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「 」   寂しい、哀しい、うれしいはじまり


   [   ]




 風はまだつめたいが、春の日差しはまばゆいばかりだ。

 澄んだ空の蒼さに、わたしは目をほそめた。


 木立こだちの葉影では、陽光がちかちかとまたたいている。こんな日にピクニックへ出かけたら、さぞ素敵だろう。

 バスケットいっぱいのサンドウィッチ。新鮮なフルーツと、カスタードパイ。水筒のなかには、たっぷりの紅茶。おやつは好きなものを、好きなだけ。

 想像するだけで、おもわずスキップしたくなる衝動を、躯のなかに押し込める。

 なにせこれから、特別な式典がはじまるのだ。

 

 ここにいる全員が、式典の参加者だ。

 真っ黒い服装の男女が居る。

 小さなこどもが、彼らのかたわらにいる。

 しろい白衣姿の医師と看護スタッフがいる。

 わたし達が揃っているのは、療養所の裏庭で、今日はおわかれの日だ。寂しい、哀しい、うれしい解放はじまりの日だ。


「たいへんお世話になりました」

 中年の男が頭をさげる。

 数年前より恰幅が良くなっている。


「みなさまには、本当によくしていただきました」

 男の妻がハンケチで目元をおさえる。

 彼女の左手には、おさない掌がしっかりと握られている。その光景に、わたしはわずかばかり唇を噛んだ。

 あの日は手を離していたくせに。不満でいからせたわたしの肩に、ふしくれ立った手がのった。


「行儀良くしてるんだぞ。できるか?」

 耳元で、ささやく様に手の持ち主が言う。


「わかってるよ、父さん」

 わたしは隣に立つ男を見上げた。

 ボサボサの髪。まっしろいシャツの衿口はよれている。

 帰ったら、アイロンをかけてあげなくちゃ、だらしなく見えちゃう。まあ、実際だらしないんだけどね。わたしは自室の荒れっぷりを思い浮かべて、くすりと笑った。


「どうした? もも」

 わたしを覗き込む、くっきりとした二重の瞳は柔和に弧を描いている。人好きのする笑顔が、彼のチャームポイントだ。でもわたしは知っている。彼の瞳の奥に隠されている、剣呑なひかりの渦の存在を。


「なんでもない」

 わたしはそう言うと、ニッとわらってみせた。

 彼自慢の娘。小田巻 ももは、十歳の快活でお利口なおんなの子だから、お別れだってちゃんとこなしてみせるのだ。



 

 ひつぎが運び出されて来た。

 

「いくね」

 打ち合わせ通りに、眠る彼女の元へと小走りで行く。

 足が地面を蹴る。皆がわたしを見る。わたしはもう透明人間じゃない。血肉の通った人間で、この躯の使い方にだって慣れた。



 小田巻桃は、小田巻和人の娘で、わたしの戸籍上の名前だ。


 桃と小田巻に血のつながりはない。

 桃は小田巻夫妻の養女で、わたしの容れ物として用意された人間だ。

 透明人間だった吉川百花の記憶は、オダマキの卵のひとつに植え付けられて蘇った。螺として成長したわたしは、桃の頭を住処すみかとして生きている。


 可哀想な桃。

 親切な夫婦に救ってもらえると思っていたのに。まさか螺の実験で、容れ物にされるなんて思いもしなかっただろう。でも桃は今の方がマシかもしれない。

 死なせる程食い尽くすつもりはないし。桃のなかでのぞいた彼女の記憶は、壮絶なものだった。桃は自分の過去を、なしにしたがっていた。生まれ変わりたがっていた。

 だから、わたしを拒絶しないのかもしれない。


 可哀想な百花。

 人間のこどもを餌にするなんて、うんざりだ。わたしのなかのマトモな理性は、悲鳴をあげる。けれど同じくらいつよい欲望は、理性をおしのけ顔をだす。むしゃむしゃむしゃ。こどもの夢は美味しいあまいコットンキャンディーだ。いくらだってお腹にはいる。



 

ーーいいか。生き残るためには、常に目をひからせ、耳をすますんだ。


 それが父さんからの最初の教えだった。


ーー現実から逃げたがっている人間の声を、聞きのがすな。彼らの苦悩を敏感に感じ取れ。そして餌か、容れ物かを見極めろ。


  はい、父さん。


ーー彼らの忘れたいという感情に揺さぶりをかけるんだ。そうすれば時として、面白いほど簡単に人間は我々を受け入れる。


 父さんは、全くもって悪魔的だ。父親としてはどうかと思うが、指導者としては最高だ。




 霊安室から運び出された棺は、裏庭の手前で一旦止まる。側まで行くと、白衣姿の先生と目が合った。

 杉先生だ。心配気にわたしを見つめている。

 神経質な杉先生。先生はわたし達に協力はしても、絶対の信頼はしていない。わたしがもしヘマをしたら、さっさとわたしを切り捨てることだろう。

 

「さようなら」

 棺のなかの千花ちゃんへお別れを告げる。

 千花ちゃんは綺麗な顔でよこたわっている。髪はつやつやだし、頬紅をさしたから、いつもよりうんと健康そうにみえる。たまごは全部回収したから、頭のなかは空っぽだ。これでやっと自分ひとりだけだね、千花ちゃん。

 わたしは千花ちゃんへ、お花を手向たむける。用意したのは、スミレのちいさなブーケだ。かつて千花ちゃんが作ってくれた花束を、今日はわたしが彼女へ贈る。


「ありがとう、桃ちゃん」

 こぼれ落ちる泪をそのままにして、ママがわたしへ声をかける。

 養父を尊敬している桃は、休みの度に父さんと共に療養所を訪れた。そこで無償ボランティアとして活動している。スタッフからは好感をもたれ、患者の家族からは感謝される存在だ。


 わたしは、かつて自分の母であった彼女へ「ご愁傷様です」頭をさげる。

 父さんに教わった通りに、ちゃんとする。目元には涙だって浮かべる。

 だって桃は千花ちゃんの髪をとかしたり、枕元で本を読んであげたり、ボランティアとしていろいろガンバってきたからね。千花ちゃんとの別れを、悲しまなくちゃいけないんだ。

 でも本当は、ママの為に喜んでいるんだよ。それに千花ちゃんなら大丈夫。千花ちゃんの記憶はわたしのなかに、しっかりある。

 

「ももちん」

 舌ったらずな言葉でわたしを呼ぶのは、かつて全身全霊で憎んだ赤ん坊ーー今は二歳になった吉川 穂野香ほのか。わたしの妹だ。


「ほのちゃん」

 わたしが呼ぶと、ほのかは喜んで、ママとつないでいた手を振り払い、わたしの元へとやってくる。

 小学生のわたしは、お見舞いにやって来るほのかと遊んであげる、やさしいお姉さんだ。


「ほのちゃんにも、あげるね」

 そう言って、ほのかのふわふわとした茶色の頭へ、花冠をのせてあげる。クローバーとすみれの花で造った、かわいい素朴な花冠。


「おひめさまみたい!」

 ほのかが、両手をあげて。わーいわーいと喜びの声をあげる。

 ママがちょっとだけ顔をしかめて、その様子を眺めている。これから出棺だというのに、おごそかな雰囲気がだいなしだものね。けど泣きまねをするくらいなら、姉妹で仲良くしている方が、千花ちゃんだって喜ぶよ。


 わたしはかつてわたしであった、千花ちゃんの遺体へ、ちいさく手を振る。

 バイバイわたし。

 大好きだった双子の片割れ。


 千花ちゃんをのせた棺が、療養所の裏手にある焼き場へと運ばれていく。

 寄生生物がはいっている遺体は、原則ここで灰にしてから自宅へかえる。

 杉先生が棺へむかって頭をさげる。ママとパパが棺につきそって行く。ほのかがママに呼ばれる。遊びたそうなほのかへ、「またね」わたしはその小さな背を押した。


「あとで遊んでくれる?」

 ほのかが、小首をかしげて尋ねる。


「もちろん!」

 わたしは大きくうなずく。わたしのなかの螺の部分が、ざわざわと騒ぎだす。

 わたしは特別・・な意味で、ほのかが大事だ。螺としても。百花としても。だから、うんと良い子でおねえちゃんごっこをしてあげる。


「お休みには、ここにいるから。遊びに来てね」

「うん。ぜったい遊んでね! ぜったいね。ももちん!」


 きっとムリだけどね。

 千花ちゃんがいなくなれば、ママはこんな不吉な場所へ、あなたを連れてくるとは思えない。でも大丈夫。わたしが、あなたをみつけてあげる。どこに隠れても、探し出してあげるから。楽しみに待っているんだよ。


 ほのかが棺の後を追いかけていく。看護スタッフが仕事へと戻って行く。皆が散って行くながれのなかで、杉先生がすれ違いざまに足を止めた。


「百花さん」

 先生がわたしへ耳打ちをする。


「桃だよ、先生。小田巻桃。もも、ってよんでも良いよ」

「君が誰を餌にして、生き延びようが私はどうこう言わない」

 先生は今でもつれない。愛称で呼んでくれない。


「これは忠告です。小田巻くんを信じすぎないことです」


 そんなの知ってるよ、先生。


 わたしは先生の横顔をじっと見つめる。

 幼かった百花を魅了した、穏やかな顔には、皺がこまかく刻まれている。もうこの横顔も。声も。わたしを救ってはくれない。

 わたしは誰も信じない。オダマキはもちろん、杉先生だって信じない。わたしは、自分自身を守るために闘うって決めたから。


「おーーい! もも! 帰るぞお。今日の仕事は全部おわった」

 オダマキが、駐車場からわたしを大声で呼ぶ。


「わかったよ! 父さん!」

 わたしはオダマキへ、伸び上がって手を振った。


「大丈夫。ちゃんと全部うまくやるから。先生は心配しないで」

 杉先生へそれだけを早口で告げて、「バイバイ! またね!」わたしは走り出した。


 春の空に、煙が一筋ながれていく。これは亡くなった千花ちゃんの名残り。いれものがすべてじゃないって、わたしはもう知っている。

 だから泣かない。

 見ててね。千花ちゃん。わたしは簡単には消えてやらない。生き延びて、かならず運命にあらがってみせるから。

 風が煙を、空の彼方へと、高くたかく押しあげていく。樹々が風に幹をゆらす。ひかりがはじける。世界のうつくしさが、わたしを包み込む。

 トリの声は、もう聴こえてこない。


 



                                   完

 




 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 本来は月例短篇企画でのお題「妹」で仕上げるつもりが、うっかり100枚オーバーの中篇となった為、連載にきりかえた作品です。よろしければ感想等いただけると、大変うれしいです。


「つぶり」シリーズは三作UPしていますが、植物と鳥のしばりがあります。


「夢路のつぶり」       植物/キンポウゲ  鳥/アカゲラ

「未熟なたまごを持つふたり」 植物/ナズナ   鳥/ホオジロ

「眠り姫に花冠を」      植物/オダマキ   鳥/カケス

 そして最後に百花ちゃんが鳥のカケスから、植物の「桃」になりました。今のところは、植物が螺をさすキーワードになっています。



「夢路のつぶり」で、補食される側を書き。

「未熟なたまごを持つふたり」で、補食する者。補食される者の気持ちと、歪んだ恋愛を書きました。

 これでなろうでの「つぶり」は終わらせるつもりだったのですが、ついつい本作を書いてしまいました。

 さらに最終回間際に、「被害者であった者が、身を守るために加害者へ転じる」という構図がうかび、「補食される者が、補食する者となる」として加筆をしました。この加筆と推敲によって、3万字オーバーが5万字オーバー。汗。


 短篇企画のお題であった「妹」は最終回で、百花と穂野香の、二重の回収としました。

 特別なつぶりであると豪語するオダマキは、なろう未掲載で一度書いたキャラなので、使いやすかったです。オダマキのおかげ(?)で、つぶりは人間のふりをして、ひっそりと繁殖している。という設定もでました。つぶり世界がすこしだけ広がった気もします。また機会がありましたら、歪で不穏な「つぶり世界」にチャレンジしてみたいです。

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[一言] ずっと感想を書こうと思っていたのに遅くなってしまいました。 タイトルが素敵だな、と思って読み始めたのですが、読んでいるうちに夢中になってしまいました。 これってどういうこと?この人達はどう…
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