受け取るだろう。だが、私達はお互いに愛を育み困難を乗り越え結ばれた。他国の高位貴族であっても愛を貫き成就させた稀な夫婦である。
私の最愛は、憤ることもなく、さりとて言葉の真意を探ることもなく、粛々と私の言葉を受け入れた。・・・と思ったのは早計だったな。美しい淑女の笑みを浮かべた最愛は、切り捨てんとばかりの殺意高めな眼差しで私の言葉を圧殺した。
この経験は一生忘れ得ない深い心の傷となった。私の、だが。
ああ、最愛に告げる言葉を間違えてはいけない。彼女は女性でありながら敵や魔獣を焔で屠る戦士だ。消し炭のように燃やす烈火の炎を自由に操る。その気質は苛烈で容赦がない。強者を前に臆することく挑む彼女の胆力に魅了された。これほどの傑物。一介の夫人と狭い枠に当て嵌まらない。
斯くも美しい私の最愛は、怒らせてはいけない女性だと本能が察したものだ。
『私を信じて欲しい』
ふと、心に負わされた記憶をつらつらと思い出したのは、馬車に同乗した女が最愛と同じ顔で、瞳で、私に向ける瞳の熱量の無さが古い記憶を呼び起こしたのだろう。
この女の名はライラ。嘗て私の最愛の娘に成り代わりその財を掠め取ろうとした愚か者が寄越した魔力持ちだ。その計画も横やりが入り失敗したという。
洗脳を解いてから暫くは記憶の混濁で聴取が難航し、私の苛つきは天井知らずであった。が、ここ最近漸くこちらに有利な情報を吐きだせるまで回復した。とはいえ偽の記憶を植え付けられてから術を完全に解いたまでの記憶は消失しており、辛うじて拾い上げた記憶も極僅かとは。これは痛恨の極みだ。
記憶の欠如が生じた原因を私達は、魔力の干渉と精神に影響を及ぼす薬の併用によるものだとみている。
ライラが覚えているのは、本来の主からの命令でレティエルに成り代わろうとしたこと。グレイン共々洗脳の憂き目をみたが、存命が赦されただけでもマシだと思え。
口惜しいことに肝心のクレアに関する記憶が消失していたのでクレアが誰の差し金もわからず仕舞い。
おまけにクレアは失踪中のレティエルを他の護衛達と共に捜索していたりと謎の行動をみせている。
レティエルを狙ったにしては不可解な点が多い。
共犯者のエリックの行動もだ。娘の生存を知っているにも拘らず仕掛けてこない。
目的はレティエルではなかったのか?
揺れる馬車の中、対面に坐したライラは私の視線を受けビクビクと怯えだす。
私に加虐 趣味はないのだが、私の最愛の顔でその態度は非常に心外だ。
ああ、別人だとわかっていてもその態度は、傷つくではないか。胸が痛む。
居たたまれなくて私は目を閉じた。ホッと安堵したのが気配で分かった。
ああカレンシア、君ならば・・・。
裏取りに多少時間を要したが、この女の背後関係は掴んである。
カレンシアの侍女として送り込む。奸計を巡らしたのはファーレン家と関わりある者なのは瞭然だ。
だが、計画に邪魔が入ったのは誤算だろう。はは、片腹痛いわ。
「だ、旦那様。あの、ここで休憩を取られるそうです」
女の震える声で私は思考を中断した。同じ声音でもこうも苛つかされるとは。女の未熟さと臆病さに嫌気がさす。似た能力であってもこうも違うかと、私はもう一人の能力者を思い浮かべた。
ああ、アレの能力は優秀であっても使い勝手が悪い。よくもまあランバートは傍に置く気になるな。
優秀な者が多少難ありであっても重宝すべきとは思うが、あの男は少々、変質者・・・的な気質を持つ。
「あ、あの、旦那様?」
「ん、ああわかった。・・・む、ここで、と申したのか?」
「は、はい。まだ半刻は掛かるとのことで、皇女様が休憩をと仰られたようです。既に敷地内に入りました」
「そうか」
予定になかった場所に立ち寄るとは、些か不安が拭えない。
誘導された先は古びた神殿の敷地で、目に入るのは礼拝堂と隣接の小屋? ああ、住居か。何もこのような場所で、と思わなくもないが・・・・むう、ここは寒村か?
「このように王都から離れた神殿にようこそおいで下さりました。急なお越しで大したおもてなしもできませぬが・・・・」
この神殿を預かる神官が殿下達と挨拶を交わす間に、私は周辺に注意を向けると馬たちを世話すべく神殿の者らが姿を現したのが目に入った。その貧しい装いが彼らの困窮を現していた。
ここは王都から離れた神殿。目を凝らしてみれば小さな集落があるのか、畑や家屋が離れた場所に見えた。何とも言い難い。王都に近い好立地を活かせていなとは。ここの領主は誰であったかと記憶を探る。
「ザックバイヤーグラヤス公」
「・・・これはこれはお義父上ではございませぬか。馬車に揺られるだけではさぞやご退屈であられたでしょう。で、私に何か?」
声を掛けてきたのは影武者の義父だ。その完成度に感嘆の息が漏れ出でそうになる。
まとう武人の闘気も損なわず影武者でありながら恐らく数多の戦場を駆け抜けたであろう。そう思わせるだけのものがある。
「・・・すまぬな、皇女様のいつもの我儘じゃ」
「お義父上、そのような・・・よくあるのことでしょうか?」
「ぬう。良くは知らぬが・・・時に婿殿、酔い止めなる薬をお持ちではないかのう。年寄りの儂には揺れる馬車はちと堪えての。できれば即効性の覚まし薬が欲しいぞ?」
酔い止めに覚まし薬か。
成程。薬を所望と見せて一服盛られる危険を忠告か。これは・・・。
「おお、それはお辛いでしょう。私がよく服用するモノでよければ差し上げます。さあこれを」
ハイデ渾身の解毒薬だ。相当利きはよい。
影武者殿の忠告を有難く受け、警戒を高める。
そうだライラにも飲ませ、防御魔道具を持たせなければ。
頭の痛いことにあの女は自身を守る術を持たぬ。我が公爵家に仕える者であれば侍女であっても護身術は身に着けておるというのを。・・・込み上げる溜息を押し殺した。