俺じゃだめなのか?
河童さんが引いてくれた椅子に腰かけて、あたりを見回す。騎士団寮の多目的室は広い部屋の半分が遊戯エリアになっていて、もう半分が応接用のエリアになっていた。
部屋の奥側――遊戯エリアにはビリヤードらしき台が3つ並んでいて、壁にはダーツのような的が掛かっている。他にも、本棚があったり細々としたボードゲームのようなものが雑多に積まれていたりと、なかなか楽しそうなものが揃っている。
小さいけれどバーカウンターのようなものもあって、お酒っぽい瓶と透明なグラスがいくつか並んでいた。
「お酒ではございません。それがし共は騎士ですから、いつ何時でも出動できるように飲酒は禁止となっています。あちらに並んでいるのは、全てただの果実飲料です」
私の考えていることに気づいたのか、河童団長が苦笑いをする。
「そっ、そうなんですか! すみません、騎士団の皆さんは厳しい規律があると聞いていたので、少し意外だったというか。思っていたより自由度があるみたいで、安心したんです」
「まー確かに厳しいけど、自由にできることも多いぜ。街に出てもいいし、食事制限もないし。ただ酒と女関係には厳しいよなあ。ほら、だって陛下はどっちもやらないだろ? 結局そういうことさ」
ライが言うには、この国のトップであるデル様が騎士団の模範となる存在らしい。逆に言えば、それは国王に課された責務の一つでもあるようで、自分がだらしなくなれば騎士団もだらしなくなるというシステムになっているそうだ。要は、国王たる者守るに値する人物であり続けよということらしい。
「お互いがお互いを見張っているようなものなのねえ。上手く考えられているわ」
ほほうと感心する。
と同時に、女関係かあと思って、これから話そうとしていることに気が重くなる。
「あー…、それでですね。本題に入りますけれど、河童さん、念話でお伝えした通りなのですが、ライを週に2日ほどお借りしたくて。許可いただけないでしょうか?」
河童さんに事情は既に軽く伝えてある。
ロシナアムは週休二日制だから、その穴をジョゼリーヌではなくライに埋めてもらいたいのである。
「それがしが許可だなんて、とんでもない! どうぞこき使ってやってください。むしろ、ライは喜ぶでしょうな。心優しいセーナ殿下は気にされるかもしれませんが、ライが受け持っていた仕事は若手に分担させますので、そのあたりのご心配は不要です」
「ななっ、なっ、誰が喜ぶか! 変なこと言うなよ団長っ!」
ガタッと立ち上がるライ。一日訓練をし終えたところだというのに、まだまだ元気な様子だ。
急な出来事に慌てふためくライは見ていて面白くて、重くなっていた心が晴れていくように感じた。
「ありがとうございます。では、ロシナアムは基本的に一の日と二の日が休みなので、その日ライに入ってもらいます。お伝えしている通り、侍女業務はもちろんなしで、護衛だけして頂ければ大丈夫です」
一の日二の日というのは、日本で言う月曜と火曜的な感じだ。
「おい! 勝手に決めるな!」というライの叫び声が聞こえるけれど、あえて無視をする。ふふ、面白いわね、これ。ライは私をからかっていつもこんな楽しい思いをしていたなんて、ずるいじゃない!
「承知しました。……しかし、それでは殿下が大変では? 身の回りのお手伝いでしたらライも少々お役に立てると思います。我が騎士団は時に使用人に扮装して任務にあたることもありますから、だいたいのことはできますよ。日々のことで特にお時間がかかるのは……女性の場合、お召し替えでしょうか? そちらもライはできますよ。騎士団では互いの装備を着せあったりするので、一通りの知識があります。むろん、騎士道に誓ってやましいことなど起こり得ません」
「俺が、姫様の着替えを!?」
ライがひときわ大きな声を出したと思ったら、彼の鼻からにゅっと赤いものが飛び出した。
「こらライ、感情的になるんじゃない。騎士たるもの、剣の腕だけではなく、常に冷静であらねばいけない」
冷静な河童さんは、しっとりした緑の頭髪から、唐突にぴゃっと水を発射した。
それは見事ライの鼻のあたりに命中し、鼻血を綺麗に洗い流した。
(す、すごい……!!)
「うっ、は、鼻に水が入った…!」とくぐもった声をあげるライに構わず、河童さんはポケットから緑色のハンカチを取り出し、彼に投げつけた。
はあ、と短くため息をつき、ニコっと私の方に向き直る。
「……殿下、お目汚しを失礼しました。そういうわけで、それがしとしては何の問題もございません。護衛でも侍女でも、何でもやらせてください。ああ、あとライは結構手先が器用でしてね、休みの日は絵を描いたりしてるんですよ。殿下の暇つぶしに何か描かせてもいいかもしれませんね」
「ライが絵を…? それは初めて知りました。ぜひ見てみたいです。ありがとうございます」
「では、細かい所はライと打ち合わせて頂けますでしょうか。失礼ながら、それがしはこの後陛下と面会することになっておりまして……」
「あっ、そうでしたね。お時間ありがとうございました。ライがシフトに入ることは、あとで陛下にお話ししておきます」
そうだ、そういや今日は四の日だから、中枢議会の定例会があるんだったっけ。
キリッと礼をして退室する河童さんを見送り、いまだ呆然と立ち尽くしているいるライに声を掛ける。
「ふふ、ライ、そういうことなの。びっくりした? え、ライ大丈夫? 顔がすごい真っ赤よ。鼻血も出ていたし、もしかして高血圧なんじゃない? えっ、何でもないから気にするな? いやいや、一度検査した方がいいと思うよ。高血圧はいろんな病気の元になるんだから」
「本当に何でもない。何なんだよもう……」
ごしごしと鼻の下をこすったライは、ドカッと椅子に腰かけた。
「……で? 何で俺がジョゼリーヌの代わりなの? いや別に、やるのは、い、いいんだけどさ。何かあったのか?」
「あ~。実はね――――」
お願いする以上、事情を話さないわけにはいかない。
ロシナアムと河童さんにしか言ってないから口外しないでほしい、と前置きしたうえで、ことの経緯をライに話した。
「――というわけなの。なんで代わりがライかっていうと、昔から知っているから気を使わないし、ジョゼリーヌみたいに……私に嫌な感情を持つこともないかなって。ライは時々意地悪だけど、私の事が嫌いでしてるわけじゃないって分かるもの」
ライは昔から、私の地味な容姿をいじったり、何かとからかってきたりするけれど、愛あるいじりだと分かっている。男だからデル様にどうこうという気持ちもないはずだし、彼が一番適任だと思っているのだ。ただ、ライもかなり整った顔なので、王城のメイド達が騒ぐ可能性はある。騎士団とはかなり違う職場環境になりそうだというのは申し訳ないと思っている。
「……姫様さあ、」
はあ、と大きくため息をついたライ。
一息ついて、ミドリムシのように綺麗に澄んだ緑の瞳が、私の目を捕えた。
いつになく真剣なその眼差しに、思わず目を見開く。
「本当に大丈夫なのか? 愛妾うんぬんのこと、陛下には言ってないんだろ? お前ばっかり我慢して、幸せなのか? 国のため陛下のためってこんなに頑張ってんのに、正直ふざけてんだろ」
首をかしげるライ。綺麗な銀色のポニーテールが、さらりと揺れた。
「うん……。そう、思わないこともないけど。でもね、いいの。もちろん、もやもやはしたよ? けど、私は知ってるから。デル様は、国のためにならないことはしないって。だから……もし愛妾を取るならばね、それは国全体のことを考えてのことだから、私が口を出すことじゃないの」
「姫様……」
「私は自分のやるべきことをやるだけよ。国のため、デル様のためにね。だから今、すごく大事な研究に取り組んでるの。安心してそれに打ち込むためにも、ライの護衛が必要なのよ」
唇をかみしめるライ。
別に、ライ自身が嫌な思いをしたわけじゃないのに、すごく悔しがってくれている。
「ありがとうライ。ジョゼリーヌのことは残念だけど、こうやって代わりに悔しがってくれる人がいて、私は幸せだよ」
精一杯微笑んでみると、ライは目を丸くして、パッと俯いてしまった。
「大丈夫? 怒ってくれたから、また血圧が上がったんじゃないの? ごめん、手短に済ませるね。まあ、そういうわけだから。仕事内容は今まで何度かしてもらったような護衛だから、特に打ち合わせることもないのよね。ああ、着替えの補助はいらないから。でも、暇なときは話し相手くらいしてもらえると嬉しいかも! あと絵も描いてほしいから、画材も持ってきてね! さっそく来週次の一の日からお願いね」
ライは俯いたまま、微動だにしない。
「……ライ、本当に平気? お水持ってこようか?」
ライの顔を覗き込むと、鼻血は出てないけれど、やっぱり顔が赤い。
「っ……! やめろ、今近づくな!」
「あっ、ごめん」
やっぱりいつものライじゃない。これは、抜き打ちお部屋チェックは後日にして、もう帰ったほうがよさそうだ。
遊戯エリアにあるバーカウンターへと、飲み物を取りに行く。
林檎、蜜柑、葡萄、白桃。いくつか並んでいる果実飲料の瓶を眺めて、白桃ジュースを手に取る。
ライは鶏屋時代、よく桃を齧りながら店番をしていたから、きっと好きなんだろうと思う。
と、なぜかすぐ側からライの声が聞こえた。
「なあ、姫様…………俺じゃだめなのか?」




