第六十九話 ガールズトーク
美紀と佐紀が宿泊する部屋は二階の客間だった。一言で表現するとホテルのツインルームで、一通りの家具が揃いダブルベッドが二台ある。
真夏は二人を座らせると鏡に映ったスーツ姿の自分にお気に入りの洋画ヒロインを思い出し、
「Can I ask you ah...n personal question?(ちょっと聞いていい?)」
ヒロインのセリフを真似てみた。
「……It depends.(な、なに……?)」
言われてみれば服がソックリだが、その他はあまり似ていなかった。
佐紀は感想を胸に、記憶の中からそのシーンのセリフを歯切れ悪く取り出した。
「やっぱ知ってたんだ! おっけー、ちょっと待っててね」
喜んだ真夏は二人を残し、部屋から颯爽と出て行った。
「なになに? アレ、あの映画のアレだよね? あんま似てなかったね。なんだろ?」
「……」
(……個人的なことって何かしら?)
佐紀は落ち着きなく美紀に助けを求めたが、美紀は無表情に何かを考えている様子だ。
リビングから持ち出したアイスティーをストローで吸いながら、ポテトを口に運び、客間の様子や夜景を眺めていると、スッと立ち上がった姉がテレビの電源をオンにした。
「……間が持たなくなったらテレビの話題よ」
「りょうかーい」
美紀の声がワンオクターブ高い。これは美紀が命令を下すときの声色だ。
それは日本語の時が多かったが、時には英語、時にはポルトガル語で発せられる。
今日は日本語だった。
佐紀は美紀の命令に従った。
学校で児童全員に指示を出しているのは美紀である。滅多に間違えたことを言わないこの姉は、佐紀にとっても優秀な指揮官だった。半面、口数が少なく、社交的な振る舞いを好まないこの姉を佐紀が何かにつけてサポートする、こんな役割分担が長年の共同生活で培われた。その歴史は、ややもすると母の胎内にいた頃からのものであるのかもしれない。
真夏の足音が近づいてきた。
「ぶはははは!」
「……!」
(……真夏さんったら!)
「ちょっと佐紀。それはないでしょ?」
白衣を着て聴診器を首からぶら下げた真夏がクリップボードを片手に立っている。
念のために記述をしておくと、これは真夏の趣味ではなく仕事着だ。勤務先の病院で着ているいつもの衣装だが、初めてその姿を目にした佐紀は声を上げて笑ってしまった。
(コスプレにしか……ぶははは)
正直な佐紀である。
「……まったくもう」
弁護士である友人の志村にも笑われるので、真夏は気に留めず、
「はい。じゃあ、質問ね」
真夏は二人、美紀と佐紀の身長体重を聞き、瞳をのぞき込んでから口を開けさせ、肩や背中、腰のあたりをまさぐった後に笑顔で言った。
「おっけー。じゃあ、ちょっと脱いで」
「え?」
「……!」
(……服を脱ぐ? 真夏さんの前で裸に? せめてもう少し胸が……)
美紀は的外れな心配をしながらブラウスのボタンに手をかけた。
佐紀には真夏がハロウィンのカボチャに見えた。
「あ、ごめん。全裸じゃなくて。ブラウス上げて。心音聴いておきたいから」
「なんだ、それかあ! びっくりしたあ」
「……」
(……面を抜かれた気分だわ……真夏さんったら……)
(ガールズトークじゃなくてこれ身体検査だなあ)
その気になっていた美紀はボタンをはめ直し、ブラウスの裾を首までまくり上げて胸を突き出した。
佐紀は真夏の姿と慣れた手つきに学校の身体検査を思い出し、恐る恐るブラウスの裾を引っ張り出した。
「おっけー。じゃあ、生理は?」
「え?」
「……」
(……)
美紀と佐紀の生理はこの間終わったばかりで、小学三年生の時に美紀が、そのすぐ後に佐紀が初潮を迎えている。年齢のせいか周期は安定せず、相談しようにも相手が見つからずに困っていたところだった。
テレビではNHKのアナウンサーが街の様子を伝えている。
「この間終わったよ」
一瞬の間を開けて佐紀が正直に答えると、
「おっけー。じゃあ今日一緒にお風呂入れるね。ナプキンなの? タンポンは?」
「……」
「……」
真夏の発した『今日一緒にお風呂』と『タンポン』に、美紀は舞い上がって佐紀は驚いていると、
「あ、タンポンって知らない? じゃあ今度、あたしが入れてあげようか?」
「え?」
「……」
(……わたくしにタンポン……)
これが現実となったのは美紀と佐紀が六年生の夏、家族旅行中に二人の生理が始まったときである。その様子はとてもここには書けないが、その経験は後の二人に役立った。
テレビの街の様子は続いている。
「お母さんが医者って便利だね」
「もう、さっき一目見て笑ったくせに!」
佐紀は笑いながら真夏を見た。ハロウィンのカボチャにはもう見えなかった。
ガールズトークはここから始まる。
「あれ何に使うんだ?」
リビングでは真夏が自作したタワーパソコンの話題になった。
女性陣にポテトを持っていかれたため、男性陣はサラダを食している。
「あいつらとネトゲやれって。母さんが」
「一台でか?」
(ミスか……真夏にしては珍しいな、そこも可愛い所だが)
「だろ?」
「なんでネットゲームなんだ?」
「コミュ力がなんちゃらっつってたな」
「真夏が言うなら間違いない。真司、従っとけ」
「あいよ」
(親父は母さんの言いなりだな……)
「あいつらの分は二台、同じもんをおれが買ってやる。真司、お前らで組め」
「マジかよー」
(アレ、いくらすっと思ってんだ……?)
「いいじゃないか。初めての共同作業だ」
「あいつら妹だけどな」
「意味は同じだ。そうだ、火入れしてくれたな。助かる」
これは先ほどのガレージでのことだ。
「すっげえ食いついてたぜ」
「ほんとか?」
「ああ、乗りたいって」
「ケツにか?」
修司の心のスクリーンに、真夏との夏が浮かぶ。
「運転する方だよ」
「そうか、美紀と佐紀が、そうか……」
心のスクリーンには、成長した二人の姿が上映された。
「パソコンよりチャリじゃね?」
「よし。買ってやろう」
修司はすっかり女の子の父親だ。
「おれにもな」
「よし。サービスだ」
「マジかー。気前いいな」
「いいことあってな」
「何だよ?」
「言えん」
「ふーん」
ラブホテルの件を含め、今日はいろいろといいことが修司にはあった。
「……母さんの青春にもな。あはは」
「おい」
「ウケてたぞ。ははは」
「おい。……なんか言ってたか?」
「何も。めっちゃ吹かしてた。RZV」
「どっちが?」
「美紀が」
「佐紀は?」
「両方だな」
「そうか。あいつらにやるか」
「おれにくれよ」
「ははは」
「ビール飲むか?」
「おう」
いつになく饒舌な修司に、真司は気を利かせた。
(ほんとにいいことあったんだな……)
真夏にはフタを開けてグラスに注いだが、修司にはそのままだ。
「おれのが一個上だし、先に乗るのはこのおれだ。別にいいよ」
「そうか? VFRはいいが、RZVがな」
RZVを乗りこなせる者など滅多にいない。
「だな」
修司は缶を開けて、
「とにかく頼む。お前しかいない」
「任せろ、親父」
修司は三年ほど前に、SAT二千百点という真司の成績を聞くと、
「お前、このままこっちで進学するか?」
「なんで? 日本で暮らしたい」
「そうか。それもそうだな」
帰国したのちは真司に留守を任せてきた。美紀と佐紀が加わるだけだ。
残念なことに昨夜、女性陣三人のガールズトーク中、真夏は勤務先の病院から呼び出しを受けてしまった。
『真夏先生、申し訳ないんですが……、明日挨拶に来てくれませんかね……?』
了解した真夏は、美紀と佐紀に、
「ごめん! 明日、病院行くことになっちゃった。ごめんねえ」
「あ、こういうシーン、テレビでよくあるよね。家族に会えないお医者さん」
「……」
(……残念だわ)
「あ。テレビ? 医者に興味ある? じゃあちょっと教えてあげる。あのね……」
仕方のないことと二人は納得して、ドラマと現実の違いを『真夏先生』の観点から聞くことになった。
真夏は先ほどの白衣と聴診器を装備したままだ。
「そうね。大体主人公って外科じゃない? あと救急とか? でもあたしは眼科。平和なものよお。まあでもそこはほら、患者さんの目を見るからね、あたし。見つめ合っちゃったりするわけよ。するとさあ、患者さんのほうが照れちゃってさあ。特に男の子とかね! あたしにズッキュンなのよお。ふふふ」
「……へーえ。で?」
「……」
(……わたくしも、見つめられてみたいわ)
「でね。目の下には鼻があるでしょ? これ耳鼻科になるんだけど、目と鼻って繋がってるの。ほら涙が出ると鼻水も出るでしょ? それそれ。だからね、わりと耳鼻科の先生とは話すかなあ。あ! でも気を付けて。耳鼻科ってハングリーよー。一週間分のお薬処方してさ、平気な顔で『今週三回通院してください』とか言っちゃうの。逞しいわあ。ふふふ」
「……へーえ。で?」
「……」
(……確かに、耳鼻科にはよく通うわね……)
「でね、鼻って言えば、そうそうちょっと佐紀。鼻の穴見せて」
「え?」
佐紀は鼻の穴を指で広げて真夏に見せた。
「おっけー。佐紀大丈夫。たまにね、鼻骨、鼻のほらここ。このコリコリした骨なんだけど、これ曲がってる人いるんだ。そうなってると鼻呼吸がねえ。詰まりやすくなるしちょっと大変」
「……それって治る?」
「うん。手術で。けっこうエグイよ衝撃が。鼻骨剥離でガンガン削るから骨を。でね、下手な医者だとミスって鼻がへこんじゃうの。怖いわあ」
「うわあ……ドン引きだあ」
「……」
(……ふええ)
美紀も鼻の穴を見てもらった。
このような話が延々と続き翌朝となる。




