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彼方の世界で知る  作者: 莉岡
第二章
2/8

「久遠」

 白馬に乗った王子様と結婚するんだ。伝説の剣を手にして魔王を倒すんだ。夢を叶えてこれから歩み続けるんだ。すべて幼い頃に読んだ漫画のお話。世に出ているフィクションはハッピーエンドで締められることが大半だ。現実とは違うと割り切っていても、どうしても物語の人物と自分を照らし合わせてしまう。両親から虐待を受けていた女の子は、自分に好意を抱いている好青年に助けてもらい両親とも和解。これも昔読んだ小説だ。嗚呼、どうしてあたしは物語の中に生まれて来なかったのだろうか。そうすればあたしも、普通の女の子になれたのだろうか。

 そこまで考えて、あたしはかぶりを振った。そんなこと考えたって仕方ない。いくら今生きているこの現実が嫌だからといって、受け入れたくないからといって物語の中に生まれたかったと考えるのはくだらないし、なにより愚かだ。だけど、「もしかしたら」や「いつか」なんて来ないと理解していてもどうしても願ってしまう。「もしかしたら」、「いつか」あたしも幸せな家庭で過ごせる。最近まで心の隅でそう思っていた。お母さんがお父さんを説得して、あたしを優しく受け入れてくれて、一緒においしいご飯を食べる。そうして怯えることなく眠りにつく。こんな生活がやってくると信じて疑っていなかった。けれど、現実はいつだってあたしに優しくない。そんなのは所詮あたしの妄想でしかなかったのだ。

「あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ」

頭の中であの言葉が幾度なく駆け巡る。あれは夢だったのではないかと思い、頬をつねってみたり頭を揺さぶってみたり様々なことを試みたけれど、一向に覚める気配はなく、ただこれが現実なのだと思い知らされるだけだった。

幸せな家庭というあたしの妄想が散っただけならよかったものの、それどころか唯一の味方(あたしはそう思っていた)を失ってしまった。文字通りの一人ぼっちになってしまったのだ。改めてそう実感すると、寂しくなってしまったのかなんだか無性に過去を思い返してしまった。あたしが持つ一番古い記憶は小学生になりたての頃おばあちゃんの家に行った時のだ。あの時はまだ普通の家庭だった。おばあちゃんとお母さんが作ったたくさんの料理をお父さんと一緒に食べて、あたしの運動会のビデオをおばあちゃんに見てもらって、いっぱい褒めてもらった。頭を撫でてくれるおばあちゃんの手が大好きで、何度も何度も撫でてもらいにいっていた。その度におばあちゃんは「仕方ないわねぇ」って笑って撫でてくれた。……どうして、この日々は続かなかったのだろう。これは、今あたしが思い描いていた家庭そのものだ。どうして、と強く思うと同時に生ぬるいなにかが頬を伝った。どうやら知らない間に泣いていたようだった。

 おばあちゃんは遠方に住んでいたこともあって、数えられるくらいにしか会うことはなく、そのままあたしが小学生を卒業する随分前に亡くなってしまった。そして奇しくもお父さんがおかしくなり始めたのもその頃だった。最初の時こそ、痣になっても目に見えないところを狙って殴っていたけれど、今やおかまいなしに至るところに痣や血痕が出来てしまっている。父親を憎んでいるかと聞かれれば、もちろん憎んではいると答えるだろう。ただ、時折この前にように悲しそうな目であたしを見てくることがある。暴力を振るわれるようになる以前から、お父さんにはなにか秘密を隠しているように見えることがあった。だが、それは分からないままだ。だけど、確かあの時――おばあちゃんの家を訪れた時に一度だけ聞いたことがあった。「おとうさんって、なにか秘密にしているの?」と。その問いかけに父は「杏子はまだまだ悪い子だから教えられないなぁー」と笑って答えていた。きっと深い意味は特になかったのだろうけれど、「悪い子」というフレーズは頭の中で引っかかる。そういえば、おばあちゃんにもよく言われたことがあった。


『いいかい、杏子ちゃん。悪いことばかりする悪い子はいつか地獄に落ちちゃうからね』

『悪いことって?地獄ってどういうところなの?おばあちゃん』

『お父さんやお母さんのことを聞かない子のことだよ。地獄っていうのはね、そういう子を苦しめるところだよ。火で焼かれたり、針で刺されたり、とにかく怖いところよ。杏子ちゃんはそんなとこと行きたくないでしょ?だから良い子でいましょうね?』

『うん!』


 とても懐かしい会話だった。そして、強く心に刺さった。今のあたしは、はたして「良い子」なのだろうか。子供への躾の言葉を鵜呑みにするのも馬鹿げた話だが、今はとにかくあの言葉を忘れたい一心だった。たとえ、子供を躾けるための意味などない言葉だとしても、お母さんの言葉が頭から少しでもなくなるのならそれでいい。だがしかし、軽く考えるだけであったはずなのにあたしの意思とは関係なくどんどん深いものになってしまう。

 お母さんは、お父さんが変わったのはあたしのせいだと言った。きっとそれは本当のことなのだと思う。あたしが生まれてくる前のことなんて全く知らないけど、おそらく先ほど思い出していた記憶のような生活だったのだろう。だから、きっとあたしのせいなんだ。じゃあ、あたしは「悪い子」なのだろうか?それはあたしには分からなかった。でも、少なからず「良い子」ではないのははっきりと分かる。そしてあたしは「普通」の子でもない。つまり、あたしは多分「悪い子」。おばあちゃんが言っていたことを思い出す。悪い子は火で焼かれたり針で刺されたりする、と。布団を被っているはずの体が無意識に震える。涙はずっと静かに流れている。

 あたしは、「悪い子」。地獄に落ちて、火に焼かれ針に刺され、徹底的に苦しまなければならない存在。お母さんが言った、「あんたなんか、生まれてこければよかったのよ」というのはどうやらあながち間違いではなかったようだ。だって、あたしが生まれて来なければお母さんとお父さんは仲良く暮らすことが出来ていたはずだ。先ほどまであれほどあった父を憎む心は、気づけば自分の不必要さを嘆く心に変わっており、母の言葉を受け入れたくない心は、自分を「悪い子」だと思い込む心に変わっていた。

 あたしは、地獄へ行かねばならない。だが、そうとは言えあたしにはどうすることも分からなかった。あたしに死ぬ勇気はない。そして、父に抗う勇気もなかった。自分はここにいるべきでないと気づいたものの、あたしにはなにも出来ない。涙は枯れてしまったせいか、頬に流れてこない。死ぬことも抗うことも出来ない自分に苛立ってくるが、それがあたしなのだと痛感させられる。物語の子たちならきっと、立ち向かっている。でもあたしにはそんなこと出来ない。立ち向かえないあたしは、ここにいる資格がない。

 ここまで考えた時、流石に頭がぼんやりとしてきた。そういえば、なかなか寝れずにいたのだった。明日は学校だ。さっきまで地獄に行かねば云々の思考をしていたのに、明日は学校があるなんて考えてしまう自分に思わず笑ってしまう。

目が覚めたら、地獄に落ちていますようにと、到底叶うはずのない愚かな願いとともに、あたしは意識を手放した。

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