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「百十三」 君はとっても良い子



  [  百 十三  ] 




 どうして皆がわたしを無視するのか、これで分かった。思いだした。

 看護師さんも。

 売店のおばさんも。

 ママも。パパも。

 皆にとって、わたしは幻だったんだ。千花ちゃんの観る現実世界の夢の住人。本当の透明人間だったんだ。なんだ、そうだったのか。悩んで損しちゃった。

 誰も悪くない。

 わたしも悪くない。

 わたしを見られるのは、千花ちゃんとつぶりだけだったんだ。




「つぶりだったんだね?」

 わたしは病室の窓辺に腰かけるオダマキにそっと尋ねる。

 ベットでは千花ちゃんが、こんこんと眠っている。この部屋の正当な住人。もう一人のわたし。期限つきの夢の王国のお姫さま。昨夜のしゃべったり、起き上がった姿が嘘みたいに、穏やかな寝顔だ。


「そうだよ、ももちゃん」

 オダマキが、にらりと悪い大人の顔で嗤う。

 千花ちゃんの世界に居たオダマキはシュン君の姿をしていたけれど、現実世界のオダマキは違う。おっさんだ。

 オダマキの膝のうえに座っているわたしは、六歳の姿に戻っている。


「あったかい」

 オダマキの腕に触れる。浮き出た血管にわたしは指を這わせる。


「人間みたい」

「俺。人間だもん」

「つぶりでしょ?」

 わたしの疑問に、オダマキは頭を横に振る。


「君はうつつの夢の住人で、俺らにしか見えない存在だが、俺はちがう。頭のなかにいる俺はつぶりだけど、この躯は人間のものだ。小田巻 和人かずとって、戸籍だってある」

「じゃあ、オダマキは小田巻和人っていう人の頭のなかに住みついているの?」

「そうさ」

 オダマキが茶目っ気たっぷりに、片目を瞑ってみせる。


 窓から生ぬるい風がどっと入って来る。オダマキのシャツの袖が風に巻き上がる。

 とおく。

 トリが鳴く。カケスが夢の野辺からわたしを呼んでいる。

 お前は用済みだからかえっておいでと、カケスが鳴く。


「オダマキは小田巻和人を食べてるの?」

「おっさんの夢なんか喰わないよ。まずいもん。やっぱ喰うなら子どもだな」


「それなのに大人のなかにいるの? つぶりは、子どもだけにしか入らないんじゃなかったの?」

「俺は特別製なんだ。大人の場合は喰わないで、共生し、コントロールする。だから小田巻は、こうやって動いて、生活していける。そして小田巻の躯で、俺は多くの子どもを救うんだ」


「救う? つぶりが子どもを? なにそれ。バッカみたい。つぶりは取り付いた子供を餌にしているくせに。食べて、衰弱させて、最後には殺しちゃうくせに!」


 オダマキは頭がおかしい。ううん、螺としては普通なのかもしれない。

 なにせ人間じゃないのだ。人間の価値観なんて糞くらえなんだろう。そうでなければ、こどもの頭のなかを食べながら、平然としていられるわけがない。可能ならば、やっぱりそれは頭がおかしい事になる。

 わたしは笑いだしたくて。けれど笑えなくて、唇の端が変な具合に歪んだだけだった。そういう自分も、人間じゃない。その事実が重くのしかかる。


「そうさ。俺は千花ちゃんを食べちまう。けど、俺は子どもに優しいんだ」

 オダマキがやわらかくわたしを抱きしめる。


「つぶりは喰らった子どもを忘れない。言葉で傷つけたりもしない。おもちゃの様に殴って殺したりもしない。一緒にいて、誰よりも愛する。喰うってことは、俺らにとって愛するって事なんだ。ももちゃん、つぶりより恐ろしいのは狂った親だ。俺はそういう大人をたくさん知っている」

「わたし達のママは狂っていないよ」


 わたしはオダマキの胸へ耳をぺたんとくっつける。

 心臓の音が聴こえる。とくんとくんと聴こえる。わたしは自分の胸へそっと片手をのせようとして止めた。心臓の音があったとしても、全部うそっぱちだ。幻の心臓だ。


「けれど、君のママはちいちゃんの手を離した。そして別な子どもを欲しがった。俺はゼッタイに手離さない。俺は君らが良い。君らじゃなければいけない」

「……」


「君らのママは、俺の正体を知ったら殺人鬼だと思うかもしれない。俺は君らのママにどう思われたって関係ない。俺が選んだ子供たちが、俺を好きかどうか。それだけが重要なんだ。百人の大人に石を投げられても、君らが許してくれたらそれで良いんだ」

「うそつき」


 うそつき、という言葉にオダマキを糾弾する鋭さはない。それは仲間同士の暗黙の了解で守られているかのように、やわらかに響いた。

 わたしは、その柔らかさに絶望する。わたしはオダマキを、徹底的に拒否できない。


「そうさ。俺はとびっきり優しいうそつきだ。なあ、ももちゃん。俺のこと好きだろう?」

「だいっきらい」


「うそだね。君はママを憎みながら、ママが好き。俺に喰われながら、俺が好き。そうだろ?」

「……わかんない」


 わたしは頭をのろのろと振った。ママは好き。オダマキは憎めない。だって透明人間のわたしの核は、千花ちゃんだけじゃない。半分くらいはオダマキでできている。

 

「ねえ、オダマキみたいに、大人にはいっているつぶりは他にもいるの?」

 用済みのわたしでも、知りたいことはある。この結末の真実が知りたい。

 わたしは躯をおこすと、オダマキの顔を見上げた。


「ああ、いる。俺みたいな螺を、受け入れてくれる人間はたまに居る。無力感にさいなまされている奴とか。人生に絶望して、自暴自棄になっている奴とか。いろんなタイプの大人たちだ。

 そして俺はそういう大人の躯を借りて、子どもたちを夢路の王国に連れて行く。そこには暴力はない。いじめもない。空腹もない。あるのは俺らとすごす幸福だけだ」

「……」


 ストレスもない。不満もない。辛いこともない。かわりに真実だってない。ふわふわした期間限定の嘘っぱちの幸福だ。そう言わないわたしの背を、オダマキの手が撫でさする。


「信じられなくても良いんだよ。ももちゃん。だって君はすぐにも全部を知るんだから。現実の世界には都合の良い神さまなんていない。けれど俺はいる。ももちゃん、君の事なら俺はなんでも分かる。君は俺で、俺は君だ。君が望めば、俺は君の神さまになれる」

「そう言いながら、もうすぐわたしを捨てるくせに」

 わたしは顔をしかめると、オダマキの胸を叩いた。


「わたし。……もう用済みじゃない。オダマキも千花ちゃんも、結局はママと同じだ。わたしだけが哀しい思いをして、残される」

 わたしの呟きに、「まさか!」オダマキが快活な笑い声をあげた。


「君は俺とならどこにだっていけるんだ。何にだってなれるんだ」

「え?」

 わたしはオダマキの思いもかけない言葉に、目を見開いた。


「特別な実験だって言ったじゃないか。俺の言うとおりにしたら、君はもっと進化した存在になれるんだ。信じるかい? ももちゃん」

「わかんない。でも……それならわたしは、誰かのかわりじゃなくて、たった一人のわたし自身になりたい」


「じゃあ、俺とくるんだ」

 オダマキが真剣な眼差しで、わたしを見つめる。


「俺を信じて、ももちゃん。君に次の人生を用意する」


 オダマキは螺で、きっと嘘つきだ。ママならゼッタイ信じないタイプの男だ。

 けれどわたしはママじゃない。それに、わたしの本体である千花ちゃんの頭のなかは、とっくにオダマキに支配されている。後何年保つだろう? 千花ちゃんが死んだら、わたしも消える。だったら……

 わたしは、生きたい。自分の意思で生き延びたい。

 オダマキの誘いにのって、どうなるのか不安はある。これはきっと大きな賭けになる。

 戸惑いながらもわたしは、「信じても……良いよ」頷いた。


「君はとっても良い子だ、ももちゃん」

 そう言うと、オダマキはそっとわたしの耳殻じかくへ唇をよせた。今朝はまだ剃っていないのだろう。髭があたる。息がかかる。くすぐったいし、恥ずかしい。


「やめて、バカ!」

 身をよじると、オダマキの横顔が見えた。


「おとなしくして、ももちゃん」

 オダマキの口から延びるものがある。わたしは途端に、恥ずかしさを忘れた。ソレは舌じゃない。ソレは千花ちゃんの耳から延びていたものと同じだ。


「俺に、君をぜんぶくれ。君が感じたこと。君が悩んだ感情。行き場のない怒り。そういうものを全部くれ」

 ソレがわたしの頬をかすめる。

 生臭い臭いが鼻孔をくすぐる。

 ぬとっとした粘液をたらしながら、探るようにソレは、耳へとのびていく。


「わたし……生きられるんだよね? 消えないんだよね?」

 わたしの耳の穴にソレがはいってくる。気色悪さで背筋が震える。でも逃げられない。わたしはオダマキのシャツをぎゅっと握った。今だけ我慢するんだ。そしたらわたしは、わたしとして生きられる。


「約束したろ? 代償は君の現実リアルに打ちのめされた記憶と感情だ」

「螺は、しあわせな夢が好きなくせに」

 なじるように言った。精一杯の強がりだ。

 うねうねと、わたしのなかに侵入してくるソレが。オダマキが怖い。今すぐ止めにしたい。でもできない。


「喰うなら、しあわせな子どもが良いさ。けど餌と仲間は別ものだ。ももちゃんなら、仲間にピッタリだ。俺ら良い相棒になれるぜ、きっと」

「あんたなんか、大っ嫌い!」


「ふふふ」

 オダマキがほくそ笑む。そして、「ちいちゃんの頭のなかは、俺が産みつけた卵でいっぱいだ」歌うように、ヒドイことを言った。


「オダマキが卵を産んだの? オダマキは女なの?」

「バカだなあ、ももちゃん。俺らカタツムリの仲間は雌雄同体なんだ。男にも女にもなれる。なんなら自分ひとりで卵だって産める。ももちゃんには、とびっきりの卵をやろう。その卵からかえる螺は、ももちゃんだ。そうしたら俺はももちゃんのパパだ。そうだろ?  

 ももちゃんは、ももちゃんの記憶を宿した螺として俺と共にいられるんだ。これって無敵にすげえ事だろう?」


 オダマキの声が頭のなかで鳴り響く。


 目眩がする。躯に力がはいらない。

 もう気持ち悪ささえ感じない。

 ううん、オダマキに喰われていくのは、すこぶる程に気持ち良い。まるで砂糖水に、ずぶずぶと溶かされていくみたいだ。ほら。わたしという幻が、オダマキのなかに吸収され、溶けていく。

 ねむい。ねむっくて仕方ない。わたしはそっと目を瞑る。


 ジャア ジャイイ ジェイ。


 カケスの声が、とおく鳴く。

 ああ、野辺が見える。わたしが生まれた場所。千花ちゃんの夢の遊び場。花畑のむこうから千花ちゃんがやって来る。これでホントに一緒だねって、満面の笑みでわたしを抱きしめる。


 野辺は、お花でいっぱい。

 お花畑は、たまごでいっぱい。

 たまごは、千花ちゃん。たまごは、百花わたし。オダマキが美味しそうにわたし達を食べていく。


 ジャア ジャイイ ジャアアアアア。サヨナラ、わたし。

 


次回で最終回です。

初稿では百花がオダマキに吸収されて「完」でした。それだと物足りなくて、書き足したのが次回です。

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