第三十二話 真夏さん大好き軍団
修司は警察官僚が女子高校生を妊娠させたことなど気にも掛けず、むしろ大喜びで、真夏の父・高城博が家族会議を開いていた日、真夏を伴って銀座のハリーウィンストンへと足を踏み入れた。
その店内で修司は給料三か月分を遥かに超える金額の婚約指輪を真夏のためにオーダーし、人目もはばからずによく通る大きな声で、おろおろと周囲を見回していた真夏に店員の目の前で求婚した。
「真夏、おれと結婚してくれ!」
「は、はーい!」
修司の分かりやすいセリフに周囲の視線がその相手と思われる真夏へと一斉に注がれ、一気に紅潮した真夏の顔が携帯電話の絵文字そのものとも言える笑顔に変化すると、このカップルを交互に注目していた店内の客からは歓声と拍手が沸き上がった。
修司はその足で真夏の実家へと向かい結婚の許しを願い出ようとしたが、卒業式を済ませたとはいえ真夏はまだ高校に籍がある状況だ。
真夏の実家では、真夏の父・博、真夏の母・純子、長男好古、次男真之だけではなく、警察庁警備局長・小栗俊介警視監が、警備局の桑原警備企画課長を従えて待ち構えており、その隣には鬼の形相で睨みつけてくる見覚えのない年配の紳士が座っていた。
修司は翌月から、この小栗警視監がその管理下に置く警察庁警備局、警備企画課の危機管理室に異動となる。その警備企画課長までもが、自分自身を無言で値踏みしているように感じられた。
(課長が何故ここに……? 小栗警視監までいらっしゃるじゃないか……)
警察庁の課長職は上場済み大企業の取締役に相当する地位と言えるだろう。
課長という響き自体からは大した威厳を感じないが、警察に限らずこの国の中央省庁、地方自治体の主要機関ではそういった存在である。その上位に君臨する警備局長については何をかいわんや、であるわけだ。
脂汗をだらだらと流し始めた修司の焦りと緊張を他所に、真夏の家族はアッサリと二人の結婚を承諾してしまった。
真夏の両親は前年の六月に娘の恋を察知すると、官界・政財界のコネを多方面に最大限まで活用し、警察内部における修司の勤務態度、経歴や人品に至るまでの一切を調べ尽くし、真夏との外出時には本気要素極めて高めのボディガードを付けて二人を尾行させていた。
(可愛くて愛しくて大切な真夏を万が一にでも傷ものにして捨ててみろ……貴様のキャリア、今後すべてを俺たちの人生賭けて徹底的にぶっ潰し、石を抱かせてアマゾン川に蹴って捨て、魚のエサにしてくれる……それでどのような罪に問われようとも、愛する家族、真夏のため。我らの覚悟に迷いなど一欠片たりともあろうはずがない)
真夏の父・博だけではなく、真夏の兄である好古、真之の二人も常々そう思っていたためだ。
しかし、この尾行は九月の始まり頃に打ち切られた。
尾行に気付かないまま修司とのデートを終えた真夏が、毎回、その日の様子を笑顔で博や純子、好古や真之に事細かに語って聞かせ続けたためだ。
真夏は、裏から捜査の手を伸ばしている自分の家族を一度も疑わず、門限より一時間も前に、必ず修司の送りで帰宅した。修司は毎回、デート先で真夏の家族のために、何らかの手土産を購入しては持ち帰ったものだ。
その積み重ねが、修司に対する彼らの敵意を打ち砕いたのである。
その期間については、今後いずれかの機会に、修司と真夏の青春時代として描写したい。
真夏との結婚を許された修司だが、鬼の形相で睨み続けてくるもう一人の男、三畑の視線に脂汗が一向に引かなかった。
修司は椅子に浅く腰かけたまま、膝の上に乗せた自分の手を見つめることしかできていない。手汗が気になって、落ち着きなく両掌をこすり合わせていた。
時計が時間を刻む音だけが修司の耳に入ってくる。隣に座っている真夏も不安を隠しきれていない。
真夏のためにも自身の緊張を解かなければならなかったのだが、修司は身動きが取れず、こすり合わせていた掌を握りしめるだけだった。
「そんなことでは警察で危機管理は務まらんぞ。しっかりしてくれ修司君。真夏はもう三か月だ。身内だけの式を先に済ませたい。来週の日曜は絶対に空けておいてくれ給え」
「は、はっ。父上様、面目次第もございません」
「あなた、真夏たちの住まいはどうしましょう?」
「武蔵小山のコインパーキングだ。あの土地に新居を建てよう。真夏、済まないがせめてそこに家ができるまで、パパたちと一緒にここで暮らしてくれ。修司君も済まないが、頼む。ここは家族の気持ちを酌んでくれ」
「おい山元。高城の気持ちが分からないとか。……ないだろうな?」
「お、小栗警視監、そのようなことなどございません。……父上様! この修司に異論などはあるはずもございません」
「あまり修司君を脅かすな、小栗。そうだ小栗、新居の構想を出してくれないか? 三畑が図面に起こすから、その後もう一度確認してくれ」
「面白い。いいだろう、俺の本気を見せてやる。楽しみにしておけ。三畑、三日後の朝一でお前の家に行く。そこで設計側の意見を聞かせてくれ」
「応。山元修司君と言ったな。自己紹介が遅れてすまない。おれは三畑孝之だ。一つだけ言わせてくれ。おれには子供がいなくてな。ここにいる好古、真之、真夏の三人を自分の子供のように可愛がってきた。そこの小栗も似たようなもんだ。修司君はその一人、真夏を娶ることになったんだ。この意味が分かるか? 修司君もおれたちにとって真夏たち三人の仲間入りだ。修司君、もう一度、おれたちの顔をよく見てくれないか」
「は、はいっ!」
「そうだ、修司君。下を向いてちゃいかん。顔を上げておれたちの顔をちゃんと見ろ。隣の真夏のことも見ろ。お前の真夏が不安で震えているじゃないか。高城家の一同、警備局長の小栗、ここにいる全員を前にして緊張もあるだろう。加えて警備企画課長の桑原君は四月からの君の上司だ。今の君のその様子は仕方のないこととも言えよう。だから今日だけは許す。しかし、次もそんなザマなら決して許さんぞ。常に前を見て上を目指せ。修司君、いいか?」
「しょ、承知致しましたっ! 三畑様! この修司、お言葉を肝に銘じて精進いたします!」
「三畑さん、ありがとおおお!」
この時の様子は、真夏の兄二人が設置した隠しカメラに録画されており、しばしばこの様子が高城家で上映されている。
こうやって、真夏の両親は残り僅かとなった娘との生活を噛みしめるために、古くからの友人である小栗と三畑へ協力を仰ぎ、現代的な警備理論と技術の粋を集めた要塞・山元邸を建築するに至ったのである。




