魔族領へ
今日も今日とて、私は実験と往診に勤しむ。
午前中は大量培養したタマ菌に有機溶媒をぶっかけてきた。これにより、タマ菌が産生しているイイ成分が抽出できるのだ。サルシナさんに「絞り」は任せ、私は午後恒例の往診へ向かう。
研究所のロビーでロシナアムと合流し、ドラゴン乗り場へ向かう。
カバンから手帳を取り出し、午後の予定を確認する。
「今日はバルトネラね。喉の痛みが引かない者一名の治療、と」
通常の痛み止め薬草では、効かないということらしい。そもそも魔族は自己治癒力の高い種族なので、治らないし薬草も効かないというのは不思議なことである。
念のため、棺桶に入れて持ってきたカロナールを往診カバンに入れてきている。
実はこの往診カバン、魔王家秘蔵の魔術具なのだ。見た目は華奢な黒いショルダーバッグなのだけど、中身はいわゆる四次元ポケットのようになっていて、無限に物が入るのである。はるか昔、荷物の多い王妃様がいて、なら全部持っていけばいいだろうと当時の魔王様が作ってあげたものらしい。
それが愛なのか、はたまた支度に待ちくたびれただけなのかは分からないけど、私としては非常にありがたい逸品である。漢方の生薬だって解剖セットだって、全部入るのだから。「セーナの役に立つんじゃないか?」とデル様が持ってきてくれた時は、ひっくり返って喜んだ。
「バルトネラはこの国の最西にある、魔族領ですわ。今でこそブラストマイセスの一部ですけれど、かの戦争の前は独立した国でしたの。馬車が通れる場所ではないので、今日もドラゴンですわ……」
お供のロシナアムが補足する。
今日も苦手なドラゴンに乗らねばならず、その顔はげっそりしている。
「王妃教育で少し習ったわ。もとは人間が治めるフィトフィトラ王国と、デル様のバルトネラ王国だったのが、今は一つになってるってことよね」
「おっしゃる通りですわ。ですから、陛下にとっては故郷ということになりますわね。ブラストマイセスになってから、ちらほら人間も移住しているみたいですけれど、住民はほぼ魔族ですのよ」
「デル様も一緒に行けたらよかったのだけど……」
デル様は体調が安定しないため、デスクワーク中心の生活をしている。ドクターフラバスの判断により、剣の鍛錬とか、外出を伴う公務は自粛中である。
今日はバルトネラに行きますと朝話したところ、心底羨ましそうな顔をしていた。
「仕方ないですわよ。今はご体調を優先していただかないと。……はぁ、着いてしまいましたわ」
ドラゴン乗り場までは歩いて5分。すぐ着いてしまう。
研究所の裏手に位置するそこは、広い野っぱらだ。待機中の群れの中に、馴染みのステッキーの姿も見えた。
彼は芝生に寝ころんで、お菓子をむさぼっていた。時折ポリポリとお腹をかいており、ブレスまじりの大きなゲップ音まで聞こえてきた。
「……ステッキーっていつもいますわね? 暇なのかしら」
眉をひそめるロシナアム。彼女は貴族のご令嬢でもあるので、ステッキーの堕落した態度が気に障ったようだ。
「今はお昼休憩かもしれないよ? まあ、確かにいつもいるけど……」
自堕落なステッキーを眺めつつ、受付を済ませる。
案の定、口元にクッキーのカスをつけたステッキーが配車された。
「おッ、今日もお前らカ!! さてハ、俺の乗り心地が気に入ったナ!?」
「違いますわよ。あなたしか暇なドラゴンがいないだけですわ」
「なッ!? 俺はそんなんじゃねエ!! あーア、そういうこと言うんなラ、今日は高度を上げて飛んじゃおうかなァ~!?」
「ずっ、ずるいですわよ! わたくしたちはお客ですのよ。そんな勝手なことは許しませんわ!」
高所恐怖症のロシナアムが途端に慌てる。
二人が唾を飛ばして言い合っている間に、私は無料のドリンクを選ぶ。今日はオレンジジュースにしてみる。バルトネラは雪深い山岳地帯らしいので、無料貸し出しのブランケットと防寒ポンチョも二人分借りておく。
「ロシナアム、もういい? 早く行こう」
「ほーラ、王妃様はおりこうさんダ! つべこべ言わず乗りやがレ!!」
「ううっ……」
「……何だヨ、本気にしてたのカ? 冗談だゼ。なるべく低いとこ飛ぶシ、揺れも最低限にするっテ。ほラ、早く乗レ」
「ほら乗るわよ。約束の時間に遅れちゃまずいわ」
震えるロシナアムの背中を押して、ステッキーの背に乗りこむ。
座席には、寒冷地仕様なのか魔術具の小さなヒーターがおいてある。やはりホスピタリティが素晴らしい。
持参したマフラーと帽子をしっかり装着し、寒さに備える。翼羊というもこもこの動物の毛で織られた、とても温かい品物だ。これも、先日デル様がくれたものである。
「バルトネラまでは1時間てとこだナ! それでハ、素敵な空の旅をお楽しみくださいまセ――」
ロシナアムの悲鳴と共に、今日も私は往診へと飛び立った。




