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第八十三話 お年玉

 白石(しらいし)辰夫(たつお)とその妻・幸枝(ゆきえ)は、山元(やまもと)邸に到着したその日の夕方、彼らの住まいである金沢へと帰って行った。

 これは当初から計画されていた行動で、翌日の一月二日からは、金沢の白石邸において、辰夫と幸枝は多数の訪問客と新年の挨拶を交わす必要があるためである。前年までは、その場に孫娘である美紀(みき)佐紀(さき)も加わっていたのだが、今年からは、山元家の養女となったこの二人の披露も兼ね、東京・目黒にある山元邸を本拠地として、新年の客をここで迎え、或いは、新年の挨拶のために山元家と縁のある他家へと向かうことになっている。


 山元邸を白石夫妻が辞する時刻の少し前、宅急便が山元邸に届けられた。その宅急便には、美紀と佐紀が年始に着るための華やかな衣装一式と、辰夫が持参した真剣二振り、太刀・河内守国助二尺五寸、脇差・忠綱の銘刀を手入れするための用具一式が整然と収められていた。

「剣の手入れは美紀と佐紀から学ぶとよい」

 辰夫は事も無げに真司にそう伝えると、

「真司君。君は心身ともに優れておる。剣の筋もよい。美紀、佐紀と共にこれからも修行に励み、心身だけではなくその技もまた磨いていくのじゃ。今の君では美紀と佐紀の二人に敵うまいが、いずれはこの二人の技量を上回る日もそう遠からずやってくるはずじゃ。励めよ、真司君」

「承知しました、お爺様」

 辰夫の顔に、真司の恩師・ホランドの面影が重なった。

(……剣においても、必ず、ご期待に応えて見せる)


 美紀(みき)佐紀(さき)を含めた山元家の面々は、電車に乗って白石夫妻に羽田空港まで同行し、そこで夫妻を見送ると、京浜急行で品川駅へと戻り、山手線に乗り換えて、目黒駅で改札を抜けた。下目黒三丁目にある大鳥神社へ、初詣に向かうためである。

 大鳥神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神とする千二百年の歴史を誇る由緒ある神社であって、その詳細はこの神社のホームページ上に記載されている。

 修司(しゅうじ)真夏(まなつ)はこの大鳥神社で身内だけを招いた結婚式を執り行っている。披露宴の会場には、この神社の近くにある、ホテル雅叙園東京の宴会場四階・飛鳥の間が選ばれた。

 初詣を済ませ、山元邸に帰宅すると、真夏が、

「ねえ、みんなお腹空いたでしょ? おせちだけじゃもの足りないから、すぐにご飯作るね。茶色いのと、白いのと、どっちがいいかな?」

「?」

(茶色のご飯? チャーハンのことかな?)

「?」

(……茶色か白かって言われると、ちょっと悩むわね)

 真夏が料理の話をしていることは理解できたのだが、具体的な内容が今一つピンとこない。

 ん? ん? といった表情を見せる真夏に、美紀は茶色と答えた。

「お母さま、もしも白いのだったとしたら、何を作ってくださるのです?」

 美紀が尋ねると、

「カルボナーラ、大盛りのやつね。ふふふ。どっちがいい?」

「茶色のままでお願いします。お手伝いできることはありますか?」

「いいのよ、休んでいて。すぐにできるわ。うふふ」

 真夏は実に手際よく、キャベツを千切りにし、大量の豚バラ肉をフライパンで炒めると、ヒョイヒョイっとプチトマトをキャベツの上に載せ、山元家特製の生姜焼きを完成させた。

 この間に、真夏は例の八海山をお猪口で数回飲んでいる。

 夫・修司はその場面を目撃していたが、朝のように真夏の注意を逸らすための行動をとらなかった。今日の外出の予定は、すべて終えていたからである。

 修司は真夏を手伝って、生姜焼きの皿をリビングのテーブルへと運ぶと、五合炊き炊飯器も同様にリビングテーブルの上へ載せた。

「食える分だけ自分で茶碗に盛るといい」

 炊飯器はあっという間に空になった。

「ふふふ。白いのも作ってあげるわ」

 真夏はキッチンに向かうと、鍋に湯を沸かし、細めのスパゲッティを四百グラム、丁寧にその中で茹で上げた。

「美紀、佐紀、真司もだ。ガンガン食って、大きくなれよ」

 修司はこの瞬間を、直属上司である富永(とみなが)県警本部長や、県警刑事部の部下たちに感謝した。彼らは今この時も、国民の負託にこたえ、その生命をかけた勤務に邁進しているはずだ。

(もう一日だけ、皆の厚意に甘えさせてもらおう……。この借りは、とてつもなくデカいな……)


真夏(まなつ)。そういえば、今年の小遣い渡したかな?」

「あ。まだだった」

 真夏は懐にしまい込んだままとなっていた、分厚いポチ袋を取りした。

「……」

(まさか一万円札ってことは……ないよなあ……)

 とは、佐紀(さき)の心の内である。

「……」

(いくらなんでも、あの厚みはないと思うわ……)

 とは、美紀(みき)の胸の内である。

「……」

(今年もか……)

 とは、真司(しんじ)の胸の内である。

「はい! お年玉と今年度分のお小遣いよ」

 真夏から手渡されたポチ袋を三人が開けてみると、一万円札が二十枚入っていた。力任せに押し込んであったのか、中身を引き抜くだけでも大変だった。

「あの、まさか一万円札がこんなに入っているとは思わなかったんだけど……。これ本気なの? お父さん、お母さん」

「そうよ、おかしい? お年玉が一万円でしょ、毎月のお小遣いが一万円でしょ、残りの七万円はこのお家のお手伝いに対する報酬の()()()よ。毎月のお小遣いは少し多めかなとも思うから、余った分は返してくれてもいいし、貯金しておいても構わないわ。どうしても欲しいものがあって、お金が足らなかったら、あたしがお買い物に付き合うわ。そこでそれが本当に必要なものか、あたしにプレゼンしてね。その内容が正しいものだったら、あたしが買ってあげる。もちろん却下することもあるから、プレゼンは大切よ。ちなみに真司の成績は約二割。これでだいたいの難易度がわかるでしょ」

「う、うん……」

 真司の成功率を聞いて、佐紀はやや考え込んだ。

(兄さんで二割かあ……。これはけっこうヤバいな……)

「では、ありがたく頂戴いたします。でも、二十万円というお金は、わたくしたちにとって大金ですわ。ですから、一か月の間は、このうちの十九万円をお母さまが預かっておいていただけると助かります」

 美紀は一万円をバッグから取り出した財布に仕舞うと、残りの十九万円をポチ袋に何とか押し込み、真夏の前に差し出した。佐紀も同じ行動をとった。

「じゃあ、これはこの抽斗に入れておくね。鍵はかかっていないから、いつでも出し入れできるわよ。ただ、真司もこれを知っているから、パクられないように、三が日が終わったら銀行に移すといいわ。ほら、あなたたち、フラワーガールをやっていたころの口座があるでしょ?」

(……パクらねえよ)

「真司さんのことは信用していますけれど、お母さまのおっしゃる通りにさせていただきますわ」

「あたしもそうする」

「……美紀、佐紀。お前ら貯金いくらあんの? 年末苦しくなったら貸してくれね?」

「……二つ口座がありまして、片方には一億一千万円、もう片方には……七万円くらいでしょうか。佐紀さんにも同じくらいはありますわ。お金の貸し借りについては、そうですね、どうしましょう? お母さま」

「貸しちゃダメよ」

「ということだそうです。真司さん」

「ですよね……」

「真司、あなた、『坂の上の雲』をテレビで観たでしょ。主人公のお兄さんが、主人公に話した言葉を思い出してみなさい」

「……思い出した。よく分かったよ、母さん。美紀、佐紀、済まなかった。今の話は忘れてくれ」

 金の使い方は本当に難しいものだ。

 修司は真夏の酌で、この光景を黙って眺めながら、八海山を少しずつ口にしている。

 真司、美紀、佐紀の三人は、お屠蘇としても、この元旦に一滴のアルコールさえ口にしなかった。

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