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「百四」 記念の赤丸をつけておこう



  [  百 四  ] 




「けど君は、ちいちゃんの件で自分が百パーセント悪くないとは考えられないんだ。だからいくらカウンセリングで肯定されようが、ぐるぐると悩む。そして良い子であることに固執する。そうだろ? ももちゃん。俺に言わせれば、君はデリケートを装った自意識過剰なお子さまだ」


 口汚くちぎたなまくし立てながら、オダマキはわたしに向かってにらりと嗤ってみせた。


「ただ、君の保護者にも問題はある。それは認めよう」




 わたしは十三歳になっていた。

 態度が悪くて、口が悪くて、目つきもわるい先生が、いつもわたしの近くに居た。先生の名はオダマキといった。


 オダマキは杉先生のように優しくない。ひとの話しなんて全然聞かない。好き勝ってに話しては、さっさと去って行く。

 きっとママなら、「責任感のない男」そう言うに決まっている。わたしがママの台詞を考えていると、「そりゃあ、いくらなんでもヒドイなあ」そう言いながらオダマキの指は、仰向けに寝そべっているわたしのふくらはぎをんでいく。


「ひどいって。何が? わたし何も言ってないよ」

「俺を悪い男だ。みたいな顔で見ているじゃないか」


 オダマキは、ひとの心を読むのにけている。

 付き合いが長くなればなるだけ、話し手の表情を読み取っていく。それは気持ち悪い程当たるのだった。わたしはオダマキに、こっそりと「さとりのおバケ」という呼び名をつけていた。


 オダマキの指が、膝へと伸びる。

 くすぐったい。笑いをこらえるけれど、上手くいかない。口の端がひくつく。それだって、オダマキはちゃんと気がついている。膝はダメだ。笑いがもれる。身をよじる。指の動きは止まらない。


「セクハラおやじ!」

「十三歳からみたら、世の中の男の大半はおやじになっちまうよ」

 わたしが叫んでも、平気のへいざだ。すました顔をして、「ただ、セクハラって言うのは、いただけないな。これはマッサージだよ。ももちゃん」と、オダマキは言う。


 確かにオダマキのしているのは、マッサージだ。

 ずっと千花ちゃんと一緒にいるわたしの躯は、オダマキに言わせれば「錆び付いたブリキの人形みたいなもの」らしい。


「本当にまいっているのは、躯よりも心だけどね、ももちゃん」

 オダマキにはお見通し。全くもってその通りだ。けれど素直に認めるのは癪にさわる。


「さあ膝の関節を曲げるよ。ももちゃん」

 オダマキはわたしが許してもいないのに、図々しい呼び方をする。杉先生は言ってくれないのに、こんな変てこりんなおやじが親しげに口にする。


「それに本当はイヤじゃない。そうなんだろう? ももちゃん。俺のマッサージは気持ち良くて、しかたないだろう」

 オダマキの長くて、間接がごつごつした指が、ふくらはぎから太ももまでを、ゆっくりと揉んでいく。

 わたしの脆弱ぜいじゃくな筋肉が、オダマキの指に解きほぐされていく。

 気持ち悪いのに、気持ち良い。

 荒い息をこらえていると、オダマキが浅く嗤った。


「ほら、気持ち良さそうだ。ももちゃん」

「ゼッタイ。セクハラで訴えてやる」

 憎たらしいオダマキの顔を、睨みつけてやる。


「ヒドイなあ、ももちゃん」

 全然悪びれていない顔で、オダマキが言う。


「そんな事されたら、オレとももちゃんの友情に、ヒビがはいっちゃうよ」

 そうだ。杉先生とは比べものにならないけれど、わたしとオダマキとの関係もそれなりに長い。


 わたしが十二歳の冬。

 オダマキは、やって来た。


 ※ ※ ※ ※ ※



「今日から吉川千花さんの、療法担当をさせていただきます」


 そう言って千花ちゃんの眠る病室に、ずかずか入って来たのがオダマキであった。

 中肉中背。色褪せたジーンズに、トレーナー姿のオダマキは、どこからどう見てもお医者さんには見えなかった。けれどオダマキを止める人は誰もいなかった。

 オダマキを連れて来たのは看護師さんだったし、千花ちゃんの枕元の椅子に座っていたママは、オダマキが首から下げていた身分証明書を確かめると、「吉川です」と丁寧に頭をさげた。


「はじめまして。小田巻です。本日からお嬢さんの担当をさせていただきます。寝たきりの状態が続くと、そこから褥瘡じょくそう。いわゆる床ずれができます。この予防の為の体位変換。および関節の可動域運動と、マッサージを行なう予定です」

 オダマキがママに向かって、とうとうと説明をはじめる。


「……はい」

「今まではお母さんが躯の向きを、こまめに変えてくれていたみたいですね」

「はい」

「お嬢さんも成長期ですし、大変だったでしょう。これからもお母さんの協力は大切です。ボクはその一旦を、お手伝いさせていただきます」

「はい、あの。ありがとうございます」

 ママが深々と、もう一度頭をさげる。声が潤んでいる。涙もろくなったママ。


 わたしは知っている。ママは千花ちゃんの髪をとかしたり。濡れタオルで顔をふいたり。パジャマや下着を変えたりしている。躯の向きもこまめに変えている。最初は両手でくるんと簡単に向きを変えられた。けれどわたし達は成長していく。ねむり姫の千花ちゃんも、ほんの少しずつだけど大きくなっていく。


「わあ、ちょっと重くなったねえ」

「もう春には小学校卒業だものねえ」

 そう言いながら、ママは力をこめて、「えっこらせ」ってかけ声と共に、千花ちゃんの躯の向きを変えるようになっていた。

 娘の成長をそんな場面で感じるママ。

 我慢強くて真面目なママ。

 そうか。このおじさんは、ママのお手伝いをする人なのか。説明を聞いていたわたしは、一応納得した。


「吉川さんはお嬢さんを、なんて呼んでいますか?」

「ちいちゃん。です」

「分かりました。ではボクもそう呼びかけます。よろしいですね?」

「ええ。はい」

「よっしゃ。ちいちゃん。君の躯のケアをします。これからよろしく」

 やや芝居がかった口調で、オダマキが意識のない千花ちゃんへ挨拶をする。

 ううん、違う。意識がないかもしれないだ。杉先生が教えてくれた。



 螺乖離症つぶりかいりしょうの患者たちは、脳を支配されて、つぶりの創り上げる夢を見続ける。

 夢は支配された者の望む、ストレスのない世界だ。大抵の患者は夢の世界に、どっぷりと浸かったまま還らぬ人となる。

 けれどなかには、つぶりの甘い夢に抵抗する者もいるらしい。

 彼らは隙あらば、つぶりの創りだす仮想世界から逃れようとする。そうした場合、夢からうつつの世界へと、意識が浮かびあがる一瞬があるというのだ。なかには指で空中に字を綴ろうとしたり。話そうとする仕草が見受けられたケースもあるという。

 千花ちゃんに、そんな兆しはないけれど、だからといって意識のない証拠にはならない。螺乖離症は謎に包まれた病気なのだ。



 オダマキは温度管理のタッチパネルを慣れた様子で操作すると、千花ちゃんを包み込んでいる布団をあげた。パジャマ姿の千花ちゃんの全身が現れる。

 これから思春期にはいるのに、千花ちゃんは、お尻も胸もぺたんこだ。

 くまとお花模様のパジャマ姿の千花ちゃんは、実際の年齢よりもうんと幼くちいさく見える。だからと言って、初対面の男と千花ちゃんを、ふたりきりにするなんて考えられない。

 ママがそっと病室から出て行っても、わたしはその場に残った。


 オダマキは鞄からバインダーを取り出すと、千花ちゃんの腕や膝の関節を動かしながら、書き込みをはじめた。動かす度に、いちいち千花ちゃんに声をかける。「ちいちゃん、右腕持ち上げるからね」「次。膝まげるよ」「痛くないかな? ゆっくりするからね」


 眠り続ける千花ちゃんに、愛称で呼びかける。躯に触る時には、断ってから作業をする。

 わたしは男に対する好感度をあげた。真面目に仕事をする質らしい。

 でも初日だけで油断はできない。なにせ千花ちゃんは無防備なのだ。いつ何時。オダマキが、不埒ふらちな真似をしないとは言い切れない。信用するのはまだ先だ。

 そんな疑いをもった目で、見ていたせいだろうか。


「なに? お嬢ちゃん。そんなに俺を見つめちゃってさ」


 千花ちゃんの仰向けになっていた姿勢を横に変えながら、オダマキが突然声をあげた。ママと話している時よりも、格段とくだけた口調だった。

 病室にはオダマキと千花ちゃん。そしてわたししか居ない。

 千花ちゃんに話しかけたんじゃない。オダマキの問いかけは、わたしへだった。

 この時が初対面のわたしは、まだオダマキの図々しい態度にも、話し方にも慣れていなかった。びっくりして、壁際で固まった。第一わたしに向かって話しかけてくれる人なんて、杉先生の他にはいなかった。まさに青天の霹靂だった。


「どうした? お嬢ちゃん」

 オダマキが再度問いかける。

 千花ちゃんの躯を動かしながら、「もしかして俺に一目惚れ?」と、のたまった。

 

「惚れたら、ダメだよ。俺、嫁さんいるから」

「まさか!!」

 あまりの言い草に、思わずわたしは大きな声をだした。


 杉先生より年下だろうと検討はつくけど、オダマキはどっからどう見てもおじさんだ。ありえない。

 オダマキは千花ちゃんから手を離すと、わたしを振り返った。オダマキの、やたらくっきりとした二重の瞳が弧を描いている。わらうとまなじりには、きゅっと細かな皺が寄る。

 やっぱりおじさんだ。そうわたしは結論つけた。間違ってもお兄さんじゃない。


「ひっどいなあ。おっさん傷ついちゃうぜ」

 わたしのこころを読んだように、オダマキが言う。


「……」

 わたしは言葉に詰まった。

 こんな態度の大人と、接した事などなかった。

 冬の冷気を吸収しているように堅く冷たい壁に、わたしはぎゅっと背中を押し付けた。室内はオダマキが調整した暖房で、十分すぎるくらいにぬくまっている。ひんやりとした壁越しの冷たさは、むしろ躯に心地よいくらいだった。


「アレ? 何、なに。もしかしてホント一目惚れ? え? まいったなあ。俺と話してキンチョーしちゃってる?」

 オダマキが、からかうように言う。


「していません!」

 わたしは声をはりあげた。


「そう?」

「そう!!」

「可愛い顔して、そんな怒んなよ」

「怒っていない!」

「そ、ならいいけど。名前は? ちいちゃんの姉? 妹?」

「妹。……百花」

「ももか。じゃあ、ももちゃんだ」

 オダマキが何気なく言う。


 ももちゃん。

 杉先生に頼んでも呼んでくれなかった、友達みたいな呼び方。


「……」

 わたしは、うんともすんとも言わなかった。

 不快感からではない。驚いて口がきけなかったのだ。


 オダマキは気にする素振りもない。バインダーに、「妹。ももちゃん」そう言いながらメモを残すと、千花ちゃんへ向きなおった。オダマキの視線が離れ、わたしは無意識に止めていた息を、はああと吐き出した。

 びっくりした。

 胸に手を当てなくても、心臓がことこといっているのが分かる。

 知らない人に話しかけられた。ももちゃんて、呼ばれた。

 ママでもパパでも。杉先生でもない大人。

 看護師さんも売店のおばさんも。皆みんなわたしを無視するのに。あんまり好きなタイプの大人じゃないけれど。それでも今日のカレンダーには、記念の赤丸をつけておこう。


 わたしは壁に貼られている地元銀行のカレンダーを、そっと見上げた。

 十二月のカレンダーの写真は、降り積もる雪をバックに、うんと大きな、本物のもみの樹のクリスマスツリーだ。きらきら光るオーナメントを枝いっぱいにつけて、誇らしげにもみの樹は、枝をぴんと伸ばしている。

 ここにいたら全然関係ない、浮かれたイベントの写真は、いつもならちょっとだけ哀しくなる代物だった。けれど何の書き込みもないカレンダーに、記念の丸印をつけられると思うと、少しだけ気分が高揚した。



 こうしてオダマキとわたしとの、つきあいがスタートした。






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