【閑話】魔王様、怒る
デルマティティディス目線。
――寝言は寝て言え。さもなくば、その口を二度と聞けないようにしてやろうか。
さきほど偶然耳にした胸糞の悪い情報で私の頭はいっぱいだった。それに関連して、緊急の用件だと言って宰相を呼び出したから、程なくこの執務室にやって来るだろう。
果たしてその読み通り、数十秒後には来訪者を知らせる声が扉の向こうから挙がった。
「陛下、宰相殿が来ております」
「入れ」
ガチャとドアノブが動き、宰相が頭を下げながら入室してきた。
彼はそのままの中腰で執務机の前まで移動し、床の絨毯に膝をついた。
「お呼びでしょうか」
声こそいつもの静かな調子ではあるが、わずかにいつもとは違う汗のにおいがする。
ああこの男、何を言われるのか分かっているな、と直感する。
中央が禿げ上がり、側頭部に毛玉が残る頭を眺めながら、口を開く。
「……私が愛妾をとるらしいという話を耳にした。当の本人は初耳なのだが、可笑しいな? まさか宰相、私もそなたも知らないことが、この王城で起こり得るのだろうか?」
魔王というのは、さまざまな能力が他の生物より優れている。私の耳も人間のそれや一般的な魔物よりはるかに優れていて、離れたところでひそひそ話をしている使用人の会話が聞こえたりするのだ。
日ごろ、いちいち全ての噂話に耳を傾けるほど暇ではない。雑音のようには耳に入るけれども、それに心を向けることはない。
しかし今回は、私や宰相の名、そしてセーナの侍女ジョゼリーヌの声が聞こえたので、しっかりと聞かせてもらったのだ。体調を崩して以降、私の執務室は私室近くに移動したため、かなりはっきりした音声で耳に聞こえた。
「――恐れながら陛下、わたくしが指示いたしました。余計な事とは重々承知の上ですが、やはりこの国の未来を思うと、必要な判断だったと自負しております」
顔を伏せたまま、静かに答える宰相。
やはりこの男、食えない奴だと苦い気持ちになる。政治においては冷静沈着、頭も切れるし手腕は確かだ。魔族と人間が共存する国を作るためには、この男の存在は大きい。
しかしその一方で、融通が利かず、頭の固いところもある。
「そなたの不安はよく分かる。――臣下としては、世継ぎの心配をするのも当然だ」
「――――は。失礼を承知で申し上げますが、陛下のご体調は、引き続きあまり芳しくないご様子。ご体調に関しては妃殿下、フラバス筆頭医師と連携をとっておりますが、やはりお世継ぎに関しては、早ければ早い方がよろしいかと思った次第で――」
宰相として、世継ぎ問題を不安視するのは当然のことだ。国としても、無視できない問題であることは理解している。
だがしかし、私に無断で事を進めたことは看過できない。私がセーナ以外に目を向けることなど、万に一つもありはしないのだ。愛妾をとるなんていう選択肢は、最初から存在しない。
椅子から立ち上がり、彼の跪く前に立つ。
「顔を上げよ、宰相」
冷やかに、言葉を投げる。
ゆっくりと顔を上げた宰相の額には、脂汗が浮かんでいた。抑えているつもりではあったが、殺気がいくらか漏れ出しているようだ。
「はっきり言っておこう。私は愛妾などとらない。この件に関しては、二度と勝手な真似をしないでいただきたい――」
「は、はっ……!! た、大変失礼いたしました――」
目を細めて、彼の顔を見下ろす。
茶色の彼の目が、怯えたように見開かれた。
人間の彼には、少し刺激が強いかもしれない。しかし、ここははっきりと分からせる必要がある。
「愛妾はとらない。私の全ては妃のものだ。彼女が悲しむようなことは、何であろうと受け入れられない。いいな?」
自分の内側にある魔力に、ぐっと力を込める。
キーンと高い耳鳴りのような音が、部屋に細く響きわたる。大気圧に干渉して、一時的にこの部屋の大気圧を高めた。
跪いていた宰相は、うめき声を上げて、瞬時に床にへばりついた。態勢を立て直そうとあがいているが、圧力に押さえつけられて、わずかに手足を動かすことしかできない。
「わたくしが、悪うございました。ど、どうか、お許しを――――!!」
ほとんど悲鳴に近い声で、宰相が叫んだ。
「――そもそも中枢議会を通さずに、独断でそのようなことをするのは違法だ。そなたの沙汰は、法に従って決めることとなる。二度と勝手な真似はするな」
「申し訳ございませんでした――!!」
心の底からそう思っていることが感じられたので、大気圧への干渉を解除する。
耳鳴りのような音が消え、宰相の荒い呼吸が部屋に響き渡る。
「私とて、世継ぎについて考えていないわけではない。もし私に何かがあったら、後のことはこのように進めてほしい」
執務机の引き出しから、紙の束を取り出す。しかるべき時に、宰相に託そうと思っていたものだ。
私とて国王だ。いついかなる可能性も考えて行動している。世継ぎについても、きちんと対策をまとめて考えてある。
平伏する宰相にそれを放り投げ、椅子に座る。
彼はそれを素早く拾い集め、胸に抱えてうずくまった。
はあ、と自然と大きなため息が出た。
「不快だ。もう下がれ」
「はっ!! このたびは、大変失礼致しました――」
中腰で、ドアへ急ぐ宰相。
その小太りな身体を見ながら、一つ声を掛ける。
「ああ、ジョゼリーヌを呼んできてくれ。今後、彼女に妃の侍女はさせられないからな。説明をせねばなるまい」
「かしこまりました。すぐ伝えてまいります――」
頭を下げたまま、宰相は退室した。
はあ、と再びため息が出た。
「くそ。魔力を使ってしまったな――」
体調が芳しくないということは、魔力が不安定であることと等しい。
そんな状態で魔法や魔術を使うことは、かなり危険を伴うことである。制御に失敗すれば、魔力の大暴走を起こしてしまうからだ。
幸い今は大丈夫だったが、どっと倦怠感が押し寄せてきた。手は細かく震え、指先も冷たくなってきている。
「――まずいな。セーナがくれた薬を飲むか……」
具合が悪い時に頓服で飲むようにと、渡されている薬がある。引き出しから小瓶を取り出し、震える手を叱咤しながら蓋を開ける。
1回3粒と聞いているが、手元がおぼつかなく、上手く取り出せない。瓶を傾けると、ぱらぱらと丸薬が机の上に散らばる。そこから3粒掴み取り、口に放り込む。
髪をかき上げ、椅子に背中を預ける。
何回か意識して深呼吸をすれば、少しずつ震えが引いていく。
「無様だな――――」
天井を見上げながら、もう何度口にしたか分からない言葉を呟く。
角が無い状態に身体が慣れれば、体調は戻るらしい。しかし――正直なところ、慣れる感じは全くしない。むしろしだいに倦怠感は増し、体の中の魔力のうねりは増している。
もちろん、言われるがまま受け身に日々を過ごしているわけではない。私自身も、治療法を模索している。古の魔物に話を聞いたり、国外の医者に問い合わせたり。冥界の住人にも詳しい者がいないかなど、毎日時間を割いている。
このまま、衰弱して死ぬのだろうか。
そう思うことも増えた。
私が死ぬときは、セーナを一緒に連れて行く約束をしているが――正直、早すぎるだろう。
彼女はまだまだ若いし、研究などやりたいこともたくさんあるはずだ。300年あまり生きた私とは全然違う。
まあ、私とて、魔王の300歳は早死にの部類に入るが――
そう考えて思わず苦笑いしていると、ドアの向こうから声が掛かった。
「陛下。ジョゼリーヌ殿が来ております」
「入れ。ドアは解放したままにしろ」
入室したジョゼリーヌは、頬を染め、何か期待したような表情をしていた。
私はそれを見て、ひどく落胆した。彼女の忠誠はセーナにないことを物語っていたからだ。
――彼女の家、ファントムアーク侯爵家は王族の護衛を生業とする、由緒正しい貴族だ。その忠誠心は旧王国時代から私の耳にも届いていて、腐敗した国には勿体ない優秀な臣下だと思っていた。だからブラストマイセスとなったあとでも重用し、セーナの護衛も任せていたわけだが――
どこの家にも不出来な者は存在するらしい。
そんな者を彼女に近づけてしまった自分にも落胆する。側近がこのような裏切りをしていると知ったら、セーナはきっととても傷つくだろう。本当のことを彼女が知る前に、秘密裏に処理しなければいけない案件だ。
「ジョゼリーヌ。そなたを王妃に対する不敬罪、および職務怠慢の罪で捕縛する」
ジョゼリーヌの表情が、固まる。
一拍置いて、弾かれたように彼女はまくし立てた。
「へ、陛下――――!? 何かの間違いでございます! わたくしは誠心誠意、王妃殿下にお仕えしておりますっ――!」
「ほう……? 私は確かに、そなたが他の使用人と話している声を聞いたのだが? 聞き間違いだと言いたいのか? ならば、望み通り国王に対する不敬罪も追加しよう」
「――っ、陛下! ……わたくしでしたら、きっと貴方様をご満足させることができます! セーナ様は心が広いお方ですので、一人ぐらいお側に置いても――」
「口を慎め! 私を本気で怒らせたいのか? ――近衛よ、連れて行け。彼女は暗殺者だ、様々な心得がある。脱獄などできぬよう、特級の牢を使うように」
「承知いたしました!!」
勇ましい返事と共に、ドアの外に控えていた近衛騎士たちがきびきびと入室する。
床に崩れ落ちているジョゼリーヌを引き立てて連れて行く。
しばらくは、聞きたくもない女の叫び声が耳に残る。
私は再び椅子に背を預け、大きなため息をついた。
◇
セーナから、護衛シフトにライを加えたいという話を聞いたのは数日後のことだ。
気心が知れたロシナアムとライ、この二人でまかないたい。そういう内容だった。
ひょっとして、セーナは何かに気づいたのだろうか? そう思ったけれども、彼女が何も言わないことをこちらから尋ねることは、なぜだか憚られた。
正直なところ、ライがセーナのことを好いているのは知っているので、苦渋の決断ではあった。ロシナアムからライの無体についても報告は受けている。
しかし、セーナ自身はライを何とも思っていないことをよく知っているし、彼女が安心した毎日を送ることのほうが遥かに重要だ。
彼女の隣に立ち、何者からも守る存在は、自分でありたかった。つくづく魔王とはままならない立場だと思い、ため息が出た。
――後日の中枢議会にて、ライの処罰は減給10年間、およびいくつかの勲章を剥奪することとなった。王妃の数少ない友人を兼ねていること、王妃自身が彼を護衛に望んでいること、そして私もそれを容認することが減刑要素となった。
異例とも言える軽い処罰に、沙汰を伝えたライは目を見開いて驚いていた。
「そなたの働きに期待している。セーナをあらゆる危害から守り、健やかに生活できるよう、その身を賭して励むように」
私の視線を、彼はしっかりと受け止めた。
「大いなる正義のために、私の誠意を捧げます。いついかなるときも妃殿下の盾となり、そして我が運命は妃殿下とともにあることを、剣に誓います」
跪いて頭を下げるライの肩に、私は剣の腹を乗せた。




