ヴォイドマン
俺は地面を思いきり蹴ると空へ飛び立つ。
徐々に夕日は水平線へ沈み途切れ始めた雲を染め上げた。
不思議な色合いの秋の空には乾いた冷たい風が吹く。
「なんでズボンじゃないんだろう…… 。」
ヒラヒラと風にはためくスカートを抑えながら町を見下ろした。
ビルの倒壊により発生した灰色の煙は今は少し黒く変色した煙柱となっている。
俺は地面にゆっくりと着地すると周囲を見渡した。
崩れた高層ビルに逃げ惑う人々の悲鳴が木霊し、道路はひび割れ瓦礫が散乱している。そこはまるで平和な町に突如爆弾が爆発したような凄惨な光景だった。
ふいに誰かのすすり泣く声が聞こえた。俺は聴覚を集中して音の発生源の方向へと歩いていく。
「誰かー。いるのー。」
お腹から声を張り上げて叫んだ。
すると積み重なった瓦礫の下から絞り出すようなかすれた声が聞こえた。
「たす、けて。」
俺はすぐに瓦礫を一つ一つ丁寧に動かしていく。普通の人なら一人で持ちあげられない重たいものでも今の俺なら動かすことができた。徐々に大きな石を取り除くとコンクリート片に下敷きになった少年を発見する。
幸いなことに小柄であったため石と石の隙間に挟まっているようでそのまま救出可能と判断した。
「もう大丈夫、安心して。今助けるから。」
俺はやさしく少年へ語りかけ安心させるべく笑顔を見せる。そして周りの障害物をどけると少年を抱き起した。
次に比較的平らなコンクリート片に少年を寝かせると怪我の確認を行った。
左足に大きな切り傷がある以外は目立った外傷は少ない。
「少し痛いかもしれないけど我慢するんだよ。」
ただ負傷した左足からは絶えず大量の血が流れており少年の顔は徐々に青ざめていく。
そこで俺は腕の布を千切り取ると少年の左足の付け根を縛り、もう片方の腕の布を少年の傷口を覆う様に縛って止血する。
「うう。痛い。」
少年から大粒の涙が零れる。泣き叫びたい程痛いだろうがもう声を出す力もないようだ。
朦朧と俺の顔を見つめてはしきりに手が動いていた。
俺は少年を片手で抱き上げると片手は少年の手を握りしめ移動を始めた。
安全な場所へ移動しながら逃げ遅れた人や怪我人を誘導する。
俺は落ち着いて動くよう指示しながら安全な場所まで移動するよう促した。そして男は重傷者の運搬を行い、女は軽症者の手伝うよう言った。
そして道中の障害物は俺が壊したりどかして移動する。
誘導の途中子供扱いされることが何度もあった。だが俺の冷静な行動見てみんな態度を改めてくれた。
気が付けば100人くらいが列を成す大群となった頃、ようやく野外の臨時避難所に到着する。
「ありがとう!」
「こんな小さいのにしっかりしているねぇ。」
「ナイス判断だったよ!」
「こんなに大勢を助けてくれてありがとう。」
「君のおかげで被害を最小限に抑えられたはずだよ。」
俺は住民たちからめいいっぱいの感謝と賞賛を受けた。
喜びが全身に広がり自然と頬が緩むのを感じる。
「あなた、何者なの?」
ぽつりとそんな言葉が聞こえた。みんなを誘導する時に俺は怪力で瓦礫を粉々にしたり持ちあげてどかしたりした。普通の人はそんなことできない。さっきまでは突然の出来事にパニック状態だったが安全圏まで逃げ切れたことで冷静になったようだ。そうすると俺の存在に疑問を頂くのは当然の反応と言えるだろう。
「俺は魔法少女スノードロップ。ねぇ、聞かせて何があったの?」
俺はいつも通り名乗るとそれ以上の質問を受ける気はないので話題を変えた。
群衆の誰かがその問いに答えて言った。
「黒い変な化け物に襲われたんだ! あ、あいつは急に現れて…… 。」
狼狽した様子の男性が崩壊した町の中心部を指して言った。
黒い化け物? ダークナイトのことを言っているのか?
でも悪いことをする奴ではないはずだ。正体はあの信なのだから。
「ありがとう。行ってみる。」
俺は謎の存在を確かめるべくそう告げると崩壊した町へ踵を返した。
背後からは俺を心配する声も上がったが俺は片手で「大丈夫。」と手を振って跳躍した。
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化け物の場所はすぐに検討がついた。なぜなら住民を誘導する時もしきりにビルの崩壊音が鳴り響いていた。さっきは何かの爆発で連鎖的に崩壊を引き起こしているのだと思ったが、黒い化け物が破壊の限りを尽くしていたと考えるのが妥当だ。
つまり今なお崩壊を続ける町の中で特に激しい破壊が起こっている場所に向かえばいい。
そしてすぐに黒い化け物と呼ばれる存在を見つけることができた。
黒装束を身に纏った長身の男と反対側には真っ黒の何かが戦っていた。
黒い物体は丸いフォルムの輪郭からどす黒い煙のようなものが立ち込めており、
離れていても禍々しい雰囲気が針のように冷たく刺してくる。
どちらが黒い化け物なのかは一目瞭然だった。
一方がダークナイトで他方が黒い化け物だ。
俺は戦闘の邪魔にならないように注意しながら信の元へゆっくりと近づいていく。
「やめるんだ! なぜ街を、人を傷つけるんだ!」
ダークナイトこと信が化け物へ問いかける。
だが相手は人外の姿をしたモノだ。問答など通じるはずもなく触手のようなものを伸ばして攻撃してくる。ダークナイトは左右にステップを踏んで避けると覚悟を決めた様子で表情を引き締めて言った。
「話が通じないのか…… 。」
そう呟くとダークナイトは片手を上げるとその手に青い光を纏う。右手を中心に放電された雷がバチバチと音を立てている。だがダークナイトは一向に攻撃しようとしない。
その時だった。黒い化け物から触手が飛び出した。ダークナイトは咄嗟に腕で棒業するがそのまま吹き飛ばされる。
「ぐああああああああああああああああああ。」
ダークナイトがビルにぶつかり砂煙が舞う。そしてすぐに煙は円状に霧散するとダークナイトは再び黒い化け物と一定の間合いを保ったままにらみ合う。
「なんで攻撃しないの!」
俺は居ても立ってもいられずダークナイトに言った。
「君は昨日の。あのヴォイドマン。本当にヴォイドマンなんだろうか。」
ダークナイトは急な来訪者に驚きつつも俺の方をチラッと確認すると言った。
だがその返答は俺の問いに答えるものではなく自問するように呟きだった。
「人ではないのは間違いなさそうだけど。それよりヴォイドマンって何?」
「えっ!? 知らないの? ヒーローなら最初の契約時に精霊から聞くはずだけど。」
ダークナイトはあまりの驚きにきょとんとしてこちらを見るとすぐに化け物の方へ向き直ると説明し始めた。
その説明によるとヴォイドマンは人外の化け物で悪事を働くヒーローの敵とのこと。
今目の前にいる黒い化け物がそのヴォイドマンというやつらしく、ヴォイドマンを倒すのもヒーローの仕事らしい。
そして最後に付け加えるように間をおいて言った。
「あのヴォイドマンは人間のような気がしてならないんだ。」
その言葉が重く胸にのしかかった。もし本当にあのヴォイドマンとかいう黒い化け物が人間なのだとしたらダークナイトの躊躇いはわかる。
「なんでそう思ったんだ?」
「俺の見間違いかもしれないが、子供を襲おうとして躊躇ったように見えたんだ。」
俺は困った。その状況をこの目で見たわけじゃないから判断がつかなかったのだ。
ヴォイドマンが子供を襲う時にたまたま時間をかけただけかもしれない。それをダークナイトが見て子供を殺すのを躊躇うように見えてしまった可能性もある。だからヴォイドマンに理性があるかもしれないという根拠としては弱い。
「行動不能を狙って様子を見よう。」
とりあえず言えるのはあのままあいつを自由にさせれば被害が大きくなる。
ならばここで止めるしかない。幸いな事にダークナイトの魔法は雷を操る能力のようで行動不能にするには有利な力だ。
「ああ、俺もそう思ったがどうも中途半端な力じゃ止められそうにない。」
その言葉からすでに行動を制限するような力で攻撃したことが伺えた。
魔力も有限だ。そう何回も使えるものじゃない。
止めを刺すなら強い魔法が必要だし、拘束を狙うなら少しの魔力で動きを封じるべきだ。
つまり現状だと人かもしれないヴォイドマン相手に止めを刺すような攻撃をする以外に選択肢がないのだった。
思案に耽る俺たちにヴォイドマンもただ傍観しているわけじゃない。さっきまでとは比べ物にならない速さでダークナイトに触手を伸ばす。
「危ない!!」
一泊遅れてダークナイトが気が付くもその刹那の時間で触手は迫りくる。回避することが難しいと悟った俺はダークナイトを突き飛ばし攻撃を避けようと試みるがお腹に重たい一撃を食らった。
「ぐふっ。」
痛みに息を漏らして俺は吹き飛んでいった。いくつかのコンクリート片に身体をぶつけてようやく地面に転がった。遅れて痛みがお腹から身体中に回り痛みにうずくまる。
「大丈夫か! なんで俺なんかを庇うんだ。自分のことだけ考えていればいいんだ!」
すぐにダークナイトが駆け寄ると俺を抱き起こした。焦った表情で額から汗が流れ落ちる。
「助けてもらったんだから素直に感謝すべき。それより一つ試したことがある。」
俺はお腹を抱えながら立ち上がると言った。
「何をする気だ。ちなみに物理攻撃は効ない。ダメージ狙うなら魔法だが何か有効な能力を持ってるのか?」
冷静にポーカーフェースを意識して首を振って否定する。
そして俺は前方のヴォイドマンへ近づいていく。
その背後でダークナイトがぽつりと呟いた。
「その驚き様。お前物理攻撃でダウンさせようとしてただろ。」
おかしいな表情を表に出さないことに定評のある俺だが顔に出ていたようだ。
物理的に拘束ないしは無力化を狙うつもりだったがそれが駄目となると、最後の手段を試すしかない。
「動くな!」
俺はそう叫ぶとヴォイドマンにパンチを連打する。
何回も何回も叩き込む小さな風圧が周囲に広がった。確かな感触を感じながら最後の渾身の右ストレートを入れようと振りかぶると―――― 。
突如ヴォイドマンから触手が飛び出て俺は胸を強打して吹き飛んだ。
「ぐはっ!」
胸を打ったことで一瞬呼吸が止まり苦しい。息を吸おうとするも吸えないような錯覚に陥る。
少しパニックになりかけたがすぐに背後から声が聞こえた。
「落ち着いて息を吸うんだ。」
言われた通りにすると少し楽になった気がして気が付いた吹き飛ばされたのに固い地面にぶつかる感覚がなかったことに。
そうわかるのとほぼ同時に背後からダークナイトの声が聞こえた。
「馬鹿野郎。無策で突っ込むからそうなるんだ。」
地面よりは柔らかくでも今の自分よりゴツゴツしている何かを背中に感じた。
見上げればダークナイトの顔が見えた。そして背中には彼の腕があり抱っこされているのだと悟る。
しかもそれは俗にいうお姫様抱っこという奴じゃないだろうかと思った時には驚きと恥ずかしさで赤面した。
慌てて俺はダークナイトの腕から降りようともがくとゆっくりと降してくれた。
そしてダークナイトを見上げて言った。
「む、無策じゃない。」
頬をニヤニヤさせて俺をからかうようにダークナイトが言った。
「ほほー。じゃあ何がわかったんだ。」
「俺の魔法は通じない。」
「は? いつ使ったの?」
ダークナイトはきょとんとした顔で言った。
確かに俺は雷を扱うような目立った能力じゃない。
「動きを止めようと魔法を使った。でも通じなかった。」
「おかしいな。魔法は通じるはず。力が弱かったとか。」
ダークナイトはヴォイドマンを警戒しながら腕を組んで首を傾げている。
「たぶん通じない相手なんだと思う。」
推測だがこの魔法は相手がある程度知能がないと効かないのだと思う。
魔法少女になりたての頃、魔法を色々試した。確実に効果があったのは人間のみで動物に試したが効かなかった。
これで八方ふさがりだ。拘束はできずかといってこのままヴォイドマンを放置するわけにもいかない。
覚悟を決めないといけないのかもしれない。
そう思い始めた時だった。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ。」
ヴォイドマンが雄たけびを上げた。そこで初めて中心に弱々しく光る赤い瞳が見えた。
その瞳がジロッと俺の方を一直線に見つめた――――― 。
「ゴロシテ。」
そう聞こえたが脳がその言葉を認識するのに少し時間がかかった。
横に立つダークナイトも同様で驚きで棒立ちで口をパクパクと開けている。
だが声がでることはなかった。そしてしばらくしてようやく途切れ途切れになりながら確かめるように言った。
「今"殺して"と言ったのか。」
「ああ、俺もそう聞こえた。」
本当に人なのか? それとも俺たちを困惑させるのが狙いか。
だがそんな疑問がどうでもよくなるぐらいにヴォイドマンの行動が結論を示していた。
ヴォイドマンは地面に触手を打ち付けたり身体を叩きつけている。
"まるで早く殺してくれ、まだ人である内に"そう叫んでいるようにさえ見える。
「殺ろう。ダークナイト。どっち道俺たちは"この人"を放置できない。」
俺は自身の決心が鈍らないように気持ちを言葉にした。
ダークナイトは眉間に皺を寄せて逡巡して表情を引き締めてしっかりとヴォイドマンを見つめた。
「ああ、でも俺がやる。君は下がってるんだ。」
化け物の姿とは言え中身は人かもしれないのだ。それを殺すのに信だけにやらせられない。
「いやでも――― 。」
「いいんだ!」
ダークナイトは強く否定した。強い口調とは裏腹にやさしい視線で俺を見つめている。
そして刹那の時だった。ダークナイトは一瞬の隙をついて左手で俺の視界を覆った。視界が暗転すると耳をつんざくような雷鳴と共にヴォイドマンの獣のような雄たけびが共鳴した。
俺がダークナイトの手をどかす頃にはヴォイドマンは黒い霧状になって綺麗な空に霧散した。
ダークナイトを見れば顔を伏せたきりで口も利けないように暗い表情で立ち尽くしている。
その姿になぜ自分一人だけ罪を背負おうとしているのか責めることはできなかった。
ついにダークナイトは膝をついて呆然と空を見上げる。俺はその背中をさすりながら言った。
「だいじょうぶ?」
俺の言葉に感情という名の水で満たされたダムが決壊したようにダークナイトは言った。
「俺はなんのためにヒーローになったんだろう。助けを求める人を救うためだ。なのに、なのに。あの人を救えなかった。何がヒーローだ。何が魔法だ。人より強い力を持ってしても何もできない。なんのためのヒーローなんだ。」
ヒーローは全ての弱気を救い悪い奴らを倒す。それが理想だ。でも現実のヒーローは自分の届く範囲の人間を救うのがやっとだ。しかも必ず救えるわけじゃないし、場合によっては自分が死んでしまうこともある。アニメや漫画の主人公ならともかく俺たちはただ特別な力を持った普通の人間だからどこまでも無力なのは仕方ないんだ。
「ヒーローだって救えないことはあるよ。でも自分たちがやれる範囲で最善を尽くすものでしょ?」
「でも俺は助けを求める人を殺したんだ。悪人と何も変わらないじゃないか。」
状況が状況だったから仕方ないと割り切れればよかった。でも正義感の強い信だからこそ人を殺した責任を感じてしまう。
「それは違うよ。ダークナイト。君はあの人を救ったんだ。」
「違う。救うっていうのはあの人を普通の人間に戻して。」
俺はダークナイトの顔を覗き込みながらやさしく語りかけるように言った。
「でも私たちはその方法を知らない。あのままあの人を放置すればもっと多くの人が亡くなってたよ。それはあの人も望まないんじゃないかな?」
ダークナイトはそれを聞いて大きく目を見開いてそして項垂れるように下を向くと大粒の涙を零す。
俺は何か拭くものを探すが変身中で身に着けている洋服以外に布がなかった。
かといってこれ以上服を破ると見えてはいけない所が見えてしまうので仕方なく指で涙をすくった。
「もっと。もっと何かができた。そう思えてならないんだ。」
信の気持ちも理解できる。そう思ったから俺はその言葉に答えることができずただただ無言でダークナイトが落ち着くまで寄り添い続けた。
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