角再生計画、始まる
一週間の強制休養が解除された私は、いろんな意味で研究に飢えていた。
私室でじっとしていると嫌でも愛妾問題のことを考えてしまうし、頭が鈍っていくのも嫌だった。
幸い、あの日以降ジョゼリーヌと顔は合わせていない。週に最低1日はロシナアムが休みだから、次の出勤日はもうそろそろだと思う。――そのことを考えると憂鬱になる。
(他の侍女に交代してほしいと言ったら怪しいわよね……。うーん、またライとか来てくれないかな? 身の回りのことは自分でできるし、護衛の役目だけしてもらえれば大丈夫なのよね。あとで相談してみようかしら)
と、そんなことを考えながら魔法陣で出勤する。
独特の浮遊感がおさまったころに目を開ければ、グレーの大理石が素晴らしい、開けた空間にいた。
約10日ぶりの研究所。そう長い期間ではないはずだけど、随分と久しぶりに感じる。大きく深呼吸して、世界の英知と探究心が詰まった空気を吸い込む。
(はぁ~、生き返るわあ! 研究所の空気はどうしてこんなに美味しいのかしら。呼吸しているだけでエネルギーが湧いてくるわっ!)
私に気づいた職員たちの挨拶を微笑みで返す。私が生粋の研究狂ということはもうみんな知っているので、不審な目で見る者はいない。ロビーで心ゆくまで深呼吸して感慨に浸った私は、所長室へ向かう。
「おはようセーナ。あんたにとっては、随分つらい一週間だったんじゃないか?」
「いや~、まさにその通りですよ。研究も何もできなくて、発狂するかと思いました」
身支度を整えて実験室に入ると、サルシナさんがもう来ていた。くるくる回る椅子に腰かけて、手持無沙汰な様子だ。
「で、今日からは何するんだい? 今後抗生剤の方は、王都中央病院の治験委員会が動かすんだろう?」
通常、治験に関しては研究所ではなく、病院が主導となる。日本の場合、この両者の間に「治験コーディネーター」という専門の職種が入って円滑な業務遂行を手助けするのだけれど、当然ブラストマイセスにそのような人はいない。今は私もデル様の関係で色々忙しい身になってしまったので、病院側にノウハウを伝授して、基本的にはそちらで進めてもらうことになっている。
「そうですね。治験が始まって、ある程度データが出るまで私たちは暇です。なので……ちょっとやりたいことがあるんです。いや、ちょっとというか、ガッツリやりたい次の研究テーマです」
サルシナさんの隣に座り、ちょうど話そうとしていた内容のメモ用紙を見せる。
どれどれと覗き込んだサルシナさんは、眉をしかめる。
「再生、医療……? また、初めて聞く単語だねぇ。って……セーナ、もしかして、あんた……」
何かに気づいたようなサルシナさん。
まさか、という驚きの表情をたたえて、私を見た。
「サルシナさんの予想通り……だと思います。私はデル様の角を、再生させます」
泰然と答える。
難しい挑戦になることは予想に難くない。でも、私は必ずやり遂げる。できるできないではなく、できるまでやるのだ。そこに、私の存在価値があるのだから。
「そんなことできるのかい……? 治癒魔術なんて、伝説でしか聞いたことないよ」
「治癒魔術ではありません。再生医療は、科学に基づいて、理論的に臓器を再生させる技術です。ただこれは、今まで私がお教えした技術とはちょっと違います。抗生剤とか漢方薬なんかは、既に偉大な先人たちが完成した方法を真似しているだけなんです。でも、再生医療は元の世界でも発展途上の技術で……まだまだ未知な部分が多い、いわば未開の分野なんです。だから、試行錯誤しながら取り組むことになります」
「セーナがそう言うぐらいなら、よっぽど大変なんだろうね。……でも、あんたが出来るっていうんなら、あたしは着いていくよ。……正直なところ、陛下の容体はだんだん悪くなっているみたいだし、心配してるんだよ」
無音のため息をつくサルシナさん。デル様の容体は極秘情報だけれど、彼女を始めとした幹部クラスの魔物には、どこからか情報が入っているみたいだ。
「フラバスでもお手上げっていうから、気が気じゃなかったんだ。ほら、あたしゃ陛下が小さい時から知ってるからさ、これじゃああんまりだと思って。……セーナ、あんたが陛下に嫁いでくれて、本当に良かったと思ってる。陛下を救えるのは、間違いなくあんたしかいない。魔族を代表して礼を言うよ、本当にありがとうね」
彼女の言葉は、熱い紅茶に砂糖を入れたように、じわりと胸に溶けていった。
ここ最近、自分の存在意義についてずっと悩んでいたからか――私は間違っていないのだと、そう勇気づけてくれるような心持ちにさせた。
(愛妾なんて、デル様の生死に比べたらちっぽけなことだわ。彼が健康で楽しく過ごせるのなら、それが一番じゃない)
憑き物が落ちたかのように、さあっと心が晴れ渡る。
デル様は、私だけのデル様じゃない。国の、そして、魔族の方たちにとって何物にも代えがたい聡明な魔王様だ。王妃とはただ寵愛を乞うのではなく、王を支え、国の安寧を願うべき存在だ。その本質が今、身体にすとんと落ちてきたような感覚だ。
「ふふ、嬉しいですけど、褒めるのは研究が成功した時にしてください。私はまだ、何も成し遂げていませんからね。じゃあ早速実験計画をミーティングしてもいいですか?」
そう、まだ始まったばかり。ここからが本番だ。
「おっ、目つきが変わったね。うん、あんたのその目つき、好きだよ。早速始めようか」
ニヤリと笑ったサルシナさんが付き出した拳に、自分の拳をコツンとぶつける。
こうして、私たちの角再生計画はスタートした。
メリークリスマス!!




