後章「逆流」
バスに揺られている間に、どうやら窓の景色は一変していた。駐車場にバスが停まり、降りてみるとここはいつもの町より空気がおいしいような気がした。もちろんあたしの勝手な思い込みだが。みなの反応を見ている限りそうでもなさそうである。そうここは京都。あたしは、遠足に来たのだ。未だ、少し後悔はしているが来てしまったのだからもう楽しむ他ない。いつもと違う景色にきょろきょろしていると、隣にいた御厨に覗きこまれた。
「小野さんもそういう顔出来るんだ。あっ、そっぽ向かないでよ」
御厨はあの日からずっと変わらずこの態度だ。それがいいのか悪いのかあたしにはわからないが、気まずくなるよりかはマシなのだけはわかっている。
一通り歩いたあと、八坂神社を起点に自由行動が始まった。各々が班に分かれ、班長があらかじめ用意していたマップを片手に散り散りになっていく。もちろん、あたしらの班長は御厨だ。御厨はリュックからマップを出し、辺りを確認するとあたしの腕を引っ張り「さあ、小野さん出発だよ!」と、相変わらずのまっすぐの笑顔をあたしに向けた。あたしは御厨に流されるがまま、八坂神社の朱の鳥居を潜り抜けた。
そもそも、あたしは学校と自宅以外の道をほとんど歩いたことがないのだ。だから、今日見るものすべて本当に新鮮だった。古い建物や様々な甘味処、坂道……今まであたしが生きてきた中で見ることが少なかったもの。それらに目が奪われる。あたしは今、未知なるところにいるのだ。柄にもないと知っているが、わくわくしている気持ちが昂ぶり心は高鳴る。
探索ポイントの一つにしていた六道珍皇寺に着いた時、国友がぽつりと零した。
「ここって、地獄に繋がっているっていう逸話があるよねー」
その言葉にあたしはぴくりと耳が反応した。――地獄。遠足という、慣れていないことに夢中になっていたせいで、頭の中から姿を消していた単語がぶくぶくと浮かび上がってくる。そうだ、あたしは悪い子だ。今回の遠足だってそうだ、素直に御厨を受け入れたらいいものを、あたしは何度も断った。断っていい権利なんてあたしは持ち合わせていないのに。結局のところ、あたしは御厨によってもたらされた束の間の「普通の生活」に酔っていたのだ。突然俯いたあたしを心配してか国友が大丈夫?と労いの言葉をかける。大丈夫、と答えたものの、本当はその労いの言葉さえあたしがもらってもいいものなんかじゃないのに。
境内はひどく静かで、風の音とあたしたちが鳴らす音以外なにもなかった。敷地内はそれほど広くないのであっという間に回ってしまった。オノノタカムラという人の木の像を見た時、この人は地獄とこの世界を行き来したのかと思うと、なにかよくわからない気持ちで心が埋まっていった。地獄は本当に恐ろしいところだったのだろうか、あたしみたいな子だらけだったのだろうか。陰がかかる心の中で様々な疑問が生まれる中、最後にお堂の小窓から見える井戸を見ることになった。国友と御厨が先に覗き、最後にあたしの順。少し背伸びをし、小窓から見えた景色は特になにも特徴のないありふれた庭みたいだったのに、あたしの瞳には今日見てきたどの景色よりも色鮮やかに映り、おもわず息をするのも忘れてしまった。一番奥に見える小さな古井戸。あれが、オノノタカムラが地獄へ行くための道になった井戸。木の像を見た時と同じ、なんだかよくわからない気持ちが再び込み上げてきた。これは一体何なのか。
井戸も見ることが出来たので次のポイントへ向かうことになる。御厨がマップを見ながら次のポイントへの道を調べていた時だった。ここへ来る時あまり車に遭遇しなかったので、あたしたちはつい油断してマップを見ながらの移動に心を許していた。だが、今一歩先で御厨がマップを見ながら歩いている左横の先に一つの黒い影――車が速度を持ってこちらへ向かっている。御厨は後ろを振り返り、国友と次のポイントについて話している。国友は影に気付いていない、あたししかこの状況に気付いていなかった。あたしがする義理なんてない、とか。悪い子なのだからこれぐらいしないと、とか。親友の国友はなんできづかないの、とか。頭の中ではいろいろなことがよぎった。それこそ、御厨と過ごした学校での記憶とか今この状況に明らかに不必要な記憶もまるで走馬灯のように駆け巡る。なんて不吉なんだ。でも、体は頭が考えていることなんて気にもせず、ただ走り出していた。無我夢中に走って、間に合えと体がそう叫んでいた。御厨の肩に触れたと同時に、影はすぐそこまで迫っていた。国友もようやく気付いたが、もうなにもかも遅かった。あたしはめいいっぱいの力で御厨を突き飛ばした。その時だけは、見えているもの全てがスローモーションだった。国友の叫び声とか、御厨の馬鹿みたいに驚いている顔とか、いろいろなものがあったけれどあたしはそれらを受け取ることなく、耳をつんざく轟音とぶつかった。
国友の助けを呼ぶ声、御厨の泣きながら小野杏子を呼ぶ声は決して杏子に届くことはなかった。
ここはどこだろう。そもそもあたしなにしてたんだっけ?ああ、思い出した。遠足に行ってたんだった。柄にもなくうきうきしてしまったんだよな、あたし。あれ、じゃあここどこだ?真っ暗でなにも見えない。なんであたしこんなとことにいるんだ。……そうだ、御厨をかばって車に轢かれたんだ。じゃあ、あたし死んだのか?いや、でもこれ死んでるようにはみえないぞ。動かすことは出来ないが手足の感覚だってあるし、今こうして頭の中で考えることだって出来ている。じゃあここは病院なのか。……きっと、なんで死ななかったのよとか言われるんだろうな。本当、これで死ねたらよかったのに。
ここまで頭の中でしゃべっていた時、真っ暗だった視界がうっすらと光が入ってきた。きっと意識が戻ったのだ。この光の先は病院の天井、そう思っていた。視界が完全に戻り、目を見開いた先に見えていたものは病院特有の白い天井――なんてものは欠片もなかった。その光景は、とても信じがたいものであたしは何度も瞬きをした。
「この娘どう見ても現世の人間だよな」
「ああ、しかもこれ多分生身だぜ」
「マジかよ!あ、起きたみたいだぜ」
「お、本当だ。おーい、大丈夫か」
その光景は、黒く淀んだ空を背景に、着物を着ているが人間にはあるはずのない角を生やした男にあたしは囲まれ覗きこまれていた。思わず大声を出して飛び上がり、尻餅をつきながら男たちから距離を離す。幸いなことに、男らはなにや話しこんでいるようであたしに着眼はなかった。このまま逃げようとしたが、辺りを見回した時あまりにも現実離れしている風景に思考が止まってしまった。そこらで燃え盛っている炎に、黒い空を飛んでいる見たこともない鳥、そして時折聞こえる悲鳴のような叫び声。ここは、どこなの?あたしやっぱり死んじゃったの?混乱するあたしを余所に男らは話こんでいるが、どうやら話がまとまったらしくあたしの側へやってきた。逃げなければ、と思ってはいるのにあまりにも信じられないことばかりで声も体も固まってしまっている。二人の男がそれぞれ両腕を持ってあたしの体を起こした。残った男の一人があたしに告げた。
「すごく怯えた顔してる……生身の人間だから当然か。ごめんね、少しついてきてね」
と、言い終わると両脇の男が歩き始めたのであたしも否応なしに歩かされた。
あたしはどこへ連れていかれるのだろうか。そしてここはどこなのだろうか。あたしは一体どうなったのだろうか。疑問が募るばかりのあたしは、これからどうなってしまうのか。




