覚悟を決めるとき
徐々に弱まりつつある太陽の権威を見て俺は冬の訪れを感じていた。日に日に日照時間は短くなり乾いた冷たい風が肌を刺すようだ。江莉と別れてからどれだけの時間がったただろう。なるべく日向にいるよう心掛けていたが鼻から液体が流れ出している。
時間を確認しようと周囲を見回してみるがオフィス街のため時間がわかるようなものはなかった。
ふいにキーンコーンカーンコーンと学校のチャイムを彷彿させるも、どこかメロディーの異なる鐘の音が聞こえた。
この鐘の音が鳴るのはいつも17時だったことから今の時刻がわかった。
江莉が心配になった俺は工事現場の様子を注視していると――― 。
突如、鼓膜を切り裂くような悲鳴が聞こえた。
ビルと反対側の大通りに黒い塊のようなものが工事現場のほうに向かってゆっくりと近づいてくる。
先ほどまでの閑静な街の雰囲気は消え去り、人々は逃げ惑いパニック状態になっていた。
遠目に見ていた俺がその黒い物体がヴォイドマンであると認識する頃には、周囲には肉の塊と深紅の液体が飛び散っていた。遅れて吐き気を催すような強烈な匂いが風に漂ってくる。
行かなくては。助けなくては。
気が付いた時には走りだしていた。ヴォイドマンに向かって距離を詰めながら左手の可愛らしい腕輪を握りしめた。変身して戦うんだ。そう考えた途端。俺は転んだ。
咄嗟に両手をつきだして身体を庇う。そしてすぐに起き上がると気が付いた。
足が震えていた。ヴォイドマンが怖いのか。いや違う。変身することが怖い。
精霊の言っていた言葉を思い出す。"次に変身したらどうなるかぼくにもわからない。"
最悪命の危険さえあるかもしれないらしいと言われたときは、それでもこの力を手放してはいけないと何となく思った。でもいざ変身しなければならない状況になって初めて恐怖を感じた。
腕輪を握りしめて地面を見つめて立ちすくむ。誰かのために自分の命を捨てることは簡単なことではない。少なくとも今の俺は自分の命がかわいくて仕方がない。でも少し思うのだ。今俺が動けば被害は少なくて済むはずだと。
決して俺一人の力で"誰一人犠牲者を出させない"などという傲慢な事を言うつもりはない。俺にできるのは被害を最小限に留めることだけだ。そして今ならそうすることができる。ここで思い悩んでいる時間にも犠牲者は増え続けているんだ。
自身を鼓舞する気持ちの一方で誰か別のヒーローが助けに来てくれるから、別に俺がここで頑張らなくても大丈夫なんじゃないかという気持ちも湧きあがってくる。
後ずさると気持ちが楽になった。でも顔を上げて見ればさっきよりも凄惨な光景になっていた。
ちょっと前よりも多くの血が流れ誰かの身体の一部が転がっている。
気が付けばヴォイドマンの周囲には人がいなくなっていた。所どころまばらに逃げ遅れた人間がいるだけでその多くは逃げ切ったのか。それとも亡くなってしまったのか。検討もつかない様相だった。
喉元まで来た吐き気をグッとこらえた時、一人の少女を視界に捉えた。
少女は毛糸のシャツに赤い紐を肩にかけたサロペットスカートを着ている。髪の毛はコテで巻いたのか少しウェーブがかかっている。子供が大人に憧れて背伸びをしてオシャレをしていた。
きっと気合を入れてオシャレをするような楽しいイベントがあったのだろう。
きっと今日は少女にとって最高の一日になるはずだったんだ。
少女はとても小柄で一目で小学生くらいだろうか。一人で道の真ん中にうずくまっている。
遠目に見ても泣いているのだとわかる。
そこの君! ダメだ。前にはヴォイドマンがいるんだ。早く逃げるんだ!
俺は心の中で叫んだ。いや声が出なかった。親はどうしたんだ。はぐれたのか。それとも?
もしそうだとしたら俺のせいなんじゃ…… 。
自分が迷った事であの子の両親が亡くなりこのままだとあの少女も亡くなるだろう。
そう考えたら余計に足が地面に張り付いて動けなくなった。
そんな俺の事はお構いなしに状況は最悪な方向に動いている。
ヴォイドマンが徐々に次のターゲットに向かって動き始めた。
その進行方向には震えて丸くなっている少女がいる。
次の狙いは自ずと理解できた。
その時だった。誰かが背中を押した気がした。
俺は前のめりになって転ばないように踏みとどまると、首だけ振り返った。
そこには誰もおらずあれほど動かなかった身体が軽くなった気がした。
"行って!"
そう言われた気がする。俺は顔をヴォイドマンの方に向けると全力で走りだした。
そして腕輪を力いっぱい握りしめて念じた。
淡い白い光が身体を包みこんだ。それと当時に心の中に暖かい何かが入ってくるのを感じた。
次の瞬間。身体に激痛を感じた。痛いはずなのにどこが痛いのかわからない。
歯を食いしばりながら必死に足を止めないように動き続ける。
そして少女の近くまで来たときピタリと痛みがなくなり、逆に力が湧きあがってくるのを感じた。
今ならばなんでもできるような全能感を感じながら敵を凝視する。
近くで見ればこのヴォイドマンは獣の姿をしており、その鋭い牙で噛み殺そうと大口を開けて少女に迫っていく。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
俺は自分の拳を握りしめてヴォイドマンの口に全力で放った。
「グヴォアアアアアアアアアアアア。」
ヴォイドマンに拳を放った瞬間。獣の形をした黒い化け物は俺の腕を抉るように牙を突き立てながら吹き飛んでいった。
すぐに腕に熱さと痛みが広がるの感じて顔をしかめた。完全に敵の虚をついていたはずだが思いのほか反応が早かった。魔法少女の力で強化されているが俺の右腕からは肉が裂けて血が出ていた。
思いのほか血が流れているため俺はすぐに腕の布を引きちぎって止血する。
そして少女にやさしく語りかけた。
「もう大丈夫だよ。安心して。俺が守るから。」
「うぇええええええええええん。」
少女は一瞬顔を上げると一際大きな声を上げて俺に泣きながら抱き付いて来た。
俺は彼女をやさしく抱きとめると頭をゆっくりと撫でながら言った。
「怖かったね。よくがんばったよ。もう大丈夫だから。」
こんな小さい子が逃げ遅れてひとりぼっちで化け物の近くにいたんだ。
どれほど怖かっただろうか。どれほど悲しかっただろうか。
全部俺のせいだ。早く変身していれば。早く駆けつけていれば状況はもっと変わっていたはずだ。
少なくても今よりは良い状況だったはずだ。だから本当は謝りたい。でも言葉を紡いだのは少女を安心させる言葉だった。
「あとはお兄ちゃんに全部任せて。だから君はここで少し待ってて。」
ここで俺が謝罪しても起こってしまったことは変えられない。今俺にできるのはこの子を少しでも安心させてあげることだ。
ずっと泣きじゃくる少女を丁寧に離した。
少女は不安そうに瞳を揺らして力いっぱいに俺の服を掴んで離さない。
「君、お名前は?」
「えみ。」
少女が震えながら答えた。
「えみちゃん。お兄ちゃんはあそこの悪い化け物を倒してくるから少しだけ待ってて。必ず戻ってくるから。」
俺とえみちゃんの身長はほとんど変わらない。もちろん俺の方がほんの少し高いのだがえみちゃんからすれば同い年くらいの子供にしか見えないのかもしれない。
「嫌だ! お姉ちゃん腕すごい怪我してる。きっと向こういったらお姉ちゃんもみんなみたいになっちゃう!!」
腕の怪我なんて大したことない。もちろん痛みはあるけど耐えられないほどじゃない。
でも見た目は重傷のように見えてしまう。だからこそ不安でしょうがないこの子は心配なんだ。
"みんなみたいに俺も死んでほしくない"
そんな強い思いが伝わってくるようだった。
「お兄ちゃんは正義のヒーローなんだよ。テレビのヒーローもどんなにやられても最後は必ず勝でしょ? 俺も一緒だよ。必ず勝つから安心して。」
えみちゃんの目をしっかりと見つめて笑顔で語りかける。
疑念を持った瞳のまましぶしぶ手の力を緩めてくれたので、俺はすぐにえみちゃんから離れるとヴォイドマンに向き直った。
黒い獣は吹き飛んだ先で何度も起き上がろうとしてはすぐに力なく倒れてしまう。そんな事を何度も何度も繰り返していた。身体の節々からは黒い煙が噴き出ており一目で重傷だと理解できる。
突っ込んできている相手に渾身の一撃を入れたとはいえ前回のヴォイドマンと比較するとかなり弱い。
ヴォイドマンにも個体差があるようだ。
俺はヴォイドマンに近づくと敵意をむき出しに大きく身体を動かした。
最後の力で俺を攻撃したいのだろう。だが俺もそのまま攻撃されるつもりもない。
そのまま足を頭上に蹴り上げるとそのまま踵をヴォイドマンに落とした。
コンクリートの地面が割れる音と共に衝撃波が周囲に広がり、風で破壊されたものの破片が霧散する。
そして足をどかすとヴォイドマンは黒い霧へと姿を変えて消滅した。
「ねっ。お兄ちゃんの言った通りでしょ? 俺は強いんだぞ!」
すぐに俺はえみちゃんの所に戻るとマッスルポーズを取りながら言った。
「ねぇねぇ。知ってる? "俺"って男の子が使う言葉なんだよ。」
えみちゃんはすぐ俺に抱き付くと不思議そうに見上げて言った。
「えみちゃんは物知りだねー。俺は男だからいいんだよ。」
「えー。違うよ。女の子だよ。男の子はスカートなんか履かないし、髪も短いんだよ。」
なんか心にグサッと刺さるものがある。えみちゃん、違うんだ。元の姿に戻ると男の子なんだよ。
今は変身してるから下半身にもアレがないけども戻れば立派なものがあるのですよ。
「た、確かに。で、でも元に…… 。」
弁明しようとして思った。俺はなんで子供と張り合っているんだ。大人げない。
別に今だけ方便で女の子ぽくしていればいいだけじゃないか。
「女の子はねー。わたしって言うんだよー。」
「そ、そっかー。」
大人の余裕を見せようと笑顔を作るがどうも引きつってしまう。
「ほら言ってみて!」
言わないとダメなのでしょうか?
ちょっと悩んでいると「はやくー、はやくー。」と急かされる。
仕方なく俺は恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら言った。
「わ、わた。わた、し。」
男が"わたし"って言うものじゃないって気がして恥ずかしくて言葉に詰まってしまう。
あれ? でもよくよく考えれば社会人だと"私"って使ってる人いるな。男の人でも。
そう考えたら何もおかしくないぞ!
「うんうん。」
自分より10歳くらい歳の差がある少女が満足げに頷いている。
なんかやるせない気持ちになりながら俺はえみちゃんを安全な場所に送り届けるべく聞いた。
「そ、そそいうえば、えみちゃん! お父さんとお母さんはどこにいるのかな?」
「いなくなっちゃったの。」
ショボーンと花がしおれる様に元気が無くなってしまう。
「はぐれちゃったってこと?」
「ううん。目の前で…… 。うぇえええええええええええええええん。」
えみちゃんは思いだしてしまったのか再び泣き崩れてしまう。
考えたくはないがこの様子だと両親はすでに亡くなっているかもしれないな。
俺が最悪の状況を想定し始めた時だった。
「えみーーーーーーー。 どこだーーーーーーーーーーーーー。」
「えみちゃんーーーーー。」
どこからともなく声が聞こえた。
それは男の人と女の人の声で徐々に近づいてきているようだった。
その表情は不安と緊張に引き締まっていた。しかしえみちゃんを視認すると一転して自然な笑みを浮かべて安堵して俺とえみちゃんの元に急いでやってくるとそのまま抱き付いた。
そう、俺も含めて。
はた目には化け物に襲われた町で子供二人が恐怖に身を寄せ合っているように見えたのだろう。
俺は親子の感動の再会に水を差すことができずそのまま黙り込んだ。
俺が躊躇したことでえみちゃんが天涯孤独にでもなったら、
それこそ悔いても悔やみきれない。だから俺はホッと胸を撫で下ろした。
でもえみちゃん以外にも殺されてしまった人たちはいる。
それはつまり俺のせいで大切な人を失った人がいるということには変わりなかった。
胸のどこかにじくりと痛みを感じながら俺はこの後の行動について思案を始めた。
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ひとしきりえみちゃんを抱きしめ無事を確認すると、次は俺の存在へとえみちゃん家族の意識が向くのは当然と言えよう。俺はのらりくらりと会話をかわしながらこの場を脱しようと決めた。
そんな時だった。工事現場からものすごい轟音と共にビルの一部が崩れ落ちた。
落ちたビルの破片が地面に激突すると衝撃で砕け散り、コンクリートの粉が煙になった。
四方に広がる煙が突如形を崩して二つに割れると俺の方に何かが飛んできた。
俺は咄嗟に飛んできた物体がえみちゃんたち家族のいる方向に被るため、
射線を遮るように立つと飛来物を注視する。
そしてそれが人であると気が付いてからの行動は早かった。
そのまま自分の身体をぶつけるように吹っ飛んできた人間をキャッチする。
だが自分よりも身体が大きく吹き飛んだ人間を受け止めることはできず、
飛んできた人物と一緒に転がる形で勢いを殺す結果となった。
「えっ!? ダークナイト?」
そしてようやく勢いが収まり倒れこんだ人物を見れば見知ったヒーローだった。
「ぐっ。」
苦しそうに胸を抑えながら悔しそうに顔を歪めて工事現場を睨みつける。
敵の襲来を予期したのだろうか。身構えながらすぐに起き上がろうとした。
その時に俺の顔を一瞬見つめて神妙な面持ちですぐに正面に向き直った。
だが予想以上にダメージを負っていたのか。足元が覚束ない。
「大丈夫か。何があったんだ?」
俺は崩れ落ちそうなダークナイトこと信に寄り添う形で肩を貸す。
といっても身長差があるので姿勢を支えるためにちょっと力を貸すので精一杯だが…… 。
「何でもない! お前には関係ない。」
信はひどく冷たく言い放った。その表情から感情は読み取れない。
だが俺も引きさがるわけにはいかない。ここでダークナイトが倒されると次は町の人間が襲われる。
もうこれ以上俺のせいで被害を広げたくはない。
それに中には江莉もいるはずなんだ。彼女はどうなったのだろうか。心配だ。
考えたくはないが信が苦戦する相手だ。江莉も苦戦ないしは―――― 。
最悪のシナリオを考え始めた頭をブンブン振って追いだした。
「関係あるよ。人がたくさん亡くなったんだ。これ以上犠牲者は出したくない。それに中にもいるんだろう。敵が。」
「くっ。なんで。なんで変身してしまったんだ! お前なんてこなくても俺一人でも何とかできる。」
「ねぇ。信。精霊の言う通りだとしたらもう手遅れなんだよ。俺はもう変身してしまった。その事に後悔はない。目の前の人間を見捨てるようなヒーローなんてくそくらえだ。
だから、その。最後かもしれないんだ。俺のわがままを聞いてくれ。」
まっすぐ信の瞳を見つめると言った。
精霊の話が正しければこの後はどうなるかわからない。
最後の望みだ。親友よ。頼むから手伝ってくれ。俺はそう願いながら言葉にのせた。
「わかったよ。」
信はどこかやり切れない思いが胸にあるようで顔を渋らせているが、
仕方ないというように息を吐くと言った。
話を聞けば信も旧神崎ビルに何か事件の証拠がないか調べに来たようで、
江莉と同じく侵入したらしい。
まったく二人してヒーローの力を悪用して…… 。
しかも同じような強行手段使うあたりが似た者同士なのかもしれない。
そしてその工事現場の中でダークヒーローに襲われたらしい。その者は黒衣を纏った大男で中年ぐらいでワイルドな出で立ちだったと言う。鉄を自在に操りかなりの手練れだったそうだ。
信は一人で苦戦を強いられ倒されそうになったところに江莉が助けてくれたらしい。
二人で協力して戦っていたがダークヒーローを見た江莉が激昂して突っ込んでいった。
強敵相手に一対一の形となり徐々に不利になり始め、油断をつかれて信は吹き飛ばされたそうだ。
「江莉が心配だ。戻らないと。」
簡潔にここまでの流れを説明した信はそう言うと足に力を込めて、体勢を何度も崩しながら工事現場へと向かう。
「信。お前は残ったほうがいい。その傷じゃあもう戦えないよ。」
俺は信の前に出ると両手を広げてストップと伝える。
「今はダークナイトだ。スノードロップ。お前が行くなら俺も行く。」
信はその手をやさしく払いのけて言った。俺が行かなくてもお前は行くのだろう?
なら俺も行くんだと。信の心配や気遣いを俺は感じている。だからこそ頑固な友人をこれ以上諭す必要は感じられなかった。
「足手まといになるなよ。ダークナイト。」
工事現場へ歩みを進めながらあえて軽口を叩くことで自分の不安を誤魔化す。
俺だって怖いのだ。この後、戦いで勝ったにしろ。負けたにしろ。
何かが起こるのだ。それは命を失うのか。はたまたヒーローの力を失うのか。
皆目見当もつかないが想定できない未来ほど不安なものはないのだ。
そもそも信と江莉が協力しても苦戦する敵に俺が行って勝てるのか。
考えだしら切りがなかった。
「ふん。お前こそ。戦闘中に転ぶんじゃないぞ。」
売り言葉に買い言葉。信も負けじと言い返す。
その語調はどこか優し気だ。
「ちょっ。あれはこの身体と元の身体で身長差があるから仕方ないんだって。
スノードロップの時は一度も転んでないから!」
「本当かよ。桂はドジだからなー。」
心外だ。みそ汁の茶碗を運んでててひっくり返したり、たまに財布とか定期を落とすぐらいだ。
月に数回程度。たまにだ。たまに。
「桂じゃない。今はスノードロップだって。それにドジでもない。」
俺のどこかドジだと言うのだ。
怒って反論しているつもりなのだが信は微笑んでいる。
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