第三話 クラスチェンジ
母親の山元真夏とその他多数の人々から、成田空港で見送られた山元真司は、約十三時間のフライトを終え、ワシントンでの新生活をスタートさせることになった。
真司の父・山元修司はワシントンにある日本国大使館の一等書記官に補され、その激務の中にあっても、息子・真司の面倒をよく見たと言える。
修司は休みの日、必ず真司の相手となり、柔道の技、特に寝技と関節技、そして剣道そのものを息子に教え込んだ。
当時七歳の真司には修司に歯が立つわけもなく、毎回苦しい思いをしたものだが、稽古場所を提供してくれたアメリカ合衆国・国務次官の息子と知己を得た。
その次官の息子、ピート・ジョーダンは真司の三歳年上で、ワシントンのプライベートスクールに通っている。
真司は修司に頼み込んで、彼のいる学校へと編入した。
最初の学校では、まず、英語がサッパリ分からなかった。
昼飯時にサロンへ向かっても、サンドイッチ一つ、コーヒー一つ、真司はまともに買えなかった。
真司が最初に理解した英語は、あの中指を立てる時のセリフである。
(こうやって引きこもるんだな……)
真司は大使館職員専用のアパートで、実家から持ち出した家族写真に写る母・真夏に語り掛けていた。
修司は休日以外、徹底して真司を放任した。
そうやって真司が悩んでいた頃に現れたのがこのピートである。
ピートが真司に基礎として教えた英語は This one. と What? だけだったが、この二つの語句が真司には非常に役に立った。
文化の違いなのか、学校の違いなのか、真司がワット? を発すると、クラスメイトは興味を持った様子で事細かに反応して英語を喋る。ジェスチャー付きだ。
昼飯時のサロンでは、ディスワンとだけ言えば食い物に困ることがなくなり、売り子がまたジェスチャー付きで英語を喋る。
幾何級数的に外国語の知識が真司の頭に蓄積され、数日後には外国語特有の母音を発することができるようになった。
(あとは語彙だ……)
現地の新聞を電子辞書片手に読み漁ると、これも数日後にはハードカバーの書籍を原文で読めるようになった。
(次は専門用語だ……)
自然科学、社会科学のハードカバーを読み漁るうちに、ひと月が経過し、真司は現地の教師・ホランドから突然の呼び出しを受けることになった。
「クラスチェンジを行う」
「なぜですか?」
「君の能力に適していない」
(ん……?)
「具体的には、ぼくはどうなるのですか?」
「ハイスクールのシニアに君を編入する」
(マジかー……)
「イエス、サー」
真司は現地の高校三年生となり、休日にはピートの家庭教師を勤めることになった。
「シンジ、お前、いっぺん調べたら?」
「なにを?」
「IQを」
「あいよ。ピートもやってみる?」
「面白い」
ピートとその母親に連れられて、メンサの米国支部で知能の検査を受けようとしたのだが、二人とも年齢を理由に断られた。




