第二十六話 真理恵先輩
駅ソバ屋であれほどの媚態を見せた上遠野優子だが、その後は一切あのような素振りを見せず、冬期講習の経過と共に、一学年上の六年生が受験シーズンに突入した。
真司と優子は、永井と春香に誘われて、ここ、超難関とされる例の私大の中等部・試験会場まで、一つ上の先輩たちの応援に駆け付けている。真司たちの所属するSαクラス、すなわち五年生のトップクラスの面々もここに集結していた。このクラスの生徒たちにとっては他人ごとではない。このメンバーのうちの多くは、一年後のこの日、この門をくぐるのだ。これから姿を見せるはずの上級生と同様に、受験生としてだ。
早朝七時、気温二度。北風が容赦ないが、雪が降っていないだけマシだろう。真司たちはカイロを手にしながら、やがて集団で向かって来るはずの先輩たちを待っている。
「先輩方の励みになれればいいな」
永井が口を開く。冬期講習明けの実力テストにおいて、永井は初めて偏差値八十二を記録し全国模試の十番にその名前を残した。こうなると塾内ではちょっとした有名人である。永井は率先して応援団長を引き受けていた。
試験開始を待つ中等部の門前では、他の進学塾の先生が生徒と握手を交わしている。毎年恒例の風景だ。
「で、真司。上遠野とはどうだ?」
「なんも」
「なんも?」
「なんもはなんもだよ。なんもねえよ」
「あいつ、盛ってたって聞いたぞ。そんでそれからなんもないのか?」
「……誰に聞いたんだよ?」
「春香」
「あいつ……」
自分のことはいいが、優子のことを変に言われたくはない。真司がその噂の出所を追及すると春香だった。
春香と優子は笑顔で何かを喋っているようだ。
(優子、そいつはスパイだぞ……)
「心配すんな、真司。誰にも言ってないさ」
「恩に着るよ」
「あの上遠野がなあ。わかんねえもんだ」
「どこで聞いたんだ? それ」
「冬期講習の最終日にな。お前ら見てりゃ分かっから。手っ取り早いのが春香ってわけ。気を付けろよ、真司の行動、春香に監視されてるぜ」
「なるほどなあ」
「いいことあるさ、そのうち。忍耐だ。やせ我慢かな。それまではこっちの恋人に任せとけ」
永井が右手を意味ありげに動かした。自分で抜け、というわけだ。
「だな。おい永井、来たぞ」
六年生の集団が歩いてくる。先頭には例の女性講師。真司の歓迎会でSαに怒鳴り込んできたあの講師だ。
その後を女子の数人が続いている。その中心に倉橋真理恵がいた。
真理恵は六年生のナンバーワンで、同じ立場にいる一つ下の真司が気にかかるのか、時々休憩室で話しかけてくる。真司が一人の時ではなく、優子や永井とダベっている時だ。
外見通りに気さくな性格で、自分の優秀さを鼻にかけたりすることがなく、講師からも真司たち五年生からも信頼の厚い先輩だった。
「来てくれたのね。うれしいわ、あなたたち」
真理恵は五年生一人ずつと、引率講師の日村に声をかけたのち、校舎の中へと消えていった。今日は学力試験、明日に面接試験が控えている。
つまり、この中等部は受験シーズンの真っ只中で、受験生に二日間の消費を迫る学校なのである。
よほどの自信がなければ、受験は危険な賭けとも言えた。
「帰ろうぜ。塾でなんか食おう。腹も減ったし身体も冷えた」
永井の言葉と共に、五年生Sαのメンバーは塾へと向かった。




