第四十二話 毒キノコ
名前など気にしたこともなかった。真司は修司と真夏の漢字一文字という至ってシンプルなネーミングだが、これを例えに『そんなもんだろ』とは言えなかった。美紀と佐紀はすでに両親を失っているためだ。
「そういうもんかあ?」
真司の様子を美紀が察したのだろう。
「佐紀さん、パパとママが付けてくれたお名前よ。真意はもう聞けないのだから、佐紀さんが自分のお名前に意味を見つけていけばいいわ」
「美紀ちゃん、真司さんの前でパパとママの話は……」
「わたくしたちはこれから兄妹になるのよ。避けていてはどうにもならない話題だわ。わたくしも今、そのことに気付いたのよ。ということよ、真司さん。わたくしたちの両親のことはお気になさらないで」
「わかった。実はおれ、あの時のお前らを覚えている。八年前だ」
「なんだあ、覚えてたんだ。あたしたちも実は、ねえ。真司さんのこと覚えていましたよ」
(こいつらはさっき、初めましてと言ったはずだ……)
「そうか。気を遣わせて悪かったな」
美紀も佐紀も他人の記憶力を頼るタイプではなかったので、当初は真司が八年前を覚えていない前提だった。両親の件で気まずくなってはいけないと、姉妹が事前に相談して決めておいたことだった。
ところが、真司はお箸やお玉の品種、絨毯の価値まで触れた上に、受け答えも美紀にとって十分に納得できる人物だった。
(このお方ならばきっと覚えているわ……)
美紀はそう判断しただけだ。
「いいですよ別に。うーんじゃあ佐紀でいっかあ」
「よし。美紀、佐紀、おれのことは好きに呼べ。真司さんとかお兄さんとかお兄ちゃんでもいいぞ。お兄様もアリだ、ははは、おれが兄貴か、なんかいいな、わはは」
「正式に決まってからですわ、真司さん」
(……こいつも焦らすタイプだな、気を付けよう。あとビー玉と鉄球にも)
こうして真司は、美紀と佐紀の兄貴採用試験に合格した。
真司はこの姉妹に対して、将来生まれてくるかもしれない本物の弟妹、そのお世話係だけを期待していたのだが、少しの間話をしてみると、それだけの役回りではこの姉妹にとって
(少し役不足だな……)
そんな気持ちを感じるようになっていた。
気にかかっていた佐紀の言葉を真司は思い出した。
「佐紀が三途の川で美紀を見たって言ったろ。あれなんだ?」
「あ、あれはですねえ……」
「おい、そのですます調やめろ。調子が狂うぞ、おれの妹よ」
「あ、そ、そう? あれね、あはは、美紀ちゃんが、あはははは」
「佐紀さん、おやめなさって、そのお話。わたくしの身にもなって頂戴」
「いいじゃない美紀ちゃん、昔のことなんだから」
「……」
(わたくしを裏切るのね、佐紀さん……)
「前に美紀ちゃんが山で野生のキノコを見つけて採ってきてね、あたしは『そのキノコ怪しい』って言ったのに、美紀ちゃんは『これはシイタケよ』って聞かなくて。剣術の稽古が終わってからお弟子さんのみんなと鍋パしたの、そのキノコも入れて。美紀ちゃんがパクパク行くもんだからみんなもあたしも食べちゃってさあ。そしたらその後はもう地獄よ。みんなで救急車で病院に搬送されて、あたしなんか救急車で幻覚見ちゃったわ、それが三途の川の美紀ちゃん。あはは」
「訓練中の飢えたレンジャーみたいじゃねーか。それ、ツキヨタケだろ?」
「正解! ひどい目にあったわ。お弟子さんにも迷惑かけちゃったし。後遺症が残んなくて本当によかったあ。それ以来、美紀ちゃんのキノコは出禁よ出禁。だから安心して、食卓には上らないから。でね、そしたらその後いつの間にかあたしも有罪にされててさ、あちこち謝りに行って、お爺ちゃんにはボコられるし、お婆ちゃんには往復ビンタだしもうさんざん。知ってた? 往復ビンタの復の方? あれってもう裏拳よね? いったくてさあ、あたしなんか吹っ飛んじゃったわ、あははははー」
「わはは」
「……」
(フン……)
佐紀が一気に捲し立てる間、美紀はプイっと明後日の方を見ながらその話の終わりを待っていた。この素っ気ない態度の理由は次の機会にでも聞いてみよう、真司はそう思った。
「そういや兄さんも、さっきアイリーンとかクリスティーンとか女の名前言ってたよね? それなに? 姉貴ってどういうこと? 教えてよ」
ですます調がすっかり抜けた佐紀が真司に迫っていく。美紀にも興味がわいたようだ。
「いいか? これは佐紀が聞いたから話すんだぞ。決して自慢話じゃないからな。いいな? おれは九歳でワシントンの高校三年生になってな、その時のクラスメイトに……」
階下から三人を呼ぶ声がする。
真司は話を切り上げて、妹二人と共に居間へ戻って行った。




