第六十三話 美紀の才能
家を出てから三人は、真司、佐紀、美紀の順で歩道を歩き、自宅周辺となる近隣の施設をいくつか訪れた。
小学校はすでに終業式を終えていて、人影も少なく夕暮れの中にひっそりと佇んで、その門を固く閉ざしていた。
北風が三人の頬に当たっている。
美紀と佐紀が引っ越しをすれば、この小学校、つまり真司の小学校に二人は通うことになる。
この当時(平成二十一年)の目黒区には、隣接小学校希望入学という制度があって、ある程度は転入先を選べたのだが、美紀と佐紀は時間をかけて遠くの学校まで通うことにそれほどのメリットを感じなかった。
上記の制度は平成三十一年度入学生で一旦休止となる。
美紀と佐紀は門の上枠に両手をかけて、身を乗り出すようにして校内の施設を見回しながら真司の説明を聞いている。
「特にうぜえ奴はいねーから。先生方も。おれが話を付けといてやっから。あとここ緊急避難先。覚えとけよ。ぶっちゃけおれん家の方が安全だがな。一人じゃ不安なときもあんだろ。たぶん」
「あの家、頑丈そうだしねえ」
佐紀が腰まで伸びた長い髪を気にしながら、あちこちに顔を向けつつ説明に答える。
「だろ。家ん中まだ途中だから、帰ってからな。母さんにも案内してもらえ」
(真夏さん、お家ではどんなお姿なのかしら……? 楽しみが増えてしまったわ……フフフ……あ……)
美紀は昼間の電車を思い出した。
サロやサハ、クハ、モハといった、電車に書かれていたカタカナのことだ。同時に山手線を後ろから何度も追い抜いて行った東海道線も頭をよぎる。
「真司さん、お昼に東海道線を見ていたら、サロって車両があったのよ。サロとは何のことなのかしら? ご存知でしたら教えて下さる?」
「あーあれな。詳しくは知らんけど、サロっつうのは単語じゃなくて、サとロの組み合わせだ」
「サとロ、ですか……」
首を傾けた美紀は、門から左手を放すと人差し指を顎の下に持っていき、サとロの意味を推理した。
真司は美紀の言葉を少しだけ待つと、
「知識の問題だ。考えたってわかんねーよ」
「……」
美紀は視線で先を促す。
「サっつうのは運転席もモーターもないってこと。ロってのはグリーン席ってことだな。よく知らんけど」
「……確かに……そう言えば……」
記憶の中のサロは四両目を数えたときに出現した。二階建てになっている独特の構造が美紀にとっては衝撃的で、目に焼き付いている。
「そ。んで確かクは運転台付き、モはモーター付き、ハは普通席だったかな」
「では六種類あるのですね?」
美紀は単純な計算で不正解を口にしたが、そこに真司は興味を持って尋ねてみた。
「どうしてそう思った?」
「さんにが六です」
「文字が三つの場合は計算しなかったのか?」
「あ、それは前提条件として知らなくて、わたくし……」
確率計算の基礎となる『場合の数』は六年生で学習する。美紀も佐紀も学校で習っていないはずだ。
佐紀に確認すると、彼女は『?』と首を傾げただけだった。
「美紀、文字が三つの場合ならいくつんなる?」
「三つです。クモハとクモロ、サハロとサロハは同じなので……」
美紀が即答したので、真司は変化球を投げてみた。
「美紀、例えばなんだけど、五十チームがトーナメントすんじゃん。優勝決定までに試合数はいくつだと思う?」
「五十引く一で、引き分けがなければ四十九試合ですわ。真司さん、なぜこのようなお話を……?」
(うーん)
佐紀はバッグからシャープペンシルとメモ帳を取り出して、トーナメント表を頼りに答え合わせを始めている。即答はできなかったが、知的好奇心は十分にあるらしい。
美紀の答えは正解だ。
トーナメント方式の試合数は、彼女の言う通り、引き分けがなければ参加チームの数から一を引いて計算できる。優勝チームができるということは、他のチームがすべて負けるということだ。『他のチームが負ける試合数』は、優勝チーム以外のチーム数だけ必要となるため、結果、参加チームの数から一を引けばいいだけ、ということになる。
「ん? 美紀は算数好きなんかなーと思ってな」
「……わりと好きですわよ」
美紀の問いかけを真司がやや誤魔化した。
大抵の人にとって、個人差こそあれども、『ある程度の努力』ができれば代数や幾何の学習は何とかなるものだ。しかし、こういった条件整理、場合の数や、その上位にある確率の学習については、一部の人を除くと『相当の努力』が必要となる。
(佐紀は言語で美紀はこっちか……)
「じゃあ次、林試公園にいってみっか」
真司は先頭に立つと、これまた自宅周辺の施設、『林試の森公園』を二人に紹介した。




