第一話 ボケとツッコミ 〜私とハリセンの出会い〜 その4
いつ、どんだけ聞いても、決して慣れない言葉というのは有るもんやと思う。
(面白くない)
亡霊の放った、言葉という名の冷たいナイフが、ウチの心を抉った。
※
ねえ知ってる? フクの憧れの職業。
お笑い芸人でしょ。そりゃ知ってるよ。フクって流行には敏感だけど、話す事はお笑いと、後は精々プロ野球の話ばっか。男にも色気にも縁が無いんだもん。
だよねー。でもさでもさ、正直言って……夢を見続けるのもそろそろ止めなよって、思わない?
まあ、夢に対するあの情熱は、見習うべきかも知れないけどね。
そうなんだけどー、あたし等も来年は受験じゃん? お笑いとか言ってる場合じゃないよ。何せこの前の学年末で、体育以外全部赤点を獲得した猛者だからね、アイツは。高校行く気あんのかな。
殆どの子はもう、志望校のパンフレットまで貰ってるのにねえ。
あんたはあたしと同じ学校に行くんでしょ? 対策問題集でわかんない所が有るから、後で教えてくんない。
良いよ、一緒にやろう。それにしてもフクって、凄いよね。
うんうん。あたし思うんだけど、井の中の蛙っていう例えほど、アイツにピッタリな表現も無いよ。
「あんな面白く無いネタで、よく芸人を志そうと思えたよね」
知ってるんやで。クラスメイト達が影でこそこそ、ウチの夢をばかにしてるっちゅう事くらい。
(下世話な掛け合いをありがとう。お礼に殺してあげるんだから)
オモロいモンは笑われる。詰まらんモンは、嘲笑われる。
そんな、ワザとゴウの世界。
漫才。
「そもそも……何で、漫才なんや」
棒立ちになって――ボソリと、ハリセンに呟く。
(世間話をしてる場合? これから私に惨殺されるっていうのに)
鉄道自殺によって切り飛ばされたフトモモから血ぃ垂らし、亡霊が目の前を漂う。オモロなさそーな顔してんなあ。
「……!」
口から、泥の様なナンかが飲み込まれていくのを感じた。吐き気を催したけど、空っぽの腹から出るモンは無く、代わりに数ミリの唾と痰が、アスファルト上でゼリーみたくたゆたゆと揺れとった。憑依……された?
(ふふ、アタリ)
亡霊オンナの台詞が、くわんくわんと、脳髄にエコーする。
(憑依されても普通の人の場合、特に何も感じないはずなんだけど、その点貴方は優秀ね。そこまで敏感に反応できるのは、霊力の高い証拠。そら、体中が支配されていくのを感じるでしょう?)
ホンマやな。
動かなくなった両腕が、ゴムみたいにダラン、と、ぶら下がる。次は足。ふらふらと、線路へと歩み寄る。
死を。
覚悟した。
(ダメです、ダメなんですよお)
んなこと言うてる場合か。駄目出しせんとなんとかせい、ハリセン。第一、何がどう駄目なんや。
(未来有る人を殺すなんて、間違っていると思うんですう。あなたに殺された人は皆、こんな場所で死んで良い人達じゃなかったと思うんです。あなた自身を含めて)
そう、亡霊に語りかけるハリセン。
亡霊が、不愉快そうに眉を顰めた。
そして再び――歩を進ませる。
くそっ、体が言うこと聞かへん。
知らんうちに、線路を踏んどる。
知らんうちに、死線を踏み越えとる。
なんでやねんなんでやねんなんでやねん。
死にたくないねん死にたくないねん死にたくないねん。
そう思い、ギュ、と目を瞑った時。
バシン、と。
体を叩かれた……ハリセンに。
ハリセン「で」ではなく。
ハリセン「に」――叩かれた。
「な、ななな、何すんねん!」
(ごめんなさあい、こうするしか方法が無かったんですぅ)
クシャクシャに丸めてほかったろうかと、両手でハリセンを鷲掴みにし……気付く。
「か、体が……動く!」
そうと知ったら、こんなトコ、さっさと離れたる。線路を抜け出した所で、いつの間にかウチから抜け出して地面を這いつくばっとるオンナに向けて、ハリセンを突き出す。オンナは、不可解そうに舌打ちしおった。
(まさか私の呪縛が破られるとはね、ハリセンさん。貴方の憑依しているその道具……一体何なの?)
そン声に、先程までの余裕は無い。しめた。チャンスや。
弱りきったそン姿を見たウチは、溜まりに溜まったコイツへの鬱憤を晴らすべく、ハリセンを振り被った。
(フクさん!? いけません、傷害罪になっちゃいます!)
「あンな、ハリセン。いくらこの国が法治国家といえど、霊に対する暴行くらいは禁止されてないやろ」
今にもオンナの顔にハリセンを叩き付けようとするウチに対し、怯えきった声でハリセンが止める。せやけど、ここで予想外の出来事が起こった。
(顔だけなら、好きなだけ殴ってくれて構わないわ)
オンナが、まるでヘルメットでも脱ぐかのように、自分の頭を、「はい」とこっちに寄越したんや。
「ひぐぎゃああ! 一体何の真似や!」
なんやこれ、グロテスクなアン○ンマンか!? お茶の間の子供号泣確実の新番組やなあ! 「それいけ! グロパンマン」ってかあ!? しもた! 伏字すんの忘れとった!
(こんな顔なら、好きなだけ殴らせてあげるわ。私、自分の顔嫌いなの。昔は大好きだったのに)
(そうですよね。電車の所為で、見るも無残なぶちゃむくれに……って、あ!? ごご、ごめんなさい!)
憎々しげに放たれたオンナの言葉に、ハリセンが頷く。やけど、亡霊オンナは静かに、否定の言葉を呟いた。
(この顔が嫌いなのは、死ぬ前からの話よ。嫌いで嫌いで仕方なくて、一度顔にガソリンで火を点けたんだけど、皮肉にも軽傷で済んじゃった。それならいっそ鉄道自殺でもしようかと思って、ここで死んだの。これなら顔も体も、嫌になるくらい変形するだろうから。――少なくとも、妹と同じじゃ、無くなる。カレに、妹と混同されなくて済むんだから)
妹に……彼氏? どっちも初耳や。
(そう。何でも素直に聞き分ける、妹の鑑みたいな良い子と、どんなに詰まらない冗談でも笑ってくれる、恋人の鑑みたいな良い人。勿論、私はその人を愛していたわ。けれどそれは、私の可愛いドッペルゲンガーも同じだったの。妹もまた、彼の事を秘かに思っていた。彼も私と付き合う一方で、妹の事を意識していたに違いないわ。私は妹以上に彼を愛していたという自負はあるけれど、妹以上に彼から愛されてはいなかったのよ)
一先ず顔を元の定位置に戻し、亡霊オンナは自嘲気味に苦々しく皮肉った。
ドッペルゲンガー。
この世のどこかにおると言われとる、そン人と瓜二つの人間。
「まさか、あんたの妹さんって……」
(そうよ、一卵性双生児。運命共同体だったのよ)
ひっ、と、ハリセンが小さな悲鳴を漏らすのが、薄らと聞こえた。
(生まれてからずっと、片時も放れることがなった。御揃いの服を着て、御揃いの髪型にして、食器まで同じ柄を選んだ。でも流石に、彼氏までは御揃いに出来なくてね。ある日、私達の運命は大きく分かたれたわ。カレが妹と一緒に駆け落ちした、私達双子の誕生日にね!)
「でも何でそれで、顔を嫌いになるんや。仮にも、自分の顔を」
(あたしの顔は、同時に妹の顔でも有ったわ。つまり、外見はどちらも勝るとも劣らなかったって訳。でもカレは、最終的に妹を選んだ。『中身』の有る方を選んだのよ)
(中身……ですか?)
(そうよ。私が言うのもなんだけど、妹は私より遙かに性格が良かったの。それに気づいた時の彼の行動は、驚くほど迅速だったわ。あっという間に妹を略取し、私を用無しの粗大ゴミとして捨てたのよ)
オンナはそこで初めて、グチャグチャの顔に僅かやけど表情らしきモンを添えた。唇を捩り、奥歯を噛み締めたんや。
(あの人にとって私は、見てくれが良いだけで中身の無い、人形みたいな女だったって事。あの人は私という人間を、心じゃなく顔で判断していた。彼に好かれていたのは私じゃなく、私の顔だったのよ)
だからこの顔は嫌い、と、オンナは一人ごちる。
(そして私は死んだ。顔が変形して少し気が楽になったら、急に友達が欲しくなっちゃって。私と同じく恋愛で悩んでいる子を見つけては、手当たり次第に殺してた。全員昇天しちゃって、結局はまだ一人なんだけどね)
「ちょっとまちぃ」
カコバナだからと言って、ベラベラ捲し立て過ぎや。御喋りキャラというウチの個性が、アンタの所為で埋もれてまう。
「エンドーが恋に悩んでたやと? ウチ、アイツとはずっと一緒におる仲やけど、そんなん聞いたことも無いで」
「一緒に居ることが問題なのよ。彼女、貴方みたいな変わり者といつも一緒に居るから、恋の一つも満足に出来なかったんじゃないの?」
そン言葉に、思わず身じろいだ。
円藤満は決して派手な方やないけど美人やし、勉強も出来る。何より性格が良い。モテモテとはいかへんくても、彼氏の一人か二人おってもなんら変やない。それなのに、ウチはエンドー関連のコイバナを、一度も小耳に挟んだことは無い。それはきっと、世の阿呆男共に見る目が無いからやと曲解しとった。
違う。
ウチがいつもアイツにべったりやから……あの子には男子が、よってこないんや。
「すまんかったな、エンドー。けど今は、懺悔しとる場合ちゃうんや。堪忍な」
倒れているエンドーを一瞥し、ウチはそう呟いた。
(さ、セピア色の過去話は御仕舞いにしましょ。今は只――今のことを考える、のみ)
即ち。
あなた達をどう始末するか。
台詞を皮切りに。
突如巻き起こった突風と共に、オンナの体は宙に浮かび上がり、再びウチを見下ろす形となった。
やけど、このオンナの素姓を知ってしもたからやろか。ウチのこのオンナに対する恐怖心は、さっきとは比べ物にならないくらい削がれとった。どんなに異様な風体をしていようとも、コイツも人の子やということが理解できたからやろか。
人間やったら――笑わせられる。
世界中のどんな人かて――笑わせられん人は、一人だっていやしないんや。
「ふん。正直もうアンタの事、未だに恐ろしゅうて恐ろしゅうてタマらんのやけど……」
軽口を叩きながら、上空に投げたハリセンを、もう片方の手で受け止める。ううむ、われながらかっこよくキマった。
「せやけど、ま、やれるモンならやってみぃや。亡霊オンナ。ウチはアンタを成仏させたる。アンタがウチを殺す前に、な」
(よ、よよよよ……ずびばぜん、エヂケット袋有りますか?)
若干一名回転酔いしとったけど、まあ気にせんどこ。
「テレビアニメやったら、本来ならもーEDが終わって次回予告、いうとこなんやけどなあ。一時間拡大スペシャルっつーことで堪忍な。あ、でも番組の最後にプレゼントのお知らせをせなかんから、ちゃっちゃと終わらせるべきやな。そうさな、できれば、後十分以内に……」
漫才師は笑って。
亡霊は嘲った。
(第一話からグダグダ展開? この先のマンネリ化は避けられないところだけど、まあ良いわ。何故なら、)
「アンタの怨嗟は――ウチが断ち切る」
(貴方の人生は――ここで打ち切る)
ハリセンを構える。相手も霊気を蓄積させとる。
こないな絶体絶命のピンチでさえ、漫才で切り抜けようとしているオノレに対し、思わず、自嘲の笑みをこぼした。いんや――ウチに自嘲なんて言葉、あわへんかもな。
自嘲の、「エミ」ではなく。
朗らかな――エミ。
暴力で序霊する気は、ハナから無い。漫才師が客に向けてええのは、オノレの熱意と、オモロいネタのみ!
亡霊が動く前に。
ウチは、三分間暖めとった、特上のネタを放った。
そして全てが微笑んだ。
憎悪は消えて。
笑顔が満ちた。