高血圧は万病のもと
「えっ? ごめん、何か言った?」
ライがボソッと何か言った気がするけど、白桃ジュースを注ぐ音でよく聞こえなかった。
グラスを手に席に戻ろうと振り返ると、かたい何かにぶつかった。
「わわっ……っと! 何!?」
その何かに、いきなりぎゅっと抱きしめられた。
ジュースがこぼれそうになり、腕を伸ばして必死に水平を保つ。
「あのさあ、セーナ。俺ならさ……絶対にお前を悲しませたりしない。愛人なんてちっとも欲しくないし、いつだってお前の側にいて、支えになる」
「は、はいっ??」
私を抱きしめたライは――とてもか細い声で呟いた。
ライの心臓の音はとても早くて、身体は服越しにも熱かった。
(ライ……? その言い方じゃ、まるで――)
彼の長いポニーテールが、私の鼻をくすぐる。銀糸のような綺麗な髪の毛は、訓練後のはずなのに、すごくいい匂いがした。
いったい何がどうなっているのか。
呆然とグラスを持ちながら、私はされるがままになっていた。
「ライ。不敬ですわ、離れなさい」
ロシナアムの鋭い声が響いた。
部屋の隅に控えていたはずの彼女が、私たちの間に割って入った。
ライが腕に力を入れてちょっと抵抗を見せるも、ロシナアムが力任せに引き剥がした。
「あなたは何を考えているんですの? いくら昔馴染みとはいえ、今やセーナ様は王妃ですわ。本来気安くお声をかけることすら憚られる立場のお方です。このような言動が許されると思いますの?」
「……」
項垂れるライ。
(ど、どうしよう……)
なんだか、変なことになってしまった。
ライは一体どうしちゃったんだろうというのもあるし、ロシナアムが暗殺者モードに入ったのも怖い。でも、気の利いた一言が何も出てこない。
「今起こったことは、陛下にご報告しますからね。さ、セーナ様。帰りますわよ」
「あっ、う、うん……」
ロシナアムにぐいぐい手を引かれ、あっという間に騎士団寮から離脱した。
ロシナアムがぶつくさ何か言っているけれど、私は先ほどのライの様子を思い出していた。
(ライ……一瞬私のことが好きなのかと思ったけど、そんな訳ないじゃない。あれでライは優しいから、きっと私を励まそうとして気を遣ってくれたんだわ。あるいは若いのに高血圧になってしまって将来に不安を感じている可能性もあるわね……。昔からお世話になってばかりだから、何か私にできることはないかしら……? そうだ、ここは私がひと肌脱いでお嫁さんを探してあげましょう! ライは恰好いいけれど外では無愛想だっていうし、そもそも騎士団は出会いがないって聞くもの。私が仲介すれば、ライも少しは安心してお相手と会えるんじゃないかしら。あとは高血圧にいい漢方も作って渡しましょう。うん、それがいいわ!)
そう決意した私は、夜デル様に事情を説明し(もちろんジョゼリーヌと愛妾のあたりは伏せて)、ライを護衛にすること、彼には高血圧という持病がありそうなので、早めにお嫁さんを探してあげることの許可を得たのであった。
◇
「はあ、俺、何であんなこと……。まるで獣じゃん……」
ずっと抑えてきた想いが、最悪の形で露呈してしまった。
セーナが陛下の婚約者になったと聞いたとき、自分の気持ちには蓋をしたつもりだった。でも、冥界事変で陛下が倒れて以降――セーナはすごく大変そうで、それを黙って見ている陛下がすごくもどかしかった。
もちろん、俺は陛下を尊敬している。何者でもなかった俺を強くしてくれたのは陛下だ。その器の広さを知っているからこそ、余計に何故という思いがあった。
いつしか心にしていた蓋は少しづつ開き――先ほど俺はついにやらかした。
言い訳になるけど、セーナの正式な護衛になるとか、き、着替えを手伝うとか、ちょっと急展開過ぎて頭が付いて行かなかった。そのうえ、愛妾の話だろ? 本当、城の連中はセーナの事なめすぎだろ。ふざけるのも大概にしろよ、だったら喜んで俺が――なんて考えていたら、勝手に身体が動いていた。
セーナとロシナアムが去って小一時間経つけれど、座った椅子から動くことができないでいる。
タイミングとやり方は間違えてしまったけど――あいつに言った内容は、紛れもなく本心だ。陛下と一緒にいるのが辛ければ、俺はいつでもセーナの力になりたい。いや、できることなら、この手で幸せにしてやりたい。彼女が俺の隣で笑ってくれる毎日を思うだけで、全身が熱くなる。
「こじらせ童貞め」
カイ兄の声がふと頭に浮かぶ。この気持ちは誰にも話していないのに、なぜかカイ兄は気づいていて、顔を合わせるたびにいじってくるのがムカつく。自分が幸せだからって、最近いっそう調子乗ってるんだよな兄貴。
「あーあ、騎士団、クビかもな」
背もたれに寄りかかり、はあ、とため息をつく。
王妃様を抱きしめるなんて、不敬もいいところだ。むしろクビで済めばいい方かもしれない。投獄っていう可能性もある。
「まー、いっか。元々、あいつがきっかけで入った騎士団だしな。気持ちを伝えられて辞めるなら、アリだな」
着ている訓練服に目を落とす。
この11年間、無我夢中で走ってきた。次こそは大切な人を守れるようにと、己を限界まで追い込んで訓練に打ち込んできた。幸い剣の才能があったみたいで、末端の食料兵から副騎士団長にまで上り詰めた。胸元に付くたくさんの紋章は、これまでに立ててきた武功の証だ。
「本当に欲しいものって、手に入らないもんだな」
はは、と乾いた笑いをこぼす。
明日には退団勧告が来るだろうな。いや、今夜かな? なんて考えながら、俺は鉛のような足に力を込めて多目的室を後にした。
みなさまよいお年をお迎えください。
本作と出会ってくださり、ありがとうございました。




