先生
前回のだけだと申し訳ない気がしたので、書いてみました。
立ち入り禁止の屋上のドアを開けると、赤い夕焼けがちょうど正面の山にかかるところだった。
「おお・・・」
俺はその瞬間、感嘆の声を上げた。
驚いた。普段は夕焼けなんて別に気にしたりしない。もう子供ではないのだから。それなのにその時は、山にかかる夕焼けを見てそんな声を上げた。それはとても綺麗な夕焼けだった。
「はあー」
いい気分だった。自分が子供の頃に持っていた純粋さが、今になってまたぴょこりと顔を出したような、そんな気持ちだった。楽しくなった。
夕焼け色に染まった屋上を見渡すと、屋上の端っこにぽつんと一人、誰かが立っていた。
そいつはあんなに綺麗な夕焼けを少しも気にする様子も無く、ただ屋上の錆びた手すりを掴んで下のグラウンドを眺めていた。
髪の毛とスカートが風に揺れていた。
そこに居たのは女生徒だった。
「おーい。ここは立ち入り禁止だぞー」
俺はその女生徒に近づいて言った。
その瞬間『びゅー』と鳴って強い風が吹いた。
その日は朝から風が強かった。それが屋上ならば尚更だろう。それに昼間は真夏日だったはずなのにその時は若干、冷たかった。放課後だからかもしれない。あるいは天気が変わる前触れなのかもしれない。
「んだ急に・・・」
俺が咄嗟に手で作った庇を顔の前から除くと、
その女生徒は何時の間にかこちらを振り返っていて、スカートやら衣替えしたセーラー服やら長い黒い髪の毛やらが風に靡くのもかまわずに、
「先生」
と、俺に向かってそう言った。
✽
「先生、来てくれたんですね。良かった。来てくれないと思いました」
その女生徒は若干固い表情ではあったが、でもはっきりとした口調でそう言った。
「そりゃ来るよ、俺ぁ呼ばれたんだから・・・お前が呼んだのか?」
その女生徒は俺が担当しているクラスの生徒の一人、今井真央だった。
彼女はこくんと一度頷いた。
「あーじゃあ、この意味わっかんねーおっかねー手紙もお前か?」
胸ポケットから、八つに折りたたんだ紙切れを取り出しそれを真央に見せた。
「はい。そうです」
真央は相変わらず固い表情で、そう言った。
八つに折りたたんでいたその手紙を広げる。そこには、
『ワ・タ・シ・ハ・ス・ベ・テ・ヲ・シ・ッ・テ・イ・ル・バ・ラ・サ・レ・タ・ク・ナ・カ・ッ・タ・ラ・ホ・ウ・カ・ゴ・オ・ク・ジ・ョ・ウ・ニ・コ・イ』
という新聞の文字の切り抜きが並んでいた。
「これお前が作ったのか?」
俺は真央の目の前にそれをぶら下げて、聞いた。
「はい、そうです」
真央はその時は、少し嬉しそうに笑った。
「何だよこれ。おっかねえーなー」
俺はそう言って真央に不満を告げた。
「こんなもんを知らないうちに職員室に持ってきて、席に置いておくとか、どういうつもりだよお前。誰か他の先生が見たらどうすんだよ」
もちろん俺以外の誰もこの手紙は見ていない。見せてもいない。見せられるものではない。
「相談なら普通に声かけたらいいじゃんよ?これ匿名だしよ。俺、超こわかったっつーんだよ」
「ふふふ」
真央は笑った。
「・・・何だよこれ?」
こういう時に怒れないから、俺は生徒になめられるんだろうな。そう思った。
「私、一回でいいからそういう手紙を人に出してみたかったんです」
真央は言った。
「何?何なの?暇なの?」
俺は言った。真央の顔は夕焼けを浴びてオレンジ染まっていた。
「先生」
真央の顔から突然笑顔が消えた。
「何だよ?」
俺は手紙をまたしっかりと八つに折りたたみ、それを胸ポケットに戻した。
「先生、本当の事を、本当の事を言ってください、お願いします」
真央はオレンジ色に染まったまま、真顔でそう言った。真央の肩が若干震えているのがわかった。俺にはそれが吹いている風のせいだけではないという事が分かっていた。
風は相変わらず吹いていた。強い風だった。誰かが事故で屋上から落下してもおかしくないほど強い風だった。
「・・・何のこと?」
俺はあたりを見回ながら言った。偶然都合よく空き缶とかが転がっていたら、それでタバコを吸いたかった。この屋上は立ち入り禁止にはなっているが鍵などは別にかかっていない。だから悪ぶりたい奴とかがよくここでサボっていたりする。ゴミをそのままにしたりもする。しかし、掃除でもされたのか、あるいは風が強かったからか、空き缶などはまったく転がっていなかった。
「先生、私知っているんです」
真央が切実そうな声を出してそう言ったので、俺は仕方なく顔を上げた。
「なんだよ?どしたんだよお前?何を知ってるって?」
この屋上を立ち入り禁止にしたのは、ここで例の悪ぶりたい奴らがよくサボるからだ。そういう事で済んでいるから、鍵はかかっていないわけだ。でも、例えば今日、誰かがココから落ちたりしたら。そしたら、まず間違いなく鍵がかかってしまうだろうなあ・・・あ~あ、残念だなあ。でも仕方ねえのかなあ。
「先生、こないだ自殺した茜と付き合っていたよね?」
そう言った真央の目と言葉、態度には確信が宿っていた。
「・・・茜?」
かわいそうに。真央、お前その若さで死ぬのかよ?お前がこっから飛び降り自殺したせいで、屋上は本当に立ち入り禁止になっちゃうよ?
「井上茜」
真央はすごく真面目な顔で言った。そういう真面目な顔、授業中にしてくれたらいいのになあ。
「その井上茜っていうのとお前は何?どういう関係?」
井上茜はこの間まで隣のクラスの生徒だった。今目の前に居る今井真央とは真逆のタイプだと思う。髪も短かったし、手紙で人を呼び出したりとかはしないんじゃないかと思う。あいつは直接声をかけるタイプ。周りの奴らからはいつも元気な娘という印象だったのではないだろうか?
でも実は違う。
あいつは何時までも黙って待つタイプの奴だった。他人に見つからないように。ただ黙って待つタイプの奴だった。先月死んだ。海に飛び込んだ。遺書等は見つかっていない。だから俺と付き合っていたことは誰も知らない。「秘密にしとこうな」俺がそう言ったんだ。茜は「うん、わかったよ。先生」と笑顔でそう言った。勿論、まだ学生とはいえ女は女だ。俺だってその笑顔を全部まるまる頭から信用したわけじゃなかった。でも、こうして今になるまで俺と茜の関係が漏れ出ていなかった事を思えば、あいつはあいつなりに俺の言葉を信用していたんだろうな。
はっ、まったく信じらんねーよなあ。そんなに簡単に他人の事信用するなんてさあ。世の中全部が全部、平和だと思ってんのかよなあ。
「幼馴染だったんです。まあ中学くらいから疎遠になりましたけど・・・」
そう言う真央の声は尻つぼみになっていって最後は消えた。風で髪の毛が顔にかかっていた。
「はあー、そう?へえーそうなんだー」
俺は自分の着ていた長袖のワイシャツの袖をめくった。日焼けしたくないんだ。だから俺は夏でも長袖を着ている。
「先生!海に行こーよ!」
茜がそう言ってきた時も、俺は長袖だった。
三連休を使って、俺の車で、二人で、勿論誰にも秘密で、俺達は海に行った。
「先生、長袖暑くない?」
茜は無邪気にそんな事を言っていた。
俺はそこで茜を海に落とした。
茜とは遊びだよ。最初から最後までそうだった。だって俺にはその時既に婚約者が居たんだから。いい所を出ている所謂御令嬢ってやつがさ?俺はその婚約者に出来なかった事を、茜にしていたんだよ。でも、あいつはそんな事一切知らないで「先生、将来、一緒になれる?」なんて言っていたな。かわいそうにな。
あと、馬鹿じゃねえのかな?
「真央さ、俺が知っている限り、茜は他人に俺達の関係をばらしたりはしてなかったよ。お前、何で知ってんの?」
俺は真央のいる、屋上の端っこに一歩近づいて言った。
「・・・」
真央は答えなかった。
「まあそれはいいかな。じゃあお前以外、誰か知ってんの?」
さらにもう一歩近づく。
「・・・私だけです・・・」
真央が言った。小学校とかで嘘は駄目だって教えているかもしれねーけどさ、でも、それだって嘘だぜ?お前、その正直で今、死んじまうよ?
「真央、空見てみ、夕日に染まった茜雲だ」
俺はそう言って空を見上げた。夕日はもうすぐ全部山に沈む。そしたら真っ暗になる。本当に真っ暗になる。誰かが事故で落ちてもそれは仕方がないんじゃないかと思える。
「茜・・・」
真央がそう言って上を見た瞬間、俺は真央の両脚を掴んで持ち上げた。
「先生!先生っ!やめて!いや!」
真央は叫びながらばたばたと暴れた。でもしかたねーよ。だって知らなかったらみんな幸せな事、お前知ってんだもん。だったら・・・しょうがないだろ?
「茜もさ、俺の事、先生って言ってた、ははっ。先生なんてさ!真央、お前は勉強ができて問題も起こさない。俺にとっていい生徒だったよ。あ、あと、勉強や読書だけじゃなくて、もっと人とのコミュニケーションをとろう。って日誌に書いたけどさ、あれ嘘。嘘だぜ。そんなもん俺は、どうでもいいんだ。たっくさん本読んでさ、将来作家先生になったりして、でっかい賞とってさ、そんでその時俺の事を恩師って言ってくれたらそれでいい。ってそう思ってた」
残念だな。真央。残念だよ。
「先生!やめて!落ちる!落ちる!」
尚もばたばた暴れている真央の腰が屋上の錆びた手すりに乗った。
後は、
「死んだらさ、もうあんな手紙もペンダントも持って来るなよ?俺超ビビリなんだからさ」
押せば、
「お前の葬式もちゃんと出てやっからな」
真っ逆さまに、
「ペンダント?」
さっきまで死にたくないと必死で暴れていた真央がそう言ってぴたりと抵抗を止めた。
「・・・あ?」
俺は脚を離して真央を見上げた。
✽
「先生、私、手紙だけです。ペンダントなんて置いてないです」
私は言った。本当の事だ。
「何?お前だろ?この・・・」
先生はそういうとスラックスの後ろポケットから小さなペンダントを取り出した。
「これ、このやっすい感じのやつ。これお前だろ?」
先生はそれをぶら下げて私に見せた。
「あ・・・」
そのペンダントに、私は見覚えがあった。
「なんだよ?」
先生はなんだか、何かにおびえているみたいだった。
「それ、子供の頃茜と一緒行った夏祭りの射的で私が当てて、茜にあげたやつだ・・・」
私は、そういうものに興味が無かったから。それよりもカキ氷のメロンやブルーハワイで下の色が変わるほうが楽しかったから。
「ああ?じゃあコレ、これは?これなんだよ?」
先生はそのペンダントを開けた。そこには茜と先生の写真が入っていた。
「・・・茜きっと本気だったんですよ。だから・・・」
「・・・何、何だよ?」
「私の夢に出てきたんだ」
私は手すりから屋上に降りてつぶやいた。
茜はこないだ私の夢に出てきて言った。
「先生の気持ちが知りたいの。だから真央お願い、協力して!お願い」
それだから私はあの手紙を作ったんだ。
「本気って何だよ?お前もかよ?お前らさ、馬鹿なんじゃねえーの!俺はさ、今度結婚すんの!だから茜とは最初っから遊びだったんだよ!?大体学生と結婚してどうなるってんだよお前らさ?もう、めんどくせーな。それに茜も茜だな。大体俺が殺したんだぜ!それなのに、どうしてお前の夢に出てきてまで・・・」
先生の言葉はそこで止まった。
「・・・先生?」
先生は私を見ていた。
「・・・」
いや、
違う。
『先生』
私の後ろ、手すりの向こう側から声。
鼻に潮の匂いがした。
先生の顔が、歪んだ。
「うううあああああああああああああああ」
先生は次の瞬間、私を飛び越えて屋上の手すりの外に消えた。落ちた。
まるで何かに引っ張られるような感じに私には見えた。
「ピョー」
静かになるとまた風の音が聞こえた。
「・・・」
私はその時、咄嗟の判断で先生の事なんか確認しないまま、落ちていたペンダントだけ拾って、急いで屋上から出た。そしてそのまま誰にも見つからなかったので、その日は走って家に帰った。
その後すぐに終業式があって、学校は夏休みになった。
だから先生と茜のことが一体どうなったのか、私は知らない。
でももう茜は夢に出てこない。だからまあいいんだろうと私は勝手に思っている。
ただ、とにかく今度のお盆に茜のお墓に行って、このペンダントを供えようと思っている。
ところでペンダントに入っていた写真。
先生があの時、私に見せたのは先生と茜のツーショットだったのに、私が家に帰ってからもう一度見てみると、
「・・・おお~」
幼い頃の私と茜、私達がまだ仲良かった頃の写真に変わっていた。
やば、どうしよ。
返したくなくなってきた。
茜?
これ、私が持っていてもいいかな?
ねえ、茜。
名前は井上真央さんと井上真央さんの演じた今井茜をクロスカウンターさせたものです。




