第四十四話 トラウマ
居間では辰夫、幸枝、真司の三人がお茶を前にしていた。本日三杯目のお茶であるが、品種が毎回違う。今度のお茶は金色だった。
席からは真司の好きな桜の木が数本見える。ワシントンにいた頃は、年上の友人に頼み込んでタイダルベイスンの桜並木を何度も訪れた。
「このお茶の色、珍しいですね。紅茶かと思いました。何て言う名の品種なのですか?」
真司は率直な感想を口にした。自宅にいる時はほとんど水かコーヒーしか飲まない。真司のお茶や紅茶に対する知識、興味は低かった。
「品種は分からないのですって。静岡のある地域でしか育っていないらしいわ。これは特別よ」
「そういうこともあるんですか……」
幸枝は穏やかに茶碗を手に取ると、真司を褒めた。
「美紀や佐紀と仲良くなれたようね。頼もしいわ、真司君」
真司が仲良くしたというよりも、最初からあの二人が社交的に振舞って、辛抱強く真司の話を聞いたおかげかも知れない。
もともとは弟妹育ての保険にするつもりだったのだ。真司は新たに妹となる二人を高く評価したので、この件もまた率直に老夫妻へと伝えると、
「真司君、美紀と佐紀、何か気付かなかっただろうか。不安な点も是非話してくれんか」
辰夫の問いに真司は答える。
「不安な点というよりは、心配なところがいくつかありました」
剣や手裏剣の話はともかく、二人と話をしていて気付いたことを真司は数点あげた。
美紀はハーグ陸戦条約を戦時国際法と表現し、弾丸の種類を多く知っていたこと。
佐紀はウィキペディアを英語で読んでいて、本棚には心理学的なミステリーが原書で並んでいたこと。
「つまり?」
辰夫が結論を求めてくる。
「詳しくは分からないのですが、その、たぶんあの事件は彼女たちのトラウマで、今でも何らかの影響を二人に与えているようです」
(ティナがジョージア大で心理学を専攻している。あいつに聞いてみよう……)
辰夫と幸枝の顔が曇った。真司は辰夫たちを心配させまいと、
「大丈夫です、辰夫さん、幸枝さん。あいつらには僕という兄貴ができました。兄貴になった以上、そのトップを目指します。ガキですが頑張ります! 父も母も全力を尽くすはずです。それに、美紀さんと佐紀さんは優秀です。これは間違いありません。どこかで吹っ切れる時が来るかもしれませんし。大丈夫です。なんとかなりますよ」
努めて明るく振る舞い、自分が剣道を習っていること、時代劇が好きであること、詳しい自己紹介を兼ねて話題に上げた。
「真司君は剣道が好きだそうね」
「はい、帰国して以来、はまってしまって。腕前はまったくですが、はは、は」
「あの時代劇が好きとも聞いたぞ」
「そうなんです。なんというか、カッコよくて」
「よし、ちとわしは行ってくる。待っといてくれ」
真司がお気に入りの殺陣シーンを興奮気味に話していると、辰夫が一言残して部屋を出て行った。
(美紀もさっきあんな感じで出て行ったっけ……今度はお茶じゃないよな)
幸枝が話の先を促す。
真司が早口で殺陣のシーンを身振り手振りで必死に再現していると、とうとう幸枝が笑いだした。
「真司君たら、あんなに落ち着いて見えたのに。そういうところもあるのね」
「あ、すみません。つい、あは、あは」
真司は後頭部に手を当てて後ろ髪をいじくった。この聞き上手なご婦人が手裏剣を投げる、そのシーンが全く想像できない。気にはなったが、真司は思い直して話題を変えた。窓の向こうに見える桜の木が満開の花を開かせる様子を思い描き、
「あの木、ソメイヨシノですよね。春になったら見に来てもかまいませんか?」
「もちろんよ、美紀と佐紀も連れてきて。お花見をしましょうよ」
幸枝から桜の木にまつわる伝説を教えてもらい、お茶を啜っていると上の方から佐紀の慌てる声と真夏の高い笑い声が聞こえてきた。修司も真夏も、あの二人と上手くやっているようだ。
この屋敷から美紀と佐紀を連れて出てくことに、真司は若干の申し訳なさを感じていた。




