書籍発売記念SS 白馬の医師(前)
以前投稿したお話に加筆したものです。
ユニコーンの角はあらゆる毒を解毒し万病を治癒させる。数多いる魔物の中でもその能力は唯一のもので、ユニコーン族の者は代々医師として傷ついた魔族を癒してきた。
――というのはずいぶん昔の話だ。
力が弱まった原因には諸説ある。あるときの族長が非処女と交わったから。ユニコーンの聖地が地震で崩壊し清雅の泉が途絶えたから。時の魔王の怒りを買い一族の大半が粛清され、魔力の強いユニコーンが淘汰されたから。
様々な言い伝えがあるけれど、もうその真偽を確かめる手段はないし、確かめる意味もない。どんな理由にしろ失われた治癒の能力が戻ることはないからだ。
魔族唯一の癒し手であったユニコーンは、その能力がなくなった今、あえて医師になろうという者はほとんどいない。いや、むしろ敬遠されていると言った方がいいだろう。癒しの能力がないことは一族の汚点となっていて、誰も口に出さないが心に暗い影を落としている。そこから目を逸らすようにみな医療以外の職業に就き、あるいは群れの中で悠々自適に過ごしている。
そんな中、僕――ゼータ・ユニコーンが医師になったのは一族の誇りを取り戻すためだった。族長である父はいつもどこか諦めた表情をしていた。癒しの能力のないユニコーン族は魔族の中でも肩身が狭く発言力は皆無。一族全体がいつもどこか疲れた雰囲気を出していて、そんな空気感に僕は嫌気がさしていた。
魔力に頼らずとも、医学を勉強し外科的手技を身につければ医師になれる。そう知った僕は成馬になると同時に家を出た。自分が立派な医師になれば少しは一族にとって明るい知らせになるだろう。幸い僕は六男だから家督を継ぐ義務もなかったし、子だくさんな家でひとり家を出たところで咎めはなかった。
魔族領内に医師は数名いる。彼らと連絡を取り、許可をくれた魔物のもとへ弟子入りをした。
最初は師匠に付き添い処置を見学するところから始まった。まず立ちあったのは大怪我をしたサイクロプスの治療だった。恋人を寝取られたというサイクロプスが浮気相手のサイクロプスを棍棒で殴りつけたという現場だった。
殴られたサイクロプスは腹部の臓器を大きく露出させて倒れていた。あたりは彼らの緑色の血で染まり、生臭い匂いが漂っていた。見るも無残な現場だった。――僕の記憶はそこで途絶えている。凄惨な光景を目の当たりにして気を失ったからだ。
医学とは生半可な気持ちで習得できるものではない。そう痛感して気持ちを引き締め直した。
場数を踏むにつれて倒れたり気分を悪くしたりすることは減った。そして少しずつ処置をさせてもらえるようになった。
次第に医師の面白さとやりがいを感じるようになった。どのように縫合すると傷跡が残りにくいか。魔物の種類によって身体のつくりが違うのも興味深い。そして何より治療をすると感謝してもらえる。役立たずのユニコーン族という扱いが染みついていただけに、自分が誰かの役に立っているというのはひどく嬉しかった。
満足感はやる気につながり、困難な症例に立ち向かう原動力になった。
何十年か修行を積み独り立ちが認められた。「もう教えることはない。ゼータの好きなところに行き多くの者を救いなさい」。師匠からそう餞別の言葉をもらった僕は迷わず人間の街へ行くことにした。魔族の医師としては合格点を貰ったけれど、人間の治療は未知だ。師匠も他の医師も魔族の治療しかしたことがない。人間の治療もできる魔族医となれば自分が初めてになる。一族の誇りとなる医師になるにはまだまだ先は長い。
デルマティティディス陛下の治世となり魔族領と旧王国が合併し、ブラストマイセス王国となっていたのは幸いだった。いくつかの病院に問い合わせたところ、アピスという街の病院が受け入れてくれることになった。
魔族が人間に化けて市中生活を送るときは人間としての名前を新しく付ける。
これまでの感謝と尊敬を込めて師匠に名付けをお願いした。師匠は二つ返事で受けてくれて、〝フラバス〟という名を授けてくれた。
僕のフラバス医師としての人生が始まった。
人間の身体は魔族より繊細で小さい。より高度で精密な手技が求められた。それに、少々のことでは死なない魔族と違って人間はすぐ死ぬことも分かった。縫合はより丁寧に。麻酔の量は最小限に。循環動態には細心の注意を払うことを学んだ。
力は失えど己に流れる血はやはり治癒の魔物ユニコーンなのだろう。修行を積むにしたがって、気付けばどの医師よりも的確に処置をこなせるようになっていた。
仕事終わりに1杯飲みに行く余裕も出てきた。人間の街は殺風景な魔族領と違って華やかだ。特にこのアピスは国境沿いにあるため、診察を終えて深夜帰宅する時分でも街に賑わいがあった。この賑わいのおかげでハードな仕事でも心が荒むようなことはなかったように思う。
特に気に入っていた店がある。「ゴールデンボール」というバーだ。
店主は見た目は男性なのに、なぜか化粧を施し口調も女性風。しかしオマというその人間はとても話しやすく、それでいてほどよい距離感があった。その心地よさから僕は仕事終わりに毎日立ち寄っていた。入口のドアを開けるとカランコロンと軽やかにベルが鳴るのだ。
「いらっしゃい。――ああ、フラバスさん。今日も遅くまでお疲れさま」
「お疲れマスター。いつものお願い」
「ウオッカにレモンと塩をひと絞りね、今作るわ。――今日は一段とお疲れね。ひどいクマができてるわよ?」
いつもの席に腰かけた僕の前でマスターがレモンとウオッカを取り揃える。
「また例の件だよ」
「そう……。同じことしか言えなくて情けないけれど、フラバスさんは悪くないわ。可哀想だけど仕方のないことなのよ」
「ありがとうマスター。僕もね、分かってはいるんだ。でもやっぱり慣れないな」
今日、1人の女の子が亡くなった。
数か月前から入院していた子で、腹部にできた肉腫が原因だった。
「手術で肉腫は全て取り除いたんだ。でもすぐ再発してしまった。もう1度手術をする体力はない。そのまま何もできることがなくて、それで今日……ってわけさ」
提供されたカクテルをぐいっと一息で飲み干す。レモンの酸味と渋みが喉に鈍く染み込んだ。
「人間は弱い。魔族ほどの回復力もなければ体力もない。何度も身体を開いて手術するわけにはいかないんだ。人間相手にできる治療は限りがある。手術じゃなくて、もっと別の治療法があればと何度願ったか分からない」
「別の治療法?」
マスターがおかわりのカクテルを作りながら怪訝な顔をする。
「身体を切るような治療じゃなくて……内側から治療できるようなものがいい。効果の強い薬草っていうイメージかな。特に体力がない子供やお年寄りでも飲めるような、効果が高く安全な薬が欲しい」
普段治療に使う薬草は劇的に効くわけではない。風邪をひいたとか、転んで怪我をしたとか、そういうときに煎じたり塗ったりして使うものだ。肉腫のように身体の内側に不可逆的な異常が出た場合は手術で取るしかないのが現状だ。
手術は相手を選ぶ。体力や麻酔への親和性などだ。術中に予期せぬ出来事が起こる場合や麻酔そのもので命を落とす者も多く、常にリスクが伴う。
でも、効果と安全性の高い薬があれば手術を受ける体力のない子どもやお年寄りでも治療を受けることができる。生きたいと願うたくさんの命を救うことができる。医師として何より辛いのは患者に何もできないまま看取ることなのだと、アピスに来てから強く感じていた。
「それは夢みたいな薬ね。本当にそういう薬ができたらすごく素敵だと思うわ」
「僕はまだ医療を学んでいる途中だけど。いつか病気と薬に関する研究をしてみたいと思うんだ」
「フラバスさんならきっとできるわ! あなたみたいなお医師さんがいてくれてあたしたちは幸せよ」
マスターがにこりと笑いカウンター越しに2杯目のカクテルを差し出した。僕はそれを受け取り、今度はちびりと1口グラスを傾けた。
――思い返せば、この頃くらいからだったと思う。一族のために立派な医師になるという思いが、患者のために立派な医師になろうという決意に変わったのは。
その後僕は5年に渡るアピスでの研修を終えて、正式な医師としてゾフィーという街に移った。医師として経験を積み院長になったときそれは国を襲った。
高熱が出て、体中にハート形の湿疹が出る疫病である。




