ファントムアークの走馬灯(後編)
デルマティティディス陛下の婚約者セーナ様は……何と申し上げたらいいでしょうか。落ち着いた身なりといいますか、控えめでいらっしゃるというか……。とにかく、わたくしが想像していたことは何一つ当てはまらなかったということだけは確かです。
この国では珍しい漆黒の髪に、わたくしを見つめる好奇心に溢れた焦げ茶色の瞳。身長は平均的ですが、少々猫背気味で全体的に小さく見えました。今でこそ失礼を承知で言えますが、とても美麗な陛下と釣り合う容姿ではありませんでした。
当時のわたくしは若かったので、その衝撃と混乱とで、ずいぶんセーナ様にツンツンした態度を取ってしまいました。「ロシナアムはツンデレなのね!」とセーナ様は解釈をしておりました。ツンデレが何か知りませんでしたが、わたくしの失礼な態度を許容してくださったセーナ様は、やはり陛下が見初めるのも頷ける、素晴らしい御方だったと思います。
異世界から来たというセーナ様。わたくしはこの世界の歴史について一通り学んでおりましたので、「召喚人」のことは知っておりました。ずいぶん昔に廃止された制度ですので、まさか自分がお仕えするとは思ってもみませんでした。
セーナ様は薬学や医学を専門としており、素晴らしい頭脳と技術をお持ちでした。その実績を上げるときりがないですが、一番心に残っているのは再生医療を用いて陛下の命をお救いしたことでしょうか。手術のあと目覚めない陛下を、セーナ様は辛抱強くお待ちになられました。そして偶然とはいえ見事陛下を覚醒させたうえ、陛下のご体調は全快していたのです。
ずっとお側で見守って来たわたくしも、思わず号泣してしまいました。思えば、涙を流したのは人生でこの一度きりでした。
その後のセーナ様は、子育てのかたわら、精力的に研究活動に取り組んでおられました。国の医療レベルは格段に向上し、世界でも有数の医療国家となりました。また、研究から派生した技術を使って日用品を開発したりと、健康な庶民の生活にもその恩恵は行きわたりました。
あんな小さな身体のなかにものすごい量のエネルギーをお持ちのセーナ様。わたくしはセーナ様にお仕えしてから、毎日が驚きと発見の連続でした。退屈という言葉は、いつの間にかわたくしの辞書から消え去ってしまいました。セーナ様もわたくしのことを信頼してくださり、ときには女友達のように甘えて下さることもありました。
有能なセーナ様ですから、当然狙われることは多かったです。特に王子殿下がお生まれになった後は、お二人を狙う輩が増えました。全てセーナ様がお気づきになる前に処分しておりますので、怖い思いはさせなかったとは思いますけれど。
セーナ様は不老不死でいらっしゃるので、わたくしだけ老いていくという現象は奇妙な心持でした。お仕えし始めた時はセーナ様が10歳ほど年上でいらしたのですが、いつしか年下の妹のようになり、そして娘のようになりと、その見た目の差はどんどん広がってゆきました。
セーナ様が娘ぐらいのお年に感じた頃から、わたくしは「お別れのとき」について強く意識するようになりました。わたくしはただの人間ですから、どう頑張ってもセーナ様より長生きはできません。セーナ様を残して先に死ぬことになるのです。
わたくしは45になった誕生日に、セーナ様の護衛を引退させていただきたいと申し出ました。セーナ様は涙を浮かべて引き留めてくださいました。しかし、45にもなれば否応にも身体は衰え、全盛期のころのようには動けません。筋力は落ち、壁を走りづらくなりました。目も100m先は見えなくなり、夜間における暗器の投擲精度も落ちました。
わたくしの衰えによってセーナ様をお守りしきれないようなことがあってはなりません。かわりにファントムアークの一族から若くて優秀な者を選抜し、引き継ぎを行うことを提案いたしました。セーナ様は優秀な薬師ですから、身体の衰えという理由を聞いてからは、どうにか自分を納得させているご様子でした。わたくしの目をしっかり見ながら、「ロシナアムの退官を認めます。そのかわり、お願いがあるの」そうセーナ様は言いました。
護衛を引退したあと、わたくしは国内初の「ほいくえん」の園長に任命されました。この「ほいくえん」というのはもちろんセーナ様が考えたシステムで、親が働いている間、子どもを預かる施設です。
セーナ様は研究熱心なお方ですが、家族というものをとても大切に考えるお方でした。子どもに孤独を味わわせたくないと、育児も乳母と一緒に積極的におこなっていました。時にはおんぶひもに王子殿下を入れて出勤されたり、殿下がお熱を出すようなことがあれば、仕事を休んで看病にあたっておられました。ご自身が育児をなさってみて、「子育ては仕事より大変だ」と常々言っておりました。「王族の私でもこんなに大変なんだから、国民はもっと大変に決まってるわ!」という思いから、ほいくえんの導入はセーナ殿下の悲願でした。
「ロシナアムは色んな知識があるでしょ。それに運動もできる。それになにより、子どもが好きでしょ?」――驚きました。子ども好きだということは、誰にも話していなかったからです。
わたくしは暗殺者という血も涙もない世界に長くいたせいか、子どもという純粋無垢で可愛らしい存在がとても好きでした。子どもを見かけると、つい声を掛けて微笑んでしまいます。もしかしたら、王子殿下たちの遊び相手を務める際に、セーナ様には見抜かれていたのかもしれません。
わたくしは子どものできない身体でした。小さい頃馬に蹴られて負った怪我で、子どもを産む臓器がやられてしまい、自分の子は望めないとお医者様から言われておりました。ずいぶん昔の話ですので、特にそのことをどうとは思っていませんでした。夫もそのことを承知で結婚してくれたので、わたくしは他よそ様の子どもを愛でるだけで満足だったのです。
セーナ様の護衛を引退してからやりたいこともなかったので、園長の話は本当に嬉しいものでした。もしかしたら、セーナ様はこのタイミングを見計らってほいくえんを開いたのかもしれません。王妃殿下ともあれば、ほいくえんを開くことはいつでもできたはずなのです。わたくしの第二の人生まで考えて下さったのだとしたら――いいえ、これはわたくしの思い上がりかもしれませんね。
可愛い子どもたちに囲まれた園長生活は、それは充実しておりました。子どもたちの吸収力は素晴らしく、教えたことはすぐ覚えました。ときに悪戯を仕掛けてくることもありますが、それすら微笑ましいのです。子どもを預ける親たちからも感謝され、ほいくえんとは素晴らしく、この国に必要なシステムだと改めて感じました。王都のほいくえんが成功した事例を見て、ほかの領地でもほいくえんが導入され始めました。この調子で、国中に広まってくれるとよいのですが。
わたくしの人生は、自分が思っていた何倍も、いや、絶対に予想できなかったぐらい、刺激と興奮に満ち溢れておりました。セーナ様は、未知なる世界をたくさん見せて下さいました。セーナ様の長い人生からすれば、わたくしはとある一人の護衛に過ぎませんが、わたくしの人生はセーナ様との思い出で鮮やかに彩られております。
本当に、幸せな人生でございました。
セーナ様と陛下が耳打ちしてくれたところによりますと、死後の世界では「転生」あるいは「そのまま死後の世界で暮らす」という選択ができるそうです。もちろんわたくしは、転生を選びたいと思います。すぐに生まれ変わって、またブラストマイセスで生を受ける予定です。
転生先は選べないからね、よく考えるのよ。とセーナ様は笑いました。でも、大丈夫です。わたくしには自信があります。
なぜなら、わたくしはセーナ様という類まれなる主を持ち、幸せな一生を送った強運の持ち主なのですから。
あと数話、別人物のエピソードを書く予定です。




