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「千」   よろしく、わたし



  [  千 ] 



 わたしは、わたし。

 わたしは、ももか。

 ももかは、せんかちゃん。せんかちゃんの、イラナイものがももか。

 思いだした。

 わたしは、せんかちゃん!



 ※ ※ ※ ※ ※




 八歳の時。

 家を出る事になった。

 ママに忘れられて、つぶりに取り憑かれ。

 ママに忘れられて、病気になったわたし。なのにママは看病に疲れて、わたしを専門の療養所へいれると言う。

 その時にはもう、千花ちゃんだったわたしの脳内はオダマキという名の螺にすっかり侵食されていた。


「ママと離れたら、きっとママに忘れられる。忘れられるのはイヤ」

 わたしは、オダマキが創った夢の世界で泣いていた。

 

 螺は取り憑いた子供たちを喰らう。かわりに、こどもが望む夢を見せる。平和で、あたたかで、ぬるま湯のようなストレスのない世界。平和な状態で、安穏に暮らすこどもの夢は美味しい。こどもをすこやかに生かしておくのは、螺にとっては必要不可欠なケアでもあった。



「いい方法があるよ」

 オダマキが言う。

 ここでのオダマキはやんちゃで、かけっこが速くて、先生に怒られてばかりのシュン君そっくりの姿をしている。この夢の世界では、六歳のまま誰も成長しない。


「それもすっごくスペシャルにすげえ方法」

「なにそれ?」

「俺さ、前からしてみたかった実験があるんだ! それにピッタリの方法」

 オダマキが得意そうに言う。


「本当?」

「ホント。ホント。すっげぇ実験!」

 花が咲き乱れる野辺で、わたし達はたこさん滑り台をするんするんと滑りおりた。

 

 わたしのママはいない。

 シュン君のママもいない。

 シュン君の姿をしたオダマキは、いつでもわたしだけを優先してくれる。わたしの望む楽しい夢だけを与えてくれる。だからわたしは、オダマキの願いも叶えてあげたくなる。


「実験。しても良いよ」

「いいの? ちいちゃん。ホントに?」

 シュン君の顔でオダマキが首をかしげる。ちょっと心配そうな顔をして。だけれど瞳は好奇心で綺羅きらしている。

 実際のシュン君は絵本を読むのも、ひらがなのお勉強も苦手だったけれど、オダマキは違った。オダマキは「探究心が強い」つぶりらしい。

 初めてわたしと意思の疎通をした時に、自分でそう言っていた。


「痛くない?」

 一応、大事な事なので確認しておく。

 お説教はキライ。ブロッコリーはキライ。注射は大キライ。もし痛かったら、オダマキの頼み事でもゼッタイ駄目だ。


「痛い事なんてするわけないじゃん」

 オダマキがうすい胸をはる。


「なら、いいよ」

 わたしは頷く。


「最高だよ、ちいちゃん!」

 そう言ってオダマキが笑う。わたしもこころの底がほっこりとしてくる。

 どうすれば良いのか尋ねるわたしへ、オダマキは「片割れ」を創るのだと説明した。


「片割れ?」

「そう」

「それはオダマキみたいなお友達の事?」

「俺とは違う。二人目のちいちゃんを創るんだ」

「なにそれ?」

「眠っているちいちゃんのかわりに、そいつがママを見張ってくれる。そいつは、ちいちゃんそっくりな外見で、ちいちゃんの記憶をもっている。そうして、ちいちゃんの不安な気持ちも。哀しい気持ちも、全部引き受けてくれる」

「すごいね! それ!」

「だろ、だろ」


 片割れを創るのは、念ずれば良い。オダマキはさも簡単そうに言った。


「ここは君の王国だ。ここでは全てがちいちゃんの思いのままに創造できる」

 わたしはオダマキが望むように、片割れを創造してみる。

 同じ顔。同じ姿かたち。

 ママにたいする愛情と、不満。どっちも抱える、もう一人のわたしを創造する。


 ママが忘れなかったら、わたしはこうはならなかった。だからママが許せない。

 オダマキに捕らえられたのは、ママのせいだ。だからママを離さない。


 片割れの、顔を想像する。


 わたしはずっとずっとここにいる。夢の王国で、限定された想像のなかにいる。

 ママのせいでこうなった。だからママを見張るわたしを創る。


 片割れの、首から腕までを想像する。


 ママが忘れてくれたから、わたしはこうなれた。ここはとっても楽しいよ。

 オダマキに会えた。オダマキが好き。ずっとずっと一緒にいたい。


 片割れの、上半身ができあがる。


 学校もない。勉強もない。ママのお小言も。お友達の意地悪も、辛いことはなにひとつない。なにひとつ知らないままに、わたしは過ごす。


 片割れの、お尻から足先までを想像する。


 悪いことも、苦手なことも。イヤなことも、ステキなことも。将来の夢も、美味しいものも、希望も、未来もなにもナイ。

 すごおく楽しいはずなのに。わたしのなかは、からっぽだ。


 あれ? 片割れの頭のなかを想像できない。

 自分の気持ちが、こんぐらがって分からなくなってしまった。

 


 オダマキが好きなはずなのに、その好きが分からない。

 ママを憎んでいるのに、すごく求めてもいる。

 せっかく考えていた片割れの姿は、迷った途端に空中で分解してしまった。失敗だ。肩を落とすわたしに、「大丈夫だよ。ちいちゃん」

 オダマキが、すっと手をつないで慰めの言葉をかけてくれる。


「でも失敗しちゃった」

 うなだれたわたしの頭を、オダマキが空いている右手で撫でる。


「何度失敗しても、ココでは大丈夫」

「そうなの?」

「そう。失敗しても、叱る大人はココにはいない」

「そうなんだ」

 わたしはホッと安堵の息をもらした。元気になって、ぴょんぴょん飛び跳ねる。


「そうなんだよ。楽しいだけのこの世界に、大人はいらない。哀しい気持ちやイヤな気持ちもいらない。そういうのは全部、片割れにあげて、捨てちゃおう」

「捨てるの?」

「捨てる」

「捨てて大丈夫?」

「ゼッタイ無敵に大丈夫」


 なにがどう大丈夫なのか、分からない。

 けれどオダマキは何も言わなくても、わたしの気持ちを分かってくれる。吉川千花を理解してくれる。


「これ、あげる」

 オダマキがわたしへ片手をのばす。掌に乗っているのは、ころんと丸いキャンディーだ。


「たべて。俺の力がはいっているから」

「うん!」

 わたしは喜んでキャンディーを、口いっぱいに頬ばった。


 なんだか、へん。ガリリと歯にあたるキャンディーは生臭い。それに……舐めていくと、だんだん苦くなっていく。

 吐きだしたくなって、慌てて口元をおさえた。だってわたしの食べる様子を、オダマキがじっと見つめている。大人みたいな、ひえた目つきが、ちょっと気になる。


「美味しい、よね?」

 オダマキが言う。美味しいのが、ここでは正解なんだと、目は強いひかりで訴えてくる。


「……う、ん」

 わたしは自分の気持ちを押し殺して、恐るおそる頷いた。するとオダマキが、ぱあっと笑顔になる。


「だろ? 甘くって、特別・・に、美味しいものなんだ」

 胸にちりりと棘がひっかかる。「違う」って頭の隅では思うのに、そう言っちゃだめなんだと分かってしまう。これは甘くて美味しい、とびきりステキなキャンディーなんだと自分に念じる。


「うん、美味しい。甘くて、これは、おいしいよ」

 途端。味が書き替えられる。口のなかに甘さがひろがる。カチリ、とオダマキとわたしの間にあるつながりが、ひとつ強くつながったのを感じた。そしてオダマキがますます好きになる。 


 この野辺にわるいものはひとつもいない。

 レジャーシートも、公園の遊具も。季節でたらめで咲く花々も。あたたかな眠気を誘う日差しも。もし悪いものやキタナイものがいたら、オダマキの言う通り追い出した方が良いかもしれない。

 だって、オダマキは特別だから。わたしにとって一番大切なものだから。オダマキがいらないものは、ぜんぶここからナシにしよう。

 わたしは溶けてちいさくなったキャンディーを、ごくりと飲み込んだ。


「オダマキが言うとおり! ちいちゃんもそう思う」

「そうそう!」

 オダマキがわたしの両手をとる。ふたりそろって、ぐるぐると勢いをつけて廻る。

 踏みつぶされた花びらが宙に舞う。そしてすぐにも違う花が野辺には咲く。壊れても、へっちゃら。すぐ元通りになる、ココは楽しくて、いびつな世界。

 今度は二人で野辺をスキップする。そのままわたし達はたこさん滑り台へと、もう一度向かう。


「まってて」

 オダマキを待たせて、ひとりで滑り台の階段をあがる。

 お気に入りのピンクのうさちゃん柄の運動靴は、決して汚れない。いつでも新品同様ピカピカだ。いくら遊んでも疲れ知らずのわたしは、ココではスーパーガールにだってなれるんだ。怖いものなんて一個もない。ママにだってきっと余裕で勝てる。


「いっく、よおおおぉ!」

 てっぺんの踊り場で、両手をメガホンにして叫ぶ。


「いいよおおぉ!」

 オダマキが大きく手を振る。


 わたしは目を瞑る。

 息を吸って集中する。もう一人のわたしを思い浮かべ、踊り場から滑りだす。たこさんのまっ赤な足のうえを、ぐいぐいと滑って行く。

 わたしの回りで数々のシャボン玉が、風に揺れて舞い上がる。

 たこさんのゆるくカーブした足を回りながら、わたしは夢想する。

 オダマキの望む、わたしそっくりの片割れ。わたしのコピー。わたしの妹。

 ココは奇麗な幸せの国だから、わたしのなかのイラナイものは、全部その子に持って行ってもらおう。

 気がつくとわたしのすぐ後ろに、わたしが居る。

 わたしの姿形のもう一人のわたしだ。わたしはわたしの片割れに命を吹込む。ふたりで順番に地面に着地して、わたしは片割れの手を握った。


「よろしくわたし」

「よろしく。わたし」

 そう言って、その子もわたしの手を握る。

 途端わたしのなかの不安も心配も、するすると抜けてその子にはいっていく。

 頭がすうすうする。胸のなかもすうすうする。すうすうは気持ち良くて、少しだけ取り返しのつかない哀しみが混じっている。

 まって。と声をあげそうになって、でもいいやと即座に止めた。

 満面の笑みを浮かべたオダマキが近づいて来て、右手でわたし。ひだり手で片割れの子の掌を握ってくれる。


「この子どうするの?」

「これからうつつの辛い夢は、この子が全部引き受けてくれる」

 そう言って、もう一人のわたしにも、オダマキはキャンディーを差し出す。なんの躊躇ためらいもなく、わたしの片割れはキャンディーを口にした。

 あーあ。って、思う。

 あーあ、食べちゃった。


 つぶりの夢路はふたつある。

 夢路に囚われた子どもは、仮想世界と現実世界の夢を行き来する。わたしも今までなら、ふたつの夢路を行ったり来たりしていた。

 現実世界の夢もホントは結構好きだ。そこではママやパパと会えるから。だから片割れを創った事を、ほんのちょっぴり後悔してしまう。あーあ。


「ちいちゃん」

 オダマキの顔が哀しげに曇る。わたしの考えは、オダマキに筒抜けだ。


「きっと家から離れたら、ちいちゃんの気持ちは哀しみで曇る。現実世界の夢は、ちいちゃんにとって毒になる。俺はそれが心配なんだ。俺と一緒に楽しい夢だけみよう」

「オダマキと楽しいことだけするの?」

「そうだよ。」

「ふうーん」


 ママの側。いいな。

 オダマキと離れる。寂しいな。

 分裂する気持ちには目を瞑る。だってわたしの居場所はココにしかないから。

 わたしはその子にバイバイした。バイバイ。そっくりさん。名前は百花にしてあげるね。分裂したもう一人のわたし。一番ふかくつながっている、もう一人のわたし。

 わたしは絶対百花を忘れない。

 百花はわたしを忘れられない。


 百花がオダマキと、意識の壁を抜けていく。鳥が鳴く。はじめて聴く鳴き声だった。哀しいような。寂しいような、鳴き声だった。

 声はうつつから響いてくる。やっぱりアッチは、イラナイものだらけなのかもしれない。

 うん。これで良かった。

 これでもう悪い夢はいっこも見ない。

 オダマキと、ずっと。ずっと。好きなだけ幸福に遊んでいける。

 花が薫る。

 わたしは野辺に横たわる。

 お日様の日差しに全身がぽかぽかする。

 おやすみなさい。

 イラナイわたし。









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