第二十三話 恋する瞳
「……ありがとう、真司君。正直に言ってあたし、あなたに本気で痺れたわ」
この言葉を受け取った真司もまた、優子の豹変した姿に心を奪われた。
十数分前に教室を出て行ったあの時の優子から、明らかに雰囲気が変わっている。
優子が紅潮した顔を少しだけ上に向けて、熱心に真司を見つめている。
薄紅色のグロスに光る優子の小さな唇から、熱い吐息が繰り返し漏れては真司の顔に届いていた。
(なんだ優子、おれに惚れたのか……?)
いつもの優子ならばその小さな唇をキュッと結んでいるはずだ。今の優子はその唇を半開きにしたまま呼吸を繰り返し、その奥にあるピンクの舌をちろちろと艶めかしく蠢動させながら、その甘く芳しい吐息を真司に浴びせ続けている。
うっすらと涙を浮かべた目尻が下がって、瞳孔が大きく開いている。サディスティックにも見えた優子の切れ長の目が、今は明確な欲求の対象として真司を捉えていた。
先ほどから、店を切り盛りしている若い女性がチラチラと二人に視線を向けている。
「い、いや、礼には、その、優子。ちょっと照れるよ」
「あっ、ごめん」
自身の欲情に気が付いたのか、優子はハッとした表情を見せると真司に背を向けて、漆黒のワンレングスを揺らしながら黒いコートを丁寧に脱いだ。
肩から腰にかけてすらりと伸びた、優美な優子の背中のラインが真司の目へ焼き付けられる。
優子はその背を真司に向けたまま、肩から少し伸びたワンレングスの髪をバレッタで後ろにまとめている。
男が最も魅力を感じる部分は、女性の顔や胸ではなく後ろ姿である、と真司はジャックから聞いたことがあったが、それを実感したのはこの時の優子が初めてだった。
(ジャックのあれ分かったわあ……これかあ……なるほどなあ……やっと分かったわあ……これなのかあ……優子の身体……よく見るとすげえんだな……。あれ? うわこんなところでマジかやべえ……)
優子の後ろ姿をじろじろと眺めまわしていた真司を、毎朝のおなじみとなった現象が襲う。運悪く、髪をまとめ終えた優子が振り向いた。
「あたし、タヌキそばにするね」
真司は慌てて身体の変化を優子から隠そうとしたのだが、目聡い優子は真司の膨らみを目の当たりにして視線を泳がせた。
「…………」
「…………」
ところが、優子はすぐに両手でお腹のあたりを押さえると、今度は、明らかに目立ってきた自分の胸の膨らみにその視線を合わせている。お腹に手を当てているため、その膨らみがより強調されている。
優子は何かを考え込んで、自分自身にその何かを言い聞かせているように真司には見えた。
その間、正面から見るその優子の姿もまた、真司は心ゆくまで鑑賞した。
優子の時間が、ゆっくりと流れている。
(危なかったわ、このあたしがあんなふうになるなんて……。考えたこともなかったわ。でも、嫌じゃなかったしむしろ逆だった。あたしは確かに真司君を欲しいって思った……。怖いとも思った、のかな……。心も身体もまだ熱い……。きっと真司君も同じで、発情したあたしの姿に反応したのだわ……。……まずい、彼に身体を求められたら、今のあたしでは断れないわ。どうしよう……。だめ、身体を許しちゃだめ。あんなあたしの姿も、もうだめ。……もう絶対にあんな姿を真司君に見せてはいけないわ。来年は受験だし。こんなではきっとあたしは失敗する。優子、頑張るのよ。でも……、チュッてするくらいならいいのかも……。決めたわ、真司君にチュッてできるなら、そこまでにします。優子、いいわね。受験が終わるまで、我慢するのよ……)
(優子、そろそろ勘弁してくれ……)
「食券買わないと。ほらいくぞ」
優子は一度断ったのだが、家まで送るという真司の申し出を最終的に受け入れると、真司を自宅に招き入れて両親に紹介した。
やはり、優子は真司の求めを断り切れなかったのだ。




