目覚め
(…………ここは……?)
眼球に張り付いたような瞼を、ゆっくりと開く。
目に映ったのは、雲一つない、快晴の空。
その空は、ありふれたようで、どこかとても懐かしさを感じる。
(私は……確か手術を受けたはずで……)
上体を起こす。
上体が起こせたことに、驚く。
自分の思った通りに、身体が動く。
手を握ったり、開いたりを繰り返す。
確か、手術の直前あたりの体調は、手を挙げることすらままならないほどに動けなかったはずだ――
身体が軽い。魔力の流れも、泉が流れるがごとくスムーズだ。
久しく感じることのなかった、すっきりとした感覚。自分を自分だと、明確に感じることのできる、この感覚。
頭に手をやると、あるべきものが2つ、そこにはあった。
(私は助かったのか……。手術は成功したのだな……!)
セーナがもたらした、再生医療という新しい技術。
移植手術の直前は、体調が悪すぎて、正直記憶がほとんど無い。それでも、「絶対に大丈夫です。私を信じてくださいね」と言って手を握るセーナの顔は、鮮明に覚えている。
「それで、ここは一体……」
辺りを見回すと、一面に曼珠沙華。
真っ赤なそれが、広くないこの部屋いっぱいに咲き誇っている。
(美しいな。――しかし、このような場所が城にあっただろうか?)
首をひねるも、一切心当たりがない。王城のことなら隅から隅まで、非常時の抜け道なども含めて全て把握していたはずだが、一体どういうことだろうか。
それに、部屋に誰も居ないという状況にも違和感がある。常に誰かが付き従い、護衛されているのが国王である私だったはずだが……
もしかして、治療専用の建物が新築されたのだろうか。よく感覚を研ぎ澄ませば、この建物は私が用意した素材でできていることに気づく。であれば、事前に登録した数名しかこの内部には入れないから、たまたま誰もいない頃合いだったのかもしれないと思い至る。手術をする数か月前から記憶がもうろうとしていたので、いつこの建物ができたのか分からないが。
「とにかくセーナに会いたいな。ここを出てもいいのだろうか? 何かの治療の最中なのだとしたら、勝手に動くのはまずいな。ひとまずフラバスに念話してみるか」
勝手に出たことによって、体調に差し障りがあったらいけない。思うがままに動くこの軽い身体を、二度と失いたくはない。
主治医であるフラバスに向けて念話を送る。
『フラバス、私だ。目が覚めたのだが、誰もおらぬし、よくわからない部屋にいる。出てもいいか?』
『――――はいっ? えっ、あれ、これ念話? え、陛下じゃないよね。ずいぶん声が似てるな。もしもし、すみませんがどちら様ですか? こちらはフラバス・ゼータ・ユニコーンですが、お間違いないですか?』
『フラバス、そなたで間違いない。どうしたのだ? いつもはそんな確認などしないだろう。とにかく、ここから出ていいのか知りたいのだが。体調は問題ない。魔力の循環もなめらかだ』
フラバスの様子がおかしい。
念話の向こうでなにやら非常に慌てている様子だ。なにかに躓いたのか、転倒したり物が落ちる音がして、騒がしい。思わず、念話のボリュームを下げる。
『あ、本当に陛下なんですか!? こりゃ大変だ!! みんなに連絡しないと!! いま、今すぐそっちに行きますから、ちょっとそのままお待ちください!』
そこで念話は途絶えた。
冷静な男が、珍しく取り乱した様子だった。
一体どうしたのだろうか? フラバスは、こんなに落ち着きのない者ではなかったはずなのだが。
そのまま待てと言われたので、彼が来るまで待機することにする。王都中央病院から飛んでくるのであれば、10分もせずに着くだろう。
早くセーナに会いたいけれど、多分彼女は研究所で仕事をしている時間だ。起きたぐらいで念話をしては、迷惑だろう。夜にはきっと会えるのだから、まあいいだろうと自分に言い聞かせる。
――――持て余した私は、魔法を使ってみることにする。
建物の壁に向かって、道のように花が生えていない箇所があったので、そこで試すことにした。
手のひらを上に向けて軽く息を吐けば、炎が出た。
手のひらを天に掲げて瞬きをすれば、稲妻が走った。
手のひらを地に着けて爪を立てれば、地割れが生じた。
手を握ったり開いたりしながら、懐かしい感覚に頬を緩ませる。
「ふむ。全く問題ないな。素晴らしいな、再生医療という技術は……」
魔力のコントロールは完璧だ。
身体じゅうに満ち溢れる森羅万象の力を感じながら、角とは如何に魔王にとって重要だったのか、思い知らされる。
(このことは、書物に残して、我が子孫に教え伝えていかねばならないな)
ひとつでも角を失うことは、すなわち死であると。
もちろん、弱点につながる超機密情報だから、扱いは慎重にしなければいけない。魔王直系の魔力でしか読めないような魔術紙に記そうか。
ガラスの台座に腰かけて、いつもの癖で足を組む。
魔術紙の作成機構について考えていると、こちらに走ってくる小さな足音を感知した。
(――フラバスだろうか。飛ばずに駆けてくるとはどういうことだ? ……いや、違うな。この足音は――)
我が妃の顔が思い浮かぶと同時に――目の前に、彼女が現れた。




