手がかり
「……そうか、トロピカリはそんな状況になっていたか」
「はい。大農場のブルーノさんのところですら、半分以上の家畜がやられていました。中小規模の農場は、死活問題になってくるかもしれません」
「なるほどな。領主から報告は受けているが、そなたからの所感も重要だ。ありがとう」
夕食後の恒例、ゴロゴロタイム。今日あった出来事をデル様に報告したところだ。
湯あみでさっぱりしたので、翼羊の生臭い唾の匂いも、薔薇の香油の良い匂いへと取って代わっている。
隣に座るデル様はゆったりとしたローブを羽織り、腰元を紐で結んだスタイル。ちらりと見える胸筋が、何とも色っぽい。
ただ、角が斬られて以降、デル様は少し痩せた。食が細くなったからなのか、単に外出しなくなったからなのか……原因はいくつか思い当たるけれど、私はそれがとても気がかりだ。
「明日と明後日も、引き続き午後はトロピカリです。どうにか解決の糸口が見つかればいいんですけどね……」
「負担をかけてすまないな。事の重要性をかんがみれば、私も視察に行くべきなのだが……。取り急ぎ、今年のトロピカリの税は軽くするように、中枢議会で審議を行おう」
「そうして頂けると、住民のみなさんも少しは安心すると思います。……でも、デル様はしっかり療養してください。デスクワークとか会議だって、別に今まで通りにしなくたっていいんですよ。宰相さんが言ってましたけど、半分くらいはデル様じゃなくてもいい仕事だそうですね? 知らない間にデル様が色々引き受けちゃうって、ぼやいてましたよ」
はは、と苦笑いするデル様。
デル様がこうなって以降、宰相さんとは密に連絡を取っている。デル様は自分自身を大切にしない傾向があるので、無理はさせないように口を酸っぱくしてお願いしている。食前に定期の漢方薬を飲ませて欲しいとか、角の色が薄くなってきたら横になってもらうようにとか、昼間のケアのポイントをメモして渡してある。
彼の妻として、王妃として、少しでも役に立ちたい。
彼に余計な心労をかけないためにも、トロピカリの件は早めに解決したい。
そう考えていると、大きな手が私の頭を撫でた。
「――苦労をかけてすまないな。連日の公務で疲れているだろうから、もう休んだ方がいい」
澄んだ夜空色の瞳に映った自分と目が合う。
確かになんだか疲れた表情をしていて、老けて見えた。恥ずかしい。
「あ……はい。そうします。……おやすみなさい」
「うむ。では、また明日」
彼の療養を第一に考えて、冥界事変以降寝室は別になっている。
そして、キスとかハグとか、そういった触れ合いも、実はめっきり減ってしまっている。
体調の問題もあるんだと思うけれど、私がいつも疲れていて、無い女子力が増々落ちてしまったからかもしれない。
(……仕方ないわ。正直今はやることがありすぎて、自分に使う時間が惜しいんだもの。デル様の手が動かないのも、無理もないわ……)
少しだけ寂しく思いながら、私は一生懸命笑顔を作って、彼を見送った。
◇
翌日。
午前中は研究所に出勤して、サルシナさんと液クロを進めた。
午後はトロピカリだ。今日はステッキーに乗って移動し、ブルーノ牧場の畜舎前でドクターフラバスと合流した。
「お疲れ様です、ドクターフラバス」
「お疲れ、セーナ君にロシナアム」
ドクターフラバスは、白衣ではなくツナギのような作業着を着用していた。
胸とお腹のあたりが赤黒い血で汚れている。既に診療に入っていたのだろうか。
お互いに、一晩考えたことを報告し合う。
「あれは、よくある家畜病ではないね。じゃあ何だと言われると、そこまでは分からないんだけど。さっき死体を解剖したのだけど、どの個体も肝臓がひどくやられていたよ」
「肝臓ですか。ひどく、と言うと?」
「見る? 肉腫というか、ガンかなあれは。肝硬変状態のも結構あったね」
「見ます。ロシナアム、大丈夫?」
「大丈夫ですわ! わ、わたくしは獣の臭いがだめなのであって、死体の類は腐るほど見てますから。見くびらないでいただけます!?」
啖呵をきるロシナアムだけれど、その顔にはしっかりマスクが装着されていた。
(あの柄は、アラクネ商店のものね。『蜘蛛女謹製! どんな臭いも菌も、99.9%シャットアウト!』というキャッチフレーズの商品だったような……)
アラクネ商店は、10年前の疫病を機に売り上げを伸ばした新興商店だ。店主アラクネは蜘蛛の魔物で、彼女が織るマスクや防護服は品質・性能ともに確かで、研究所でもたまに発注している。
そんなことを考えつつドクターフラバスについて畜舎の裏手に回り、解剖された豚たちを確認する。
「……確かに、肝臓が著しくやられていますね」
他の臓器に比べて肝臓は色味が悪く、明らかな腫瘍を認めた。
そっと手を合わせて、その場を辞する。
「いったん中に入って、方針をまとめようか。ブルーノももうすぐ来るみたいだから」
「分かりました」
畜舎から少し離れた、事務棟へと向かった。
◇
「今回の異変は、何らかの原因で肝臓を障害されていることが原因だね。一度にみな発症していることから、家畜によくある鋸屑肝ではなく、別の病気であることが推測される」
「げ、原因はわからないんでさ?」
農作業がひと段落して合流したブルーノさんと、テーブルを囲む。
ブルーノ農場は大きな農場なので、多数事務員さんを雇って書類仕事をしてもらっているらしい。そんな事務棟の休憩室にて、ミーティングは行われている。
「今の時点では何とも……。ただ、数か月前から弱り出したっていうのが気になるんだよね」
くいっと眼鏡を上げながら、首をかしげるドクターフラバス。
「ブルーノさん、その時期に何か変わったことはなかったですか?」
「か、変わったことかぁ……。う~ん、変な天気もなかったし、毎日ちゃんと放牧していたし、水も餌も切らさず与えてたしなあ……。あー、餌の内容をちっとばかし変えたけど、初めて食べるモンでもないからなぁ。う~ん、あっしには、心当たりないです」
「餌を変えたんですか?」
「あっ、ああ。つっても、いつもの餌に落花生を混ぜただけだよ。セーナ殿下が新しい肥料を開発したおかげで穀物の収穫量が増えたからさ、備蓄していた古いやつは消費しちまおうと思ってよ。でも、落花生自体は前々から食べてるもんだから、食べ慣れないもんで身体を壊したってことは無いと思うけれども……」
「そうだねえ。ブルーノの言う通り、初めて食べるってのなら身体に合わなかった可能性もあったけど――」
(落花生……備蓄……古い……肝臓にダメージ…………まさか……?)
これまでに得た情報から、ある可能性が頭の中に浮かび上がった。
「っ!! ブルーノさん、その落花生を見たいです。備蓄しているところへ連れて行ってもらえませんか?」
「あっ、ああ……もちろん。畜舎のすぐ外側です」
「セーナ君、何か分かったのかい?」
「もしかしたらですけれど、思い当たることがあります。でも、まずは現物を見てからです!」
ブルーノさんの案内で、さっそく餌を備蓄している倉庫へ向かった。




