バルトネラの依頼人
1月の空は寒い。凍傷にならないように、頬までグッとマフラーを引き上げる。
ロシナアムの必死の訴えが理解された結果、今日ステッキーはかなり高度低く飛んでくれている。
いつもは雲の中を飛ぶのに対し、街の上空すれすれを通っている。お城の上空を通り過ぎる時、演習場で訓練をしている河童団長とライの姿が見えたくらいだ。
(何だかんだで、ステッキーはいいドラゴンね)
出発して10分もすれば、眼下には街ではなく自然が増えてきた。畑、森、渓谷へと風景は流れていき、やがて切り立った山脈地帯に入って行った。それに合わせて、体感温度もグッと下がってきた。
「すごいわ……。ブラストマイセスにもこういう土地があったのね……」
のこぎりの歯のような山々は、ところどころ白く、雪が残っている。山脈はえんえんと連なっており、地平線まで続いている。どこに終わりがあるのか分からないぐらいだ。
先ほど通過した畑より以西が、バルトネラ領土である。古の召喚人たちの手によって整備されているとはいえ、まだまだ自然が多い土地のように見えた。
「魔族のみなさんは、過酷な環境で暮らしているのですね」
「……そう思うのは人間だけサ。俺たちは別にしんどくなイ。魔物だからナ」
ロシナアムはぎゅっと目を閉じて私にしがみついているので、ステッキーと会話する。
「でモ、退屈ではあったナ。見ての通りバルトネラは自然しかねェ。面白いことを求めてモ、うかつに人間の国に出ていくことはできなかったシ、他の国に行くのも理由がなきゃだめだっタ。……厄介なんだよナ、魔物って種族ハ。その気がないのニ、どうも好戦的に思われるらしイ。だかラ、こうして自由な国になったことに感謝してるゼ、王妃サマ」
「私じゃなくて、陛下――魔王様のおかげですよ」
「魔王様ハ、ずっと悩んでたからナ。魔族にもっと自由をもたらしたかったけド、フィトフィトラの奴らは強欲だっタ。魔王様が考えた友好案をことごとく突っぱねやがっテ。あげく戦争なんかふっかけてきテ、魔王様は病気になっちまっタ。それを救ったのが王妃様ダ。魔族の英雄サ、黒い女神サマ」
「ど、どうも。役に立てているなら嬉しいです。……でも、その呼び方は恥ずかしいのでやめてください」
「ふぅン? いい呼び名だと思うんだけどナ。王妃様のことハ、サルシナからくれぐれもよろしくって聞いてるゼ。まァ、心配しなくてモ、バルトネラの奴らは大歓迎だから心配なイ。――そろそろ着陸態勢に入るゾ」
水平を保ちつつ、器用に高度を下げていく。
そのことを感じ取ったロシナアムが、腕を握る力をゆるめていく。
「……そろそろですの?」
「うん、もうすぐみたい」
岩っぽい山並みがどんどん近づいてくる。
山と山の間、渓谷になっているところにステッキーは着陸した。
背の低い草や木がところどころ生えていて、小麦粉のようにうっすら雪が積もっている。
ステッキーの背から降りて一歩踏み出せば、シャリ、と霜が潰れる音がした。
「ふぅ~、寒いわね、やっぱり」
息が白い。
防寒ポンチョを着ているとはいえ、露出している肌が冷える。上空とはまた違って、底冷えするような寒さだ。
「はぁ、ようやく着きましたのね。――ええと、ここで待っていれば迎えが来ると聞いていますわ。あっ、もしかしてあの方かしら」
ロシナアムが指差す方向を見れば、川の上流から、どんぶらこと流れてくる人がいる。
(え、あれがお迎えなの? 溺れてるんじゃなくて!? てか、――人??)
私たちが佇むあたりまで漂着し、ちゃぷんと水からあがるその人物。
上半身は人間だけれど、腰から下は魚だった。そして茶色の長い髪に、くりっとした大きな瞳。
よく物語に出てくるような人魚。まさにそれだった。
「人魚だナ。ってことハ、依頼主はセイレーンってとこカ」
上陸した人魚はこちらに手をふりつつ、器用に下半身をくねらせながら向かって来る。
(人魚!! すごいわ魔族領!! ……裸でびしょ濡れだけど、寒くないのかしら!?)
「寒くねぇヨ。俺ら魔物はそういう生き物ダ」
私の心の中を読んだかのように、ステッキーがつぶやく。
「王妃様、ようこそおいでくださいました! このたびはご結婚おめでとうございます。まあ、本当にお可愛らしいお方なのね」
人魚は美人だった。美人だし、スタイルもよかった。
女同士とはいえ、目のやり場に困る。
あなたの方がよほど美人ですよ、とは言わず、「ありがとうございます」と返しておく。
「ささ、お屋敷に向かいましょう。ステッキーも来てもいいけど、どうする?」
「いヤ、俺はここで待ツ」
「そう。えーと、王妃様は魔法が使えないんでしたのね。では、わたくしがシャオムを出しますね」
「すみません、ありがとうございます」
シャオムって何だろうと思いつつも、お礼を言っておく。
人魚は川の水をすくい、口に含んだ。
そのままふーっと息を吐くと、風船ガムの要領で水のボールが膨らんでいく。
人魚は息継ぎなしてどんどん膨らませていき、私とロシナアムが入れるぐらいの大きさになった。
(……素晴らしい肺活量ねぇ)
そのボールがシャオムなるものらしい。
促されるままにシャオムに足を踏み入れると、それは弾けたりせず、足裏にしっかりとした強度が感じられた。
人魚が優雅に手を動かすと、シャオムはすい~っと水面を滑り始めた。
そのままぐんぐん川を上っていく。歩くより、こちらの方が早いらしい。
シャオムは人魚の能力で作る特殊なボールらしく、濡れないし勝手に動くしで、なかなか楽しい移動だった。ロシナアムは怖がっていたけど。
「ここがセイレーン様のお屋敷ですわ。ささ、お待ちかねですのよ」
10分ほど上ったところでシャオムが止まり、私たちは再び上陸した。
ボール内部からはぼんやりとしか風景が見えなかったため、眼前に広がる光景に驚きを隠せなかった。
「……豪邸ですのね」
ロシナアムが感嘆の息をつく。
(確かに眩しいわ……)
川辺に立つ金色のそれは、まるで宮殿かのような豪華さだった。
王城よりは小さいものの、派手さで言ったら何倍も上だろう。主人の趣味なのか、金色を基調にした建物。タマネギみたいな形の屋根には細かいアラベスク模様が描き込められていて、アラジンでも出て来そうな感じだ。
人魚の案内で、豪勢な門をくぐる。
扉を開けると、女性の怒号が飛び込んできた。
「まったく、いったいいつまで待たせるのよ!! このアタシを待たせるなんて、どういうつもりなのかしら!? もういいわ、どうせ治せないんだから、時間の無駄よ。部屋に戻るわ!」




