最終話 合格発表
その年の一月下旬、山元真司は六年生Sαクラスのメンバーと共に、関西方面の超難関校へ合格数稼ぎの遠征をおこなった後、間もなく首都圏での私立中学受験開始日、すなわち二月一日の朝を迎え、本日の日付はすでに二月四日、となっている。
この日は、例の私大中等部の学力試験日である。
関西地区の受験では、そのすべての学校に合格した真司を除き、六年生Sαメンバーの合格率は九十二%で、これは、わずか十八人のメンバーが五十個の合格数を稼いだという事実を示している。驚異的な数字と言えた。
一日と二日は、真司、永井主悦は男子校、上遠野優子、遠山春香は女子高を受験し、三日は四人とも肩を並べて男女別学の進学校に赴いた。
二月三日の午後の時点で、一日目と二日目の受験結果がすでに判明している。四人とも全勝だった。
四日の朝。
進学塾で約二年間、机を並べて切磋琢磨し続けたこの四人は、それぞれ単独で自宅から目指す私大中等部受験会場へと向かった。
優子は黒のコートと白のイヤーマフラーを装着すると自宅を出て、
「行ってきます。パパ、ママ」
一人でその受験会場へと向かうつもりだったのだが、その優子の後ろを両親が付いてきた。
優子はもちろんその気配に気付いたが、振り返らず、その歩みを続けた。優子の父・上遠野英雄、優子の母・上遠野壽子もまた、数歩先を進む娘・優子に声をかけることはなかった。
風が強く吹いている。カサカサ……、と落ち葉が歩道の上で音を立て、歩道脇の小さなくぼみに溜まっている。
優子が歩きながら空を見上げると、分厚い雲が上空を覆っていた。
(……帰りは雨か雪かな)
使い慣れた東急目黒線の不動前駅改札口を通過して数歩、歩いたところで優子は後ろを確認した。優子の父と母は、改札の入り口で優子に小さく手を振っていた。
優子はこれから三年間通い続けた進学塾へと向かい、そこで六年生Sαのクラスメイトと合流し、進学塾の塾長や講師陣から激励の言葉を受けた後、集団となって私大中等部の受験会場に移動することになっている。
六年生Sαクラス、このクラスはこの進学塾のトップクラスである。
首都圏に生活する児童から選抜に選抜を重ねられ、このクラスへの参加が認められた一握りの秀才、天才が集まっている。
このような集団を二年間、学業に導き続ける重圧は余人に想像もつかないものと思われるかもしれないが、実際のところ、一度始めてしまえばその重圧など指導者はまったく感じることはない。
むしろ寝食を忘れて熱中するほどに、指導者の闘争心が刺激され、同時に生徒もそれを感じ取り、教室はその双方にとって真剣勝負そのものの場となる。
このクラスを担当した日村にとっても、この二年間はあっという間だった。
日村は、この二月四日の早朝に集合したSαのメンバーに、彼らの先生として最後の言葉を贈った。
「おい、お前ら! ヘラヘラしてんじゃねえよ! 受験は戦だぞ! 気合いだぞ! 絶対に負けんなよ!」
黒板をバンバン叩いていた日村はここで言葉を切ると、こう続けた。
「お前らとの二年、いろんなことあって、本当に俺、楽しかったよ。頑張ってね。俺、ここでお前らを待ってっから。じゃ、行こうぜ、みんな」
日村に引率された六年生Sαのメンバーは、私大中等部の受験会場に到着した。
昨年度の六年Sα担当講師、例の女性講師が、真司たちの一学年下、五年Sαのメンバーを従えて、校門付近に陣取っている。
そこに、あの倉橋真理恵の姿もあった。真理恵は一年前のこの日、五年生だった真司たちからこの場で激励を受けている。ただ、中等部の受験には失敗した。彼女は今、通学している女子中学校の制服に身を包んでいる。
「真理恵先輩!」
優子は真理恵に駆け寄るとその手を取った。
「優子ちゃん、頑張ってね」
「はい! ちょっと春香、こっちに来て!」
二月一日に優子と春香が選んだ中学校は、この真理恵が通っている女子中学校である。
首都圏トップレベルの進学校として名高い歴史のある女子中高一貫校で、世間的には、
『空き缶が道端に落ちているとすると、この学校の生徒はそのまま無視して通り過ぎるでしょう。なぜかと言えば、彼女たちは歩くときにも読書に集中をしていて、道端に転がる空き缶そのものに気付かないからです』
などと揶揄されることもたまにある学校だ。
優子と春香は、真理恵の通うこの学校に合格を決めている。
(真理恵先輩と中学・高校生活を過ごせたら、きっと楽しいんだろうなあ……)
優子の心に、そんな想いが浮かんでは消えた。
結論を述べよう。
真司たちが通った六年生のSαクラス、このメンバーは一人も欠くことなくこの私大中等部に正規合格を果たした。補欠合格ではなく、正規の合格だった。
その要因はいくつもあるが、特筆すべきは一つだけである。
日村が導入した感想戦だ。
この進学塾では毎月、月例テストが実施される。その月例テストを、二週間に渡ってクラス全員で解き直すのだ。一日に二時間の授業時間内に数名ずつが教卓に立ち、他の生徒と共に、
「この問題はこうやって解いた」
「その問題はこうすればもっと時間を節約できて合理的に解ける」
「いや、時間は節約できるがその解法だと出題者の意図に添わない解法になる」
などと、白熱した議論を繰り広げるのだ。
中にはこんな場面もあった。
「この問題、あたしは約三分であきらめました」
「三分か、もう少し早く飛ばしてもよかったかな。おれはこう解いた」
「おいおい、これ解ける問題だったのかよ? 俺も早めに飛ばしたんだけどな」
「これは一つ目から三つ目の設問がトラップだ。四つ目の設問から手を付ければ、一つ目の設問が解けるようになる。今すぐやってみろ」
「本当だ……」
このようなやり取りを二年もの間に繰り返し行い、最終的にこのクラスの全国平均偏差値は八十を超えるに至ったのである。
クラスメイトの中には数人、親の転勤で地方に引っ越しをした生徒もいたのだが、彼らはこのクラスから去ることを嫌い、新幹線や飛行機を使って、毎週三回、このクラスに参加したものだ。その分の出費は嵩んだが、その分の元は確実に取った、と言えるだろう。
クラスメイトはこの進学塾主催の合格祝賀パーティに出席している。
首都圏の合格実績でもこの進学塾に十分な勝ち星を提供したこのクラスのメンバーは、それぞれ合格した中学校の中から、自らの適性に最も合った進学先を決定した。
真司と優子、春香は私大中等部へ、他の数人もその中等部を選んだ。意外なことに、永井もそのうちの一人であった。
「なんつってもさ、真司とはまだまだ勉強したいからな。そのうち、肩を並べてやるぜ。中学でもよろしくな」
「よろしくな、永井。世話になるぞ、中学でもな」
「馬鹿言うな、真司。もう十分だろ? お前はもう十分、楽しんだはずだ。そろそろ、おれの側に来い。な、真司」
このクラスのリーダーとして三年間、真司がこのクラスに加入してからは二年間、永井はその指導力を発揮してきた。永井は今、今後の真司に自分と同様の役割を求めているのである。
「だな、永井。考えておくよ。もう答えは出ているけどな。お前に言われる一方じゃ、ちょっと癪に障るんだよ」
「らしくないぞ、真司」
タキシード姿の永井は、この合格祝賀会のスピーチをこれから担当する。
「真司君。約束、あたし、ちゃんと果たすからね」
「……」
(ここでかよ……)
紅いドレスを身に纏った、優子の紅い唇が近づいてきた。




