海の先の世間話
人類が世界の覇権を握ってから500年が経った。
500年前この世界では人類が覇権を握るきっかけとなる大きな戦争があった。
「吸血戦争」と呼ばれるその戦いは、常軌を逸脱する力を持ち栄華を極めていた吸血鬼と呼ばれる存在と、それらに長きにわたって虐げられてきた人間との戦いであった。
人類はいかにして吸血鬼と戦い、勝利したのだろうか。
答えは簡単である。
吸血鬼を模倣し、自らが吸血鬼に近づくための力を手に入れたのだ。
人類の反撃の狼煙となったのは魔法というこれまた常軌を逸脱した力であり、その力はあらゆる技術の進化にも影響を与えた。
これは人類に魔法という恩恵がもたらされてから500年後の物語である。
すでに天辺付近まで上がった太陽は海面を鏡のように照らし、海鳥は今日もせわしなく鳴く。
そして穏やかな波に揺られた定期船が汽笛を鳴らしながら港に到着すると船の中からは長い船旅に飽きた様子の人々が次々とこのリーバダムに降り立ってゆく。
この町は世界有数の規模を持つ港を持ち、今日も大陸中からやって来た人や商品、情報がそれこそ波のように集まってはまた散らばってゆく。
ここを訪れたある著名な作家は「ここには世界のすべてのものがあり、すべての知識がある。そしてなにより自由がある」と記したという。
それが本当か嘘かを確かめる術は存在しないが、それ本当なのではないかと信じてしまうほどの人がいて物があって、知識があって、そして自由がある。
いつしか自由の町と呼ばれるようになったこの町の一角にある海を臨むカフェのテラス席に座る二人は今日も世間話に花を咲かせる。
「何かと寂しい時代になったものですね、ヴァン様」
そんなことを黒い長髪の女性クロエは机の上に大きく開かれた新聞に目を向けたまま、向かいに座る青年ヴァンに声をかける。
「唐突にどうしたんです?」
ヴァンは頬杖をついたまま何かめんどくさそうに海を眺めていた視線をクロエに向けた。
「エルドラゴのことですよ。併合賛成派と反対派がどんどん過激になって内戦寸前らしいですよ」
そう言ってクロエは新聞の一角を指差した。
そこには件のエルドラゴの置かれた状況が事細かに書かれていた。
リーバダムより南に船で1日程行った場所にあるエルドラゴという王国は現在、新聞の一面を連日賑わせる要因となっていた。
国土面積は小さいながらも肥沃な土壌と豊富な鉱山資源を保有するエルドラゴ王国の歴史は500年以上前、すなわち「吸血戦争」以前から続いている。
現在は第53代エルドラゴ国王スケイル・エルドラゴ氏が国を治めているのだが、彼には一人娘しかおらず、王妃もすでに亡くなっており代々男が国を治めてきたエルドラゴ王国は次期国王が存在しないという状況にあるのだ。
そして、その隙を付いて隣国であるサンドラ王国がエルドラゴ王国を併合しようと目論んでいるようで、それをめぐりエルドラゴ国民は併合されるかされまいかの二派に分断されてしまった。 ついには対立が激化した二派が武力によって決着をつけまいとしている。ということが王国を取り巻く一連の出来事。
いうまでもなくスケイル国王は独立反対派の人間である。
「形式上は内戦……でしょう。正直俺にはサンドラとエルドラゴの戦争にしか見えませんよ」
あくまでエルドラゴの内戦という形を貫いているのはサンドラの名前に泥を塗りたくないからだろう。
表向きに侵略戦争など行えば周辺諸国はもちろんのこと、自国の首を絞めかねない。
戦争は悪だという考え方が世界中の人々に根付いているこの世界で自ら悪者になることはどの国だって避けたい。しかしそれでも争うことを止められない人類は世界から隠れて戦争をする。
この一件はまさに人間の根底にある本能のようなものを浮き彫りにしているとも言えるかもしれない。
「私にもそのように見えます。悲しいものですね、人と人というものは」
長い黒髪を耳にかけながら、まるでため息でも吐くようにクロエが呟いた。
「今日もそれですか、クロエさん。たしかにそうかもしれないが、あなたは悲観しすぎだと思いますよ」
呆れたような表情でヴァンがそう言うとクロエはすこし頬を膨らませムッとした表情を作る。
いつもこうだ。
どんな話をしてても終着点はいつもこれ。
「悲しいものですね」の一言で終わってしまう。
それをヴァンが諭してわざとらしくクロエが頬を膨らませる。
クロエが何事も悲観することが事実だとしたら、ヴァンがそのやり取りに若干の面白さを感じているのもまた事実なのであった。
ふう、とヴァンが小さく息を吐くとそれに触発されたかのようなタイミングで船の汽笛が聞こえてきた。
ここは自由の町リーバダム。
人と船と物が行き交う港町である。