書籍発売記念SS 白馬の医師(後)
当初はちょっとした風邪と皮膚症状が偶然重なっただけだと思った。かゆみ止めと解熱の薬草を処方して帰した。
でも、1人だった患者が次の日には3人になり、その次の日には10人になった。
患者の四肢にみえるのは特徴的なハート形の湿疹。湿疹というと丘状に盛り上がるのが一般的だから、このハート形というのは明らかに奇妙だった。――これはただの風邪ではない。そう悟るのに時間はかからなかった。
しかし、気付いたときにはもう遅かった。患者は驚くほどの早さで増えていく。原因は何なのか、どうやって食い止めるのか。考える間もなく目の前の患者の対応で手一杯になった。
日に日に増え、そして溢れる患者。資材も人員もすぐに不足した。病室の壁を取り払いベッドを撤去して大部屋を作った。そうでもしないと患者が収容できなかった。冷たく硬い床に布を敷き患者を寝かせる申し訳なさ。呼ばれてもすぐに対応できない忙しさに、現場は先の見えない不安を感じていた。
さらに悪いことに、どうやらこの疫病は人間だけに発症するようだった。何百人もいる感染者に魔族の者は誰ひとりいなかった。
――最悪だ。人間は弱い。魔族なら死なないような怪我や病気でも命を落とす。
その予感は現実となり、疫病の死亡率は5割にものぼった。
日々運び込まれる患者を前にして僕は無力だった。
何のために医師になったんだろう? 自分の存在する意味はあるんだろうか?
そんな自問自答をするけれど、時は無情にも考える時間を与えてくれない。忙しなく日々は過ぎていった。
世界の色が変わったのは、何の変哲もなく迎えた日の昼だった。
いつものように診察の合間に昼食をとっていた時。自分宛に手紙が届いていると案内があり、読んでみるとアピスのマスターからだった。どうやらアピスでも疫病が猛威を振るっていて大変なことになっているらしい。1度診に来てもらえないかという内容に頭が痛くなった。
しかし、その手紙の最後に書かれた1文に僕の心臓は跳ねた。「この手紙を持ってきた子は薬師よ。女の勘だけど、彼女は普通の子とは何か違うわ。ぜひ会ってみて」。
――そのあとの歴史は僕が語るまでもないけれど、少しだけ話しておこう。
セーナ殿下――出会った当時は殿下ではなかったけれど。彼女は素晴らしい知識と技術を持つ薬師だった。見たことも聞いたこともない治療法を知っていて、そしてそれを実践する力のある女性だった。どんな時も諦めず前向きに立ち向かう彼女の姿勢はとても凛々しかった。セーナ殿下との出会いによって僕は忘れかけた志を思い出し、疫病に立ち向かう力を取り戻した。
彼女から学び、時に救われ、今の僕がある。
時は流れ彼女は王妃となった。そして陛下の角が折れたとき、僕の誤診を責めることなく、むしろ「責任の半分は私にあります」と言ってくれたセーナ殿下。処刑も止む無しと覚悟を決めていたけれど、それは望まないと陛下も殿下も言ってくれた。
ふたりのその言葉で必死に自分を叱咤した。落ち込む暇がないほどに勉強をして知識と技術の研鑽に励んだ。
ブラストマイセスの王妃セーナ殿下の功績については、今や街のどの書店に行っても所狭しと書籍が並んでいる。国を救い、陛下も救った彼女は「救国の女神」として国民から慕われている。
出会った頃の彼女は20代後半の初々しい女性だったけれど、今や不老不死の身体となり、ふたりの王子とひとりの姫の母となっている。相変わらず陛下とは仲睦まじくやっているようで国の未来は安泰だ。
セーナ殿下が開発している様々な薬は、まさに僕がかつて望んだ薬そのものだ。身体を切ることなく内側から病気を治し、手術に耐えられない子どもや高齢者でも使うことができる。今後はより安全性の高い麻酔薬の開発も行うそうだ。
つまり、医学に足りないところを薬学が補完しているという具合だ。いや、医学の足りないところという表現は驕りかもしれない。薬学の足りないところを医学が補っていると言い換えてもいいだろう。医学と薬学はどちらが欠けてもいけない。互いになくてはならない存在なのだ。
僕はゾフィーを離れたあとキャリアの大半を王都中央病院で過ごした。セーナ殿下をサポートする傍ら国の筆頭医師として様々な治療に取り組んだ。魔物の寿命は長いから、現役でいられる時間が長かったことはとてもよかった。
長い現役期間の間には、ユニコーン族の若者が医師になりたいと志願して僕のところに来ることがあった。医療から離れた我が一族が再びその役割を担ってくれるのは素直に嬉しい。やる気のある者はどんどん引き受け、1つでも多くの症例を経験させた。
もとはと言えば一族の誇りを取り戻すために医師になったのだっけと、ふと思い出す。ユニコーン族の弟子の数を考えると、どうやらそれは達成できたと考えていいだろう。自立して僕のもとを離れる弟子の背中を見るたびに感慨深い気持ちになった。
医療に魅せられて、医療に身を捧げて。充実した毎日だった。
唯一心残りなことを挙げるとすれば、伴侶を得られなかったことだろうか。デルマティティディス陛下とセーナ殿下を拝見するたびに少々羨ましい気持ちになっていたのは事実だ。
しかし想いびとができたとて僕は仕事ばかりしていたから、大切にできたか非常に怪しい。結婚生活が上手くいかない可能性を思い浮かべると、やっぱり独り身でよかったのかもなあと苦い笑みが浮かぶのだ。
結婚といえば、騎士団長を務めたライも独身を貫いている。白銀の美貌を持ち人間ながら圧倒的な強さを誇った彼は引く手数多だったのに、群がるご令嬢に見向きもしなかった。まあ理由は明らかなんだけど。
「ライは結婚しないの? セーナ殿下のこと好きなんでしょ。望みは無いんだし、諦めていい人を探したら?」
不躾に尋ねてみたことがあった。けれど、ライは特に気分を害することもなく平然と答えてくれた。
「いいや、俺はいい。というか、今の状態に満足しているんだ」
彼の答えが腑に落ちなくて首をかしげる。
「ごめん。どういう意味?」
「強くなって大切な人を守れたから。姫様は俺に生きる目標をくれたんだ。だから彼女とどうこうなることは望んでいないし、かと言って他の女性と結婚する意味もない。……俺って簡単な男だろ?」
快活に笑うライの表情に陰りは無かった。簡単と言いながらも僕にはよく理解できない感情だ。でも、彼が幸せならそれでいいかと思う。
「それより先生。引退したら俺と一緒に世界を回らないか? 医療に興味はないけど、色んな景色を見てみたい。老いてまた守られる前に自分の死に場を探したいしな」
「いいねそれ! 僕は他国の医療を見て回る。君は余生を楽しみたい。ははっ、今から楽しみだよ」
かくしてその約束は現実となった。
第一線を退いた僕と定年により騎士団を名誉除隊したライ。男ふたりでこの世界を遊覧する旅に出た。この手記はその旅路の船内で書いている。
さすがに世界中の空を翔け回る体力はもうないから、船や馬車に乗り、のんびりと各地を見て回っている。ライは老いても壮健で、まだまだ人生を楽しむのだろう。
世界は広い。未知なるものに溢れている。
セーナ殿下が口癖のように言っていたその言葉はまさしく事実だった。
他国でみた医療、そして文化についてはまたの機会に記録を残そうと思う。セーナ殿下はきっと目を輝かせて読んでくださるだろう。
さあ、明日も朝から視察だ。このあたりで記録は終わりにして床につくことにする。
この記録を読んでいる皆々様の明日の健康を願って。
フラバス・ゼータ・ユニコーン 記す




