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かりそめの国王(後編)

 温室は、王城の奥の、さらに奥にある。そこは限られた人しか立ち入ることができない、最も高貴とされている場所にある。

 ここはかつてデル様が私の誕生日に、個人植物園としてプレゼントしてくれた場所でもある。

 執務室のある棟を抜け、中庭の噴水を越え、居住棟を越え、離宮を越え……。空気がいっそう澄んできたなと感じてくると、そのエリアだ。


 純金でできた、人が二人通れるぐらいのアーチをくぐると、月明かりに照らされるバラたちが美しく出迎えてくれた。

 季節に関係なく咲き誇るこれらは、デル様が魔術で咲き狂わせてくれたものだ。


(このバラが咲いたままということは、デル様も生きているということだものね)


 魔術を維持できるのは魔王だけだ。

 彼の生の証がこのバラだと思うと、いつまででも眺めていられる。私の好みで白と青だけ集められたバラたちを愛でながら、中央にある温室へと進む。

 

 窓や扉のない、小ぶりな一軒家のような温室。壁はやや白っぽく、半透明のようにも感じるけれど、どんなに目を凝らしても、内部を覗き見ることはできない。壁をよく見ると虹色の砂のような素材でできていて、建物全体が淡く発光している。


 この素材はデル様が用意していた特殊なものだ。魔力の漏れ出しを防ぎ、事前に登録した者しかその内部にアクセスできない性質があるものだと彼の資料に書いてあった。要は、自分の魔力が暴走しそうになったら、この素材で地中深くに牢を作り、そこに閉じ込めてほしいということだったようだ。

 デル様は手術の前、まだ少し動けるころに、もしもに備えて色々なものを手配していた。そのことを知ったのは、彼が予定よりもずっと早く深い眠りについた後だったけれど。


 その建物の前に立ち、心の中で彼の名を呼び、入室したいと呼びかける。

 すると、魔法陣で転移するときのように、ぐにゃりと視界がゆがむ。

 まばたき一つの間に、私は建物内部へと移動できるのである。


 護衛の騎士たちは入れないので、私が出てくるまで、外で待機することになる。


 建物内部は20畳ほどの空間だ。

 真っ赤な曼珠沙華が、一面に咲き誇る室内。天井はあるはずなのに内部から見ると無く、外と同じように夜空が広がっている。

 中央にあるガラスの台座の上で、デル様は長い眠りについている。月明かりに照らされたその身体は淡く輝いていて、とても神秘的だ。まるで華の精霊かのように見える。


 ひとつ小さく息を吐き、彼の側へと歩み寄る。


 ――目覚めないデル様を、お城のベットに寝たきりにさせたくなかった。

 彼にとって安らげる環境は何なのか、安心できる場所はどこなんだろうと考えて、この場所を用意した。牢を作る予定の素材を使ったのは悪い気もするけれど、セキュリティや万が一のことを考えて、この素材を使った方がいいと臣下たちから進言があった。


 温室を設計する過程で、ひょんなことからデル様がはるか太古にこの世界を統べた偉大なる蝶の末裔だと知った時は驚いた。デル様はデル様であり、何かの魔物だという発想がまず無かった。「え、セーナ君は知らなかったの!?」とドクターフラバスは驚いていたけれど、どの資料や本にもそんなことは一言も書いていなかったし、デル様本人から聞いたこともない。当たり前のこと過ぎて敢えて誰も言わなかったか、あるいは聞いたけれど私が実験のことで頭がいっぱいで聞こえていなかったのかもしれない。


 落ち着いて考えれば、魔物を統べる魔王なのだから、魔王も魔物であるというのは当たり前のことだった。王城の者ならみんな出入りできる図書館の書物にそういった記載がないのは魔王家の秘匿情報だからだし、よくよく振り返ってみるとダイナマイトの開発中にグリセウス先生がそれっぽいことを言っていたような気もする。

 記憶力が良い方な私だけれど、『※ただし実験中以外に限る』な但し書きが入ることを自分でも忘れていた。


 とにかくそういうわけで、蝶の魔物であるデル様は花の中が落ち着くんじゃないかと思い、温室内部にはたくさんの曼珠沙華を植えた。曼珠沙華を選んだのは、なんとなくデル様に一番似合いそうな花だと思ったからだ。

 

「デル様、こんばんは。遅くなってすみません。集中していたらこんな時間になってしまいました……」


 声を掛けて、彼の手を取る。

 大きくて美しい手は、ほんのりと暖かい。脈にふれれば、確かに彼のなかには血が巡っていることを感じる。


「オムニバランとゾフィーの間には、陸橋を建設することにしました。いちいち山を越えるより、はるかにアクセスが良くなります。工事にかかる費用は、地域活性化による税収アップで回収できる見込みです……」


 こうやって私は、その日の執務内容を彼に報告している。

 もちろん返事はないし、聞こえているのかすら分からない。

 でも、そこは重要なことではない。これは一日の中で最も大切な時間。私とデル様がかつて過ごしていたような、二人だけの静かで幸せな時間なのだ。


 彫刻のように美しい彼の横顔を、じっと眺める。

 すっと筆で描いたような鼻筋に、薄く引き結ばれた唇。長くて艶のあるまつ毛に、これ以外あり得ないという完璧な角度の眉。今にも目を開きそうなほど、肌の色つやはいい。

 しかし、彼が呼吸以外の動きを見せることはない。


 漆黒のすべらかな髪を手で梳き、そっと頭をなでる。

 琥珀の双頂は、完璧を取り戻していた。


 移植術は成功し、角は生着した。デル様がが眠りについている間にも、角はぐんぐんと成長した。今やどこから斬られていたか分からないほど、綺麗に再生している。

 彼の姿は、寸分違わず元通りであった。


「ねえデル様。もう10年が経つんですって。……さすがに、お寝坊すぎませんか? 私、そろそろ寂しいです」


 透き通るような頬をなでながら、恨み言を投げかける。


「でもね、幸い私には時間がたくさんありますから。いつまでも待てますよ。デル様が起きた時、驚くような国にしてみせますから」


 ふふふ、と微笑む。

 セーナ、そなたは素晴らしいな! さすが我が妃だ! なんて目を丸くして言ってくれる姿を想像して、温かい気持ちになる。

 しかし、それはすぐに胸を裂くような冷たさに変わる。


「――ああ、寒くなってきたので、乾燥をケアする軟膏を持ってきたんです。デル様は十分美肌ですけど、一応塗っときましょうね」


 ポケットから丸いプラスチックケースを取り出し、ふたを開ける。薄いオレンジ色の軟膏を人差し指でちょいと練り取り、丁寧に彼の顔と手に塗りこめる。


「――はい、できました。それにしたって不思議ですよね。ずっと寝ているのに、デル様はいつも清潔なんですもん。うらやましいですよ」


 お風呂も入っていないし、身体を拭いているわけでもないのに、彼は汚れない。

 着ている服だって、時が止まったかのように、劣化しないのだ。

 彼が眠りについた直後、ぶっ倒れるまで何日もひたすら側にいた時代があったのだけれど、私だけ臭くなったし服がよれよれになった。


 デル様の姿を眺めながら、あの時は無我夢中だったなあと、苦笑いする。


 話す内容がなくなったあとは、彼の手足をマッサージする。今のところ大丈夫そうではあるけれど、ずっと寝たきりなので、血行が悪くならないか心配だからだ。

 無心で、彼の引き締まった手足を揉み続ける。


「――――さて、これでOKね。じゃあそろそろ部屋に戻りますね。明日の朝、また来ます」


 腕時計を見ると22時をさしていた。

 今から部屋に戻って、軽く食事をとって、湯あみして――寝られるのは24時頃だろうか。明日は会議があるから、デル様のところに来るためには、5時に起きれば大丈夫だろうと当たりを付ける。


「じゃあ、おやすみなさい。デル様、愛してます」


 彼の頬に素早くキスをする。

 自分の部屋に飾るために曼珠沙華をひとつ手折り、私は温室を後にした。


☆曼珠沙華とは

別名、彼岸花ヒガンバナ。花、茎、葉、根すべてに毒がある。口にすると吐き気や下痢といった症状が出る。

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本作が大幅改稿のうえ書籍化します! 2022/9/22 メディアワークス文庫から発売予定


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >純金でできた人が二人通れるぐらいのアーチをくぐると 怖い(゜Д゜;) 純金人間が居るように見える!(ぇ [一言] ちょ、蝶の魔物だったのですか!! という事はツノは触覚が進化したモノ…
[良い点] デル様……(´;ω;`) そっかぁ、デル様は蝶の魔物だったんですね。 優雅に舞う、美しい魔王様ってイメージ。 早く元気になって欲しいです……。
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