ドラゴンタクシー
「では、仕事に行ってきます! デル様、今日もご無理はしないでくださいね」
「ああ、分かっている。気を付けて」
デル様がひらひらと手を振り、ニコッと笑ってくれる。
相変わらず美しい旦那さん。眼福眼福と思いながら私室に戻り、魔法陣で研究所へ向かった。
ロビーは出勤してきた職員でにぎわっている。「おはよう! 今日も頑張りましょうね」「おはようございます、王妃様!」なんて気軽なやりとりをしながら所長室へ向かう。
荷物を置いて、手洗いうがい。
髪をしばり、白衣をはおる。
(ええと、今日の予定はと。――午前中はタマ菌の大量培養準備ね。午後の外回りはトロピカリで1名治療か。うん、OK! ……トロピカリは10年ぶりね、楽しみだわ)
パタンと手帳を閉じて引き出しにしまう。
タマ菌というのは、先日判明した、抗生剤として薬になりそうな菌のことだ。
呼び名を決めた方が、スタッフ間で意思疎通しやすい。何がいいかなと考えて――顕微鏡で形態を観察したところ、珠のように艶のある球状だったから、珠菌と名付けた。しかし――ちょっと失敗したかもしれない。失敗の理由をみんなに説明するのが恥ずかしいので、このままにしているけど。
ちなみに、抗生剤になりそうなもう一つの菌の名前は、お皿に似ている形をしていることから、サラ菌である。
「おはようセーナ。今日はタマ菌の大量培養だね?」
所長室の続き部屋となっている実験室から、ひょっこり顔を出すサルシナさん。
「サルシナさん、おはようございます! はい、今後の実験には活性成分がたくさん必要なので、たくさん菌を培養してモリモリ成分を作ってもらいます」
実験ノートを持って、実験室へ移動する。
大量培養とは、別に難しいことはない。
十数パメラ――日本で言うリットル単位で液体培地を作り、タマ菌を入れる。それを、撹拌機能のついた37℃のタンクで、5日間培養すればいいだけだ。
――厳密に言えば、一番活性成分が多く作られる条件(培地の成分とか、温度、培養日数など)を検討する必要もあるのだけれど、それはまだ先でいい。
難しい作業ではないが、十数パメラの液体を扱うのはちょっとした重労働ではある。
もう冬になるけれど、サルシナさんと二人で汗をかきつつ、作業を行った。
「はぁ、疲れた。えーと、今日はトロピカリだから――」
昼食を済ませた私は、荷物をまとめて研究所を出る。外回りが終わったら直帰するからだ。
朝確認したはずなのに、どうやって向かえばいいのか頭から抜け落ちている。歩きながらごそごそと手帳を探していると、ロシナアムが呆れた声を出した。
「セーナ様。トロピカリは遠いので、ドラゴンでないと無理ですわ。まったく、実験が終わると腑抜けになるんですから!」
「ご、ごめん。トロピカリが遠いのは分かってるんだけど、ちょっとボンヤリしちゃって」
研究所での護衛はサルシナさん、それ以外の場では彼女が侍女と護衛を兼ねている。
現役の暗殺者である彼女は、生意気だけれど優秀だ。
研究所に隣接するドラゴン乗り場へ向かう。
今は12月、冬真っ盛りだ。ロシナアムは体のラインが出るおしゃれな赤いコートを着ているけれど、私は防寒重視だ。毛皮をまるごと使った上着を着ている。鏡を見てマタギみたいだな、とさすがに自分でも苦笑いした。
疫病をきっかけに魔族と人間が共存できるようになったブラストマイセス。私不在の10年の間に、魔族のなかには特技を生かして商売を始める者がでてきた。
ドラゴンは1時間あたり500パルで客を乗せてくれる。馬車に比べるとかなり割高だけれど、時間がない時にはとても便利だ。
ドラゴン乗り場は開けた広場にあって、まさしくタクシーのようにドラゴンが行儀よく並んでいる。1人乗りに適した小型のドラゴンもいれば、ファミリーサイズの大型ドラゴンもいる。乗り場の先頭には受付兼待合小屋があり、ドラゴンが出払ってしまっていても待てるようになっている。
「予約しているロシナアムですわ。王妃様と二人で、トロピカリまで往復します」
ロシナアムが受付ドラゴンに声を掛ける。まだ子供なのだろうか、小さくて可愛い。
「かしこまりました。今連絡しますので、少々お待ちくださいっ」
ミニドラゴンが元気に返事をして、手元の帳簿をパラッとめくる。
駐機ドラゴンに念話をしているのだろうか、しばし沈黙が流れる。
手持無沙汰の私は、壁に張られている掲示物を眺めて時間を潰す。
「安全運転」「目配り、気配り、心配り」
「あおるより ゆずるあなたが かっこいい」
「1ドリンク無料」「ヘルメット、ブランケット貸出」
(――ドラゴンは、なかなか商売上手なのかもしれないわ)
心に残る標語に、かゆいところに手が届くサービス。
魔族の皆さんは人間に無い能力を持っているから、こうしてどんどん商売につなげていってくれると嬉しい。
「お待たせしやしタ! って、セーナ様にロシナアムじゃねェカ!」
やってきたのは、先日オムニバランに行った時もお世話になったドラゴンだ。
緑色で、金色の目がギョロっとしている、イグアナをおっきくしたような見た目のドラゴン。確か名前はステッキーだ。
「こんにちは、ステッキー。またよろしくお願いしますね。トロピカリまで行きたいの」
「任せナ! おいらの速度なら30分で着くサ! あ、じゃあ、そこの扉からお好きな飲み物と、よかったらブランケットも……」
「ありがとう。いただきます」
紅茶の入った水筒と、ふわふわのブランケットを手に取る。ブランケットにはボタンがついていて、飛行中の風圧でも飛ばないようになっているものだ。
ステッキーが大きな体を屈めて、乗りやすいようにしてくれる。
大きな爪のついた腕を上り、鱗がいかつい背中に昇る。
背中の中央に座椅子のようなものがあるので、そこに座る。
「ふふ、2回目だけどワクワクするわね!」
ドリンクホルダーに飲み物を入れ、シートベルトを締める。
シートベルトというより、自分とドラゴンをつなぐ命綱のようなものだ。万が一乱気流に呑まれても振り落とされないようになっている。
「鈍感なセーナ様がうらやましいですわ。わたくし、正直言って苦手ですの」
整った顔が、大胆にひきつっている。
ロシナアムは、高い所が苦手らしい。前回乗った時は、降りてしばらくひどい顔色をしていた。
私も高い所は得意じゃない。鈍感なんじゃなくて、ドラゴンに乗るというワクワク感が、恐怖を上回るだけなのだ。
「シートベルトは締めたカ? ――じゃあ行くゾ、素敵な空の旅をお楽しみくださいまセ!!」
ばっっさ、ばっっさ、と大きく数回羽ばたく。
飛び立つときは少々揺れが気になるけれど、高度が安定すればとても快適になることを知っている。
ひゅっ、と隣でロシナアムが息を飲む音が聞こえる。
「いざ、トロピカリへ!!」
気持ちいい冬晴れの空に、私たちは飛び出した。




