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彼方の世界で知る  作者: 莉岡
第六章
7/8

「回向」

 どのくらい眠っていたのだろう。目を覚ますと真っ黒い着物の背中だった。そうだ、あたしは案内人におぶってもらっていたんだった。もぞりと動いたのが背中越しに伝わったのだろう、案内人が包帯で覆われた顔をこちらに向けた。

「大丈夫か」

「……うん」

正直顔を合わせたくなかった。あんなに大丈夫、平気と言い切ったのに実際は金棒を振り下ろすことすら出来なかった。見ることしか出来ず、口先だけだった自分が恥ずかしい。だが、案内人はその話をすることなく、別の言葉をあたしに告げた。

「歩けるなら、降ろす」

「……降ろして」

あんなに震えて動くことが出来なかった体が嘘だったかのように、あたしの体は自由になっていた。地に足をつけ、ゆっくりと歩き出す。たった少しの間動かなかっただけなのに、随分久しぶりに歩くみたいだった。どうやらあの建物に行くみたいで、あたしは案内人についていく。いつもよりゆっくり歩く案内人に違和感を覚えながらも、口に出すことはせず、そして案内人もまた黙ったままだった。ただ歩く音だけが耳に届く。

 建物に着き、案内人は閻魔様がいた部屋へ入っていくのであたしもそれについていく。すると、その部屋にはあの鏡がまた置かれていた。

「……娘もつれてきたのか」

「その方がわかりやすいでしょう」

あたしを見るなりその強面を渋らせる閻魔様と、鏡に手をかざす案内人。あたしはいない方がいいのか、と疑問に思うが二人の会話の内容が見えない。立ちぼうけになっていると、閻魔様がこちらに来いとあたしに言った。言われた通りに鏡の前に向かうと、調整の終わったのか案内人があたしの隣に聳え立った。この鏡は、さっきはあたしの事故現場を映した。では、今度は何を映すというのか。そして、それをあたしが見る意味はあるのだろうか。あたしの隣に立った案内人が鏡に向けて虚空を指で切ると、鏡は白く発光した。そして、映像が流れる。そこに映ったのは見知らぬ男の姿。誰だろう、と頭を傾けていると案内人が口を開いた。

「これはキョウコ、貴様の父が現在に至るまでの映像だ」

「はあ?」

あまりにも意味がすぐに理解出来なかったため、思っていた言葉がそのまま出てしまった。どうして、今さらあの人の過去なんてものを見なければならないのだ。そんな胸糞悪いものなんて見たくない。けれど、案内人が見ろと促すものだから渋々鏡に目を向けてやる。こんなものに意味なんてあるわけがない、そう思いながらあたしは映像を見た。

 鏡に映る男は決して裕福そうではなかった。家の中には男と男の母である女性しか見当たらない。その女性はどこかおばあちゃんと似ていた。男は学校に通いながら働き、家でも率先して女性の助けをしていた。どんどん年を取っていく女性の代わりに掃除や洗濯を行い、献身的に支えていた。就職したのか、男はスーツで出かけることが多くなった。けれど、男は変わらずに女性を支え続けた。朝早く起きて二人分の朝ごはんを作り、帰ってからも持てる時間で女性を支えていた。そしてしばらくすると、男が一人の女性をつれてきた。お母さんに似ていた。やがて男はその女性と結婚し、子供を授かった。そのことを告げにいくと、女性はとても優しい笑顔で男を抱きしめていた。男もとても笑っていた。女性と住んでいた家を出てからも男は手紙を送っていた。会社のこと、妻のこと、子供のこと、色んなことが書かれているその手紙を読む女性はとても幸せそうな顔をしていた。ある時、男が妻と子供をつれて実家に遊びにきた。その子供はあたしに似ていた。子供と話をしている女性を、男はとても愛おしい顔で眺めていた。妻と肩を並べて一緒に台所に立つ女性を。男はとても優しい顔で眺めていた。

 だが、女性は突然亡くなった。男は泣き崩れ、ひどく落ち込んでいた。そして、仕事での失敗が増えていった。上司に怒られ、頭を下げているシーンが何度も流れた。妻が慰めようとするが、男が元気になることはなかった。そして、また上司に怒られたその晩、帰宅し駆け寄ってきた子供についに男は手をあげた。妻は泣きながらに子供を抱きしめ、ひたすらに謝っていた。男の母を想う姿に惹かれたのだ、母を失った悲しみは妻では埋めることが出来ない。それからも男はたびたび子供に手を振るっていくことが増えていった。

 映像はそこで切れた。あまりの事実にあたしは空いた口が塞がらなかった。あの人が母子家庭だったなんて初めて知った。今のあの人からは想像も出来ないほど、あの人は母を大切にしていた。あたしに暴力を振るっていたのは、愛してやまない母を失い自分という形が崩れ始めた、行き場のない感情によるものだった。しかし、とても複雑だ。あたしは、あの人にとってなんだったのだろう、ただの捌け口としか見えない。信じられないその複雑な真実に目を背け俯くと、案内人がゆっくりとあたしに声をかけてきた。

「……どんな理由であれ、この男がキョウコに暴力を振るっていたのは紛れもない事実。キョウコ、貴様はこれをどう受け取る」

そんなの、あたしが知りたいよ。女手一つで自分を育ててくれた母を大切にしていたお父さんの気持ちは痛いほどに伝わった。けれど、それを理由にあたしを捌け口にされるのはまた別だ。あたしは捌け口にされるために生まれてきたのだろうか。真実を知ったことで、あたしの頭はもうめちゃくちゃだ。あたしはいったいどうすればいいのだろうか。

 その時だった。切れたはずの映像が再び鏡に映りだした。これは閻魔様も案内人も予想外だったようで、とても驚いている。鏡に映ったのは、先ほどまで流れていた男の物語ではなく、病室だった。その病室には女の子――あたしが眠っていた。そして、その周りに三人が囲み皆涙の跡があった。

『もう家族を失うのは嫌なんだ……、都合がいいのは百も承知だ、頼む、助かってくれ……。一緒に暮らせなくてもいい、……頼む』

『ごめんなさい、ごめんなさい……でも、お願い、もう一度会わせて……。母として会えなくてもいい、……ただ一目でも会いたいの』

『……あの時みたいに、まださよならも言っていないのに、お願い……消えないで。やっと、……やっと仲良くなれたのに』

各々が涙ながら眠っているあたしに向けていた。三人の声は掠れ、今にも途切れてしまいそうで、涙と共に流れてしまいそうな程弱々しい。それは、泡沫のように消えそうな声。散々あたしに暴力を振るっていながら、このザマだなんて。なんだか笑えちゃう。許したわけじゃない、傷だらけになったんだ、許すわけがない。けれど、なにかが吹っ切れたような感覚だ。怒りも恨みも消えていない。でも少しだけ体が軽くなった。

「……父を憎んでいるのは本当。獄卒になって父を苦しめたいのも本当。けど、今は色々な気持ちが混じってる。でも、あの人に言いたいことがいっぱい出来た。ううん、あの人だけじゃない、お母さんにも御厨にも言いたいことがいっぱいある。……帰って、起き上がってそれを伝えたい」

あたしに難しいことはわからない。でも、一つだけわかったことがある、あたしは、愛されていたかったんだ。瞳から零れた涙は地面に落ち、染みになった。怒り、恨み、会いたい、許し、様々な感情が頭の中を駆け巡る。そして、それらは一つに収着する、帰りたいという気持ちに。けれど、あたしが帰りたいと願ったところで事態はなにも変わりはしない。あたしは、地獄にいるのだ。つくづく自分は身勝手な人間だ。地獄に落ちたい、獄卒のなりたいと願っていたはずなのに、今は帰りたいと願っている。この鏡が映しだしているものが本当に正しいことであるという保証なんてどこにもないのに、あたしは帰りたいと思い涙を流している。あたしは、どこで生きるべきなのだろうか。

「本当に、帰りたいと願っているのか?」

その時、あの朗らかな声が響いた。振り返ると、いつかいたのだろうかボサツ様はいた。ボサツ様は錫杖をつきながらこちらへ歩き、あたしの顔をじっと見つめた。顔を縦に振ると、ボサツ様は顔をしかめた。

「娘よ、つい先ほどまで主のことを調べていた。虐待を受けていたみたいじゃのう。それも体に傷痕が残る程の。おなごに傷をつけるのは如何なものか。浄玻璃鏡で現世の今を見たのじゃろう?安心せい、この鏡が映しだすものは全て真実じゃ。だが娘よ、信じられるのか。映像は偽りではないが、娘にとってこの男は十分信頼出来る者なのか?」

 ボサツ様はそう優しい声色で言った。まるで、あたしの心を覗いたのではないかと思うほどに、あたしの今の心中を曝け出された。けれど同時に、ボサツ様の話を聞いて決心がついた。

「帰りたいです。でも、あの人……お父さんは正直まだ憎んでます。けど、それでいいの。この鏡に映っていることが正しいなら、もう大丈夫」

あたしはここで、お父さんの暴力よりも遥かに怖いものをたくさん見てきた。だから大丈夫、というわけではないが、きっと大丈夫だという自信があった。鏡に映っていたあたしに涙を流すお父さんの顔は、おばあちゃんを亡くした時と同じ顔だった。あんなに愛していたおばあちゃんの時と同じ表情を、眠っているとは言えあたしに向けてくれた。お父さんのことはよくわからないけれど、お父さんがおばあちゃんを想う気持ちは本物だ。あたしはそれを知っている。もう一度、帰りたいですと強く言い切ったあたしをボサツ様は動じず見ていた。けれど、突然その固い表情を崩し、にっこりと笑い、「そうかのう」とほほ笑んだ。

「私は、幼くして命を落とした子供を転生させる役割を担っているのじゃが、その力を応用すれば娘、お主を現世へつれていくことも可能かもしれぬ。のう、閻魔よ?」

必ず成功するとは限らんがのう、とボサツ様は付け足した。そんな方法があったならば、どうして最初から教えてくれなかったのだろうか。明らかに、あたしは異端扱いされていたはずなのに。邪魔になるから早く返せばよかったのではないだろうか。そんなあたしの心の中の疑問に答えるべく、閻魔様が渋々口を開けた。

「……なんせ娘が生身の人間であったからな。菩薩殿も言っていたが、必ず帰れるわけではないからこの方法は避けていた。それにくわえ、娘、貴様は一言たりとも『帰りたい』と言わなかったからな。娘よ、どうする」

どうする、そんなの答えは一つしかない。こぼれ落ちる涙を袖で拭い、勢いよく頭をさげた。

「ボサツ様、お願いします。あたしをつれていってください」

 誰かに対してこんなに頭を下げたのは初めてだったかもしれない。綺麗に直角に折れたあたしの、ボサツ様は「確かに、了承した」と神々しく告げた。そして、転生の準備があるらしくボサツ様は一度退室された。お願いします、そうは言ったものの、一抹の不安が残る。必ず成功するとは限らんがのう――、ボサツ様が言っていた言葉が小さくひっかかる、もしも、帰ることが出来なかったらあたしはどこへ行ってどんな存在になるのだろうか。不安はどんどん広がっていき、拭ったはずの涙がまた溢れてきそうだった。

 そんな時だった。涙を堪えるあたしの目の前に包帯だらけの顔が映った。

「もし、無事に戻れたらここでのことは忘れろ。誰にも話すな。大丈夫、貴様は必ず現世に帰れる。そして、ちゃんと愛されている。貴様……いや、キョウコは人間だ、地獄ではなく現世で生きる者だ。もう迷うな。キョウコは地獄に落ちるべき悪い子ではない。きちんと現世で生きる資格を持っている」

初めて、案内人があたしの目線に合わせて喋った。最初会った時は腰が抜ける程怖く感じていた包帯だらけの顔なのに、今はとても優しいように見える。高い身長で屈み、あたしに目線を合わせる姿がなんだか面白くて、少し笑ってしまった。すると、包帯越しに眉間が寄った。目は見えなくても、この男にだってきちんと感情はあるんだ。そう告げると、私をなんだと思っていたんだ、と額を小突かれた。

「私は、八大地獄最下層阿鼻地獄を統べる獄卒。……キョウコが音を上げた等活地獄とは比べ物にならないほどの拷問を担う鬼」

音を上げたとは失礼な言い方だなと顔を顰めていると、だから、と続いた。続くと思っていなかったあたしは、立ち上がりながら続ける案内人を見上げた。直立のこの男はやはり大きかった。

「だから、この私の言葉を信じろ。ちゃんと現世に帰れる。そんな顔をするな」

そんな顔、とはどんな顔だろうか。わかっていないあたしを案内人は見るなり、溜息を吐いた。そして、また小突いてきた。しかも、今度はさっきより痛かった。痛む額をさすっていると、案内人は腕を組みながら小さく言った。

「悲しそうな顔、不安そうな顔はキョウコには似合わん。子供なのだから馬鹿みたいに笑っていろ」

ぶっきらぼうだし、なかなかに失礼なことも交じっているけれど、その言葉は不思議とあたしを元気づけた。笑わなくなったのはいつからだろう、最後に笑ったのはいつだろう。上手く笑えるかな、不細工って言われないかな。ううん、そんなことはどうだっていい。あたしは、顔を上げ案内人に精一杯の笑顔を向けた。ありがとう、そんな言葉を込めた笑顔は案内人にきちんと伝わっただろうか。多分、きっと伝わったはずだ。案内人は唇を斜めにあげ、優しい声色で言葉を紡いだ。

「そうだ、キョウコはそれでいい」

そして、その強張った大きい手であたしの頭に触れた。こんなごつごつした手に撫でられたことなんて今までに一度もないはずなのに、何故かとても懐かしく感じた。この感覚をあたしは知っている。けれど、これがどこで感じたものなのかが思い出せない。懐かしくも、優しいこの気持ちのいい感覚。一体どこであたしは知ったのだ。わからない。知りたいのに答えは見つからなかった。その時、ボサツ様が準備から戻ってきた。いつも通り錫杖を持ち、もう片方の手をあたしに向けた。

「さて、行くかのう」

あたしはボサツ様の手を取ろうとした。案内人のあの手のぬくもりは気になるけれど、今は一度置いておこう。目が覚めたらもう一度、考えよう。嗚呼、でも、もう会うことはないんだ。最後にこんなもやもやした気分にさせるなんて、やはり案内人は失礼だ。でも、そんな案内人にあたしは救われた。生きる自信が少しだけ身についた。本当の地獄を教えてくれた。たった少しの時間しかいなかったけれど、あたしはここできっといろいろなことに気付かされた。自分のこと、お父さんのこと、これからのこと。いろいろなことに気付かせてくれた。

 あたしは、ボサツ様の手を取らずに後ろに振り返った。閻魔様と案内人、あたしに着物を着せてくれた獄卒の人、あたしをここまでつれてきてくれた獄卒の人たち、そしてボサツ様。あたしはここで出会った人を思い浮かべ、あたしは笑顔で述べる。

「お世話になりました」

礼をし、にっこりと笑うあたし。表情は見えないけれど、案内人は口元が緩んでいるからきっと笑っているに違いない。閻魔様は厳ついその顔を少しだけ緩め、けれど威厳を持った声であたしに言った。

「次はきちんと亡者として出会おう」

その言葉を心に強く刻み、あたしは今度こそボサツ様の手を取った。ボサツ様にもお礼を言うと、何も言わずにただ笑顔で返された。案内人はここでのことは忘れろと言っていたけれど、あたしは忘れたくない。もちろん、人に言うつもりではない。ここでの記憶はきっと、あたしにとってかけがえのないものだ。ここで起きたことを忘れないよう、ひとつひとつ思い出し、噛みしめ、記憶に刻み、あたしはボサツ様と真っ暗な転生の道を進んでいった。

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