第七十話 永井のチェック
真司は美紀と佐紀を連れて、永井と待ち合わせの喫茶店を訪れた。
店内に永井の姿を発見した真司が二人を紹介しようとしたが、
「らしくないぞ真司。こういう場合は俺からだ」
永井の挨拶は爽やかで、デキるスポーツ少年そのものだった。短い茶髪をムースで固め、前髪を左後方に流している。メガネはかけておらず、百六十センチの真司よりも僅かに背が低い程度だ。
「見ての通りだ。いい奴だろ、こいつ」
「光栄だ、真司」
真司は永井の隣、真司の向かいに美紀、永井の向かいに佐紀が座った。
「これ段取り。一度目を通せ」
美紀と佐紀の自己紹介を受けたのち、永井は真司に数枚のレポート用紙を手渡すと、緊張した様子の『新妹』二人にジョークを飛ばしては道化役に徹していた。
永井の前頭葉に二人の情報が刻まれていく。
(美紀ちゃん……身長は約百五十、伸びる可能性は十分。髪はブラック、ストレート、腰まで。瞳はダーク。色白、軽いメイク、パーツは整って配置もいい。表情の変化は希少。姿勢もいい。よし合格だ。この子は上物になる)
(佐紀ちゃん……身長は約百五十、伸びる可能性は同様。髪はブルネット、ウェーブ、腰まで。瞳はブラウンで濃い輪郭つき。色白、軽いメイク。こちらもパーツがいい。よく喋る。姿勢が良く、手のひらには竹刀ダコ。すげえな。この子も期待できる)
永井のチェックとほぼ同じくして、真司の段取りチェックも終了した。
「永井。これもう話付いてんのか?」
「バッチリだ」
「教務にも日村先生にもか。すげえもんだ」
「まあな。上遠野のこともあるしよ」
「優子がどうした?」
優子、という名称に、
「兄さん、誰? ゆうねって? 誰? もしかして!」
「彼女」
「うひゃああ! やるねえ兄貴!」
「凄みとかある美形だぜ。真司にはもったいねえ」
「……」
(……凄みのある、……美形……楽しみ。フフフ)
反応は様々で、しばらく優子の話題となる。
「どこで知り合ったの?」
「塾っつうか、駅っつうか、どっちっつったらいいんかな」
「駅のアレじゃねーか? やっぱ」
「駅のアレって? 何? 何?」
「そのうち話すっから、うるせえぞ。佐紀」
「絶対だよ! 約束だよ!」
「あいよ」
『駅のアレ』はすでに述べたので割愛しよう。
美紀と佐紀が連れ立って席を立つと、永井は二人の髪、黒いストレートとブルネットのウェーブを交互に鑑賞して、
「おい真司、あいつらいい線行ってるぞ。俺の学校でも滅多にいない。あんなのが金沢にいたのか?」
「いたもんはしょうがねえだろ。あっちじゃ女王様だがな」
「確かにあれなら跪くな。女王様っていうか姫様だ」
「ん? 本物だぞ。世が世ならだがな」
「前田か?」
「まさか。上ではあったんだろうな。おれん家の本家筋だし」
「はーん。うらやましい。で、上遠野のことだ」
優子のケアも忘れてはいない。永井はどこまでも優秀だ。
教室では優子がホッとした心持ちで四角形に補助線を入れている。
問題文では『拡大図・縮小図を選びなさい』などと表現されているが、平たく言えば『相似形を探せ』ということだ。比較的幾何の得意だった優子は、この問題の解答を数十秒で見つけ出し、次の問題へと移っていく。
(来た……)
『場合の数』が来た。
(小学生にサイコロの目の出方なんて考えさせて、一体何になれっていうのよ。バクチ打ちになる気なんてさらさらないわ)
不満を感じながらも過去の授業を思い出し、一つ一つ丁寧に条件整理を進めていく。根気の必要な作業だ。優子にとっては苦手な作業ではあるが、特に嫌いというわけでもない。時間がかかるのだ。
無論、小学校の同級生と比べれば優子のその速度は圧倒的だろう。塾のクラスメイト、この連中がとにかく早過ぎる。
恋人というには幼いが、そういった存在である真司は問題を見た直後に解答欄を正解で埋めてしまうし、その友人の永井も、自分の友人の春香も、条件整理が得意で早さについていけない。真司の母親である真夏に至っては『化け物』にしか見えない時もある。
(これが『地頭』ってやつね。仕方がないわ優子ちゃん。努力の人で追いつくのよ)
優子は自分を励まし、問題を解き進めていく。
優子は今朝、もう二つの大きな問題にも回答を出し、成功を収めていた。
一、メイクで行くか、スッピンで行くか。決断。
二、初めましてから言うか、名前から言うか。決断。
真司の妹となる美紀、佐紀との初対面は滞りなく進んだ。これは永井の尽力の賜物である。
昨夜永井はスカイプで、有難い指示を送ってきた。
『真司と一緒に本館の自習室に向かう。上遠野はそこで挨拶しておけ。そこなら周りの目も気にならない。八時半までによろしく』
結果、良い印象を残してもらえたと感じている。
佐紀の姉にあたる美紀が大きく目を開いて優子の瞳を見つめてきたが、あれは敵対行為ではなく、むしろ『好意』そのものだ。似たような視線を過去に何度も向けられたため、優子はそれを経験で知っている。
美紀の妹にあたる佐紀は人懐こくて可愛らしく見えた。美紀との挨拶が上手くいき、一学年上の余裕が出てきたのかもしれない。
美紀と佐紀は五年生のクラスへと姿を消す。二人とも五年生なので普通のことだが、優子はこれに心底ホッとしていたのである。
(算数の苦手なところ、見られなくて本当によかったわ)
ところが……。
二時間目の算数が始まると、講師の日村が美紀を連れてきた。
(ちょおっと日村ぁ……何なのよ!……)
優子が日村を睨みつけていると、日村は気付いて、
「おい上遠野、お前のその顔マジで怖い。ほら、妹の美紀ちゃんもビビッちゃ……あれっ?」
美紀は優子を見つめて妖しく微笑んでいる。教室にいた全員が、その上気した表情に魅入られた。
初対面の時に美紀は優子を一目見て、
(……素敵な方。……メイク。……Sな瞳……。光る黒髪……。毛先も……。可愛らしいお鼻……。あの小さな紅い唇で何を? おしゃべり? それともまさか……? フフフ……)
などと考えていたのだが、五年生の教室へと連れていかれ、言われるままに算数の授業を受け、プリントの問題を全て解き終えて教室内を見回すと、そんなことをしているのは自分一人だけだと気が付いた。
日村が寄ってきて一言、
「あ、美紀ちゃんだっけ? キミもうアレだねえ。次の時間から六年生のところ行こうか。佐紀ちゃんはここでいいかな。ここは実力主義だからね」
「えー、美紀ちゃーん……」
美紀は喜々として六年生の教室へ向かったのだ。
後方の座席に妖しく光る(ようにクラスメイトには見えた)美紀が気になったのか、二時間目の平均点は過去最低だった。
真司は状況を察すると、
「早退します。申し訳ありません」
と言い残して美紀を教室から連れ出し、五年生のクラスで佐紀を回収すると、
「いくぞ」
と、塾の敷地を後にした。




