病気のスイニー
ゴゴ、ゴゴゴゴ――――
引きずるように、金属製の扉が開かれる。
同時に、むわっとした獣臭さと鼻を突く臭いが私たちを襲った。
「う……っ」
思わず鼻を押さえる。
研究員時代は実験用の動物を飼っていたから、ある程度は臭さ耐性があると自負している。しかし、それを余裕で上回る悪臭だ。
隣にいるロシナアムも口元を覆って、ひどく気分が悪そうな顔をしている。
薄暗い畜舎の中は、左と左に一列ずつスイニーたちがいて、中央の通路に面して餌が置かれている。地元北海道でよく見た牛舎と同じような造りをしていた。
しかしその中は、元気な鳴き声ではなく、荒々しい呼吸音だけが響き渡っていた。
どの個体も、ひどく衰弱していることが一目で分かった。干し草に身を横たえ、膨らんだお腹が苦しげに上下している。
「――ここはスイニーの畜舎で、他の動物は別の畜舎にいます。でも、どこもこんな様子なんでさ……。外にいたのが元気な連中で、そいつらとは畜舎を別にしてます。でも、あんまし意味がないように感じますね。元気なやつらも、段々弱ってきて、こっちの畜舎に移動するようになるんです」
ブルーノさんが、悲しげに微笑みながら説明する。
「なるほどね……。随分具合が悪そうだ。さっそく診察しようか」
さすが百戦錬磨のドクターフラバス。この異様な光景に動じることもなく、往診カバンを開く。
淡々と白衣とマスクを着用し、手袋をはめる。いつものゆるい雰囲気が一転し、医者モードに入ったことを感じた。
「分かりました。私もマスクと手袋を出しますね。……ロシナアム、あなたには色々とキツイでしょうから、扉の外で待ってて大丈夫よ」
「い、いいえ。大丈夫ですわ! ちょっとビックリしましたけど、血生臭いのは慣れてますの。いつものようにここで待機してますわ」
彼女の本職は暗殺者。血生臭いのは慣れているが、獣臭いのは苦手ということみたいだ。
いつものように入り口付近で護衛態勢に入る。
近くに横たわっている一頭に近づく。
白と黒のぶち模様になっている毛並みは、がさがさしていて艶がない。本来丸々と太っているはずの身体は痩せており、骨格が浮かび上がる一方、お腹だけがポコンと膨れている。
ドクターフラバスは干し草に跪いて、あちこち押してみたり、口の中を診たりと確認を始めた。
「……数か月前から、徐々に弱り出してね。あっという間に死んじまうやつもいれば、徐々に弱っていくやつもいる。段々と食欲が落ちて、乳の出が悪くなって……で、便に血が混じるようになる頃にはもう寝たきりになっちまうんだ」
柵にもたれながら、ドクターフラバスの手元を切なそうに見るブルーノさん。
「こいつらは、家畜だけど……あっしにとっては家族みたいなもんなんだ。毎日朝から晩まで一緒にいて、言葉は通じないけどさ、何を考えてるのかお互い分かるんだ。出荷されるその日まで、あっしはこいつらを幸せにしてやる義務がある。こんな姿、あっしは見てられないよ……」
「ブルーノさん……」
唇を噛むその姿に、家畜たちへの愛情が滲み出ている。彼にとって家畜たちは、相棒のような存在なのだろう。私に置き換えて考えてみると、日ごろお世話になっているサルシナさんだったり、愛情を持って育てているタマ菌のようなものなのだろうか。
それらが原因不明の病気で苦しんでいると思うと、確かにやりきれない。あらゆる手を尽くして、どうにかしたいと思うのは自然な感情だ。
「どうにかお役に立てるように頑張りますね。ドクターフラバス、私も診させてもらっていいですか?」
「ああ、いいよ」
彼の隣に膝をつき、スイニーの顔を覗き込む。
力のない様子だけれど、ちらりとこちらを見たつぶらな瞳は「助けて」と言っているように見えた。
私は薬剤師だから、いわゆる医者的な診察は専門外だ。ドクターフラバスという優秀な医者がいる以上、そこは求められていない。
(漢方の四診を適用してみましょうか)
漢方は人間どころか魔物にも効果があるのだから、家畜にも効く可能性は高いだろう。日本でも、ペットに漢方薬を飲ませている人がいたことを思い出す。
(愛する猫ちゃんが食欲不振なのよ! って駆け込んできたマダムがいたわね)
薬局で実習していた時のことを思い出した。どの世界でも、動物は人間の良きパートナーなのである。
漢方の四診とは、診察の手順のようなものだ。これに従って患者情報を収集し、適切な処方を選択する。家畜相手に問診はできないから、それ以外の切診、望診、聞診を行っていく。
望診(目から得られる情報)――ひどく痩せ、腹部のみ膨満。毛艶はなく、ところどころ脱毛あり。舌は痩で黒。
聞診(耳から得られる情報)――呼吸音、苦。口と便から腐敗臭。
切診(触診)――脈は弱くて浅。腹は柔らかいが、奥に抵抗あり。
(――こんなところね。内臓になにか問題がありそうな気がするわ)
ううむ、と首をひねる。
知っている内臓疾患を次々思い浮かべて、スイニーの状況と照らし合わせていく。
「――――もういいかい、セーナ君。他の畜舎も診てみたいんだけど」
「あ、はい! 大丈夫です。行きましょう」
考えをいったん中断する。とりあえず、全体の状況を把握することが先だ。
「あとは豚と鶏と翼羊が、別の畜舎にいます」
――ブルーノさんの案内で、全ての畜舎を確認した。
豚と鶏はスイニーと同じような症状を呈していたものの、翼羊だけは元気だった。
(種差によるものなのかしら? それとも……)
診察を終えた時点で、日は暮れていた。
翼羊に吐きつけられた唾で、身体中が臭う。
今日の所は状況確認で終了とし、王城へ帰ることになった。




