ワンコな君にしっぽがはえたら
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商業では粟生慧で執筆しています。
おもに電子書籍ではBL中心です。
商業の内容はほぼエロです。
晴海は自営しているペットショップのウィンドウから外を眺め、友人の息子だという翔の訪問を待っていた。外は薄暗く、ずっしりと垂れ込める暗雲から今にも雨が零れてきそうだ。
約束の時間を過ぎても、翔はなかなかやってこない。
『俺の息子、本当に世間知らずで常識がないというか……、ちょっと晴海、世間の厳しさというものを息子の翔に教えてやってくれないか』
晴海の脳裏に、高校の同級生だった友人の声が響く。確かに約束の時間が守れないという点は失格かもしれない。しかし、まだその少年がどういう人間なのかも分からないうちに断定するのは早いだろう。
そうこうしているうちにサアアアという音とともに雨が降り始めた。今日は晴れだと朝のニュースでは言っていた。その息子とやらは傘を持っているのだろうか、と余計な心配が胸をよぎる。もうそろそろ五時を過ぎようかと言うとき、店のドアが開かれた。
「ごめんなさい」
ブレザー姿の少年が頭からびしょ濡れになって、息を切らしながら晴海に向かって言った。ブレザーの前ボタンをきっちりと留め、不自然に大きく膨らんだ腹を大事そうに抱えている。
一瞬、その風体にぎょっとしたが、顔には出さず、晴海は普段トリミングの時に使うバスタオルを棚から取り出して、少年に渡した。
「風邪を引くから、ブレザーを脱いだら?」
少年が戸惑うような表情を見せた。
「大丈夫。タオルで良く拭くから……」
そう言って、受け取ったタオルに頬をうずめ、満面の笑顔を浮かべた。ふっくらとした頬にえくぼが出来る。
太陽のような笑顔に、晴海はどきっと胸が弾むのを感じた。
「ところでそのおなかは何なの?」
先ほどから気になっていた、大きく膨れたブレザーを指さした。
「あ!」
笑顔だった少年が、今度は目を大きく見開いて慌てたように自分の腹を見下ろした。
そのくるくると変わる表情はまるで万華鏡のようで、あっという間に晴海の心をつかんでいた。高校生のようだが、もっと幼く見えてしまう。
「あの、もう一枚タオルください!」
声変わり前のメゾソプラノの声が明るく言い放った。
思わず晴海は店のカウンターに戻り、棚からもう一枚バスタオルを持ってくると、少年に渡した。
少年が床にしゃがみ、優しい手つきでボタンを外していく。それを見て、晴海は胸がどきどきと逸るのを感じ、後ろめたい気持ちに駆られた。
少年の腹から、不細工な顔をした汚い小型犬が顔を出した。シーズーとパグのミックスのようで、白と黒の毛並みが不揃いに伸び散らかっている。当然少年の白いシャツは真っ黒に汚れていた。
頭も雨で濡れそぼり、着ているものは泥だらけ。晴海は黙ってみていられなくなり、何も言わず店の奥に引っ込むと、自分のシャツとズボンを持ってきた。
「これに着替えて。それと、そのわんちゃん、君の?」
少年のきょとんとした顔が天使のようにかわいい。うっかりしていると、見惚れて何もかも忘れてしまいそうになってしまう。
「ううん、この子は公園にいたんです。でも首輪もしてないし……。可哀想だから連れてきたんです」
でもなぜ自分の家でなく、晴海のペットショップを選んだのだろうか、と不思議に思い訊ねた。
「あ!」
また高い声で少年が声を上げると、立ち上がって照れたように言った。
「初めまして! 翔です!」
そういう翔自身がまるで小型のワンコのようだった。
「君があいつの息子さんか……」
世間知らずとは聞いていたけれど、どちらかというと無邪気で天真爛漫な感じだ。確かに、約束があるのに公園で犬を拾ってくるのはちょっとどうかと思うが、優しいことには変わりはない。
「仕方ない。わんちゃんはきれいにしてあげるから、その間に、シャワーでも浴びたら良いよ」
晴海はため息を吐くと、苦笑してペットショップの奥を指さし、翔に風呂場の位置を教え、もう一枚バスタオルと着替えを一緒に手渡した。
翔がとろけるような笑みを浮かべて、ぱたぱたと店の奥へと走って行った。
なんだか憎めない少年。それどころか、そのかわいらしさに、胸がざわついて仕方なかった。晴海は気持ちを落ちつかせるために、薄汚れた犬をトリミング室につれて入った。抱き上げた犬の状態がやけに気になった。やせ気味であばらが浮いている。四肢に少し傷があった。もしかしたら野良犬なのだろうか。しかし、おとなしく晴海にされるがままになっている。とにかくこのまま泥だらけにはしておけず、晴海は犬を洗い出した。犬の毛が灰色から白くなり始めた頃、トリミング室のドアがいきなり開かれた。
驚いて顔を上げると、頭から滴を垂らし、素っ裸の翔がドアから顔を覗かせていた。肌の色が抜けるように白く、華奢な肩がシャワーの熱でほんのりと赤く染まっている。淡く色づいた胸の突起に思わず視線が行ってしまう。気づけばパンツすら穿いてない。動揺した声で晴海は言った。
「な、何か着なさい!」
「あ!」
無邪気に翔が声を上げた。わざとなのか、天然なのか分からない。
「でも下着がないから」
照れながら笑う頬がほんのりと上気している。晴海は腕がうずうずするのを感じた。この生き物を両腕で抱き締めたらどんな気分だろう。
結局下着から服まで全部着せて、店の片隅に椅子を並べた。向かい合わせに座った翔を晴海は見つめた。だぶだぶのシャツ、ウエストの余ったジーパン。裾もまくし上げて、大きめのクロックスを履いている。その膝には、すっかりきれいになった犬が抱かれていた。
「で、なんで犬を連れてきたの?」
「可哀想だったから」
「でも、ここで体験バイトするはずだったでしょ?」
「うん、でも可哀想じゃないですか?」
「まぁ、可哀想かもしれないけど、飼い主さん探してたら大変じゃない?」
「あ!」
そのときの顔が何とも言えずかわいい。抱き締めて頬をすりすりしたい衝動を、晴海はぐっとこらえた。
しかし、急に翔が悲しそうに眉を寄せた。釣られて、晴海も眉が寄ってくる。
「あの、この子ね、針金で手足をくくられてたんです。だから、どうしても放っとけなくて……。あの、僕、この子にかかったお金とか頑張って払うから、これからバイト、お願いします!」
一生懸命な様子がひしひしと伝わってくる。即答で「いいよ」と答えそうになるのを、理性で抑えた。
「ここで犬は飼えないよ。ちゃんとお父さんに相談しないと。それからバイトがあるって分かってるんだから、ちゃんと遅れるときはどんな理由であれ、連絡すること!」
「はい!」
翔が甘いお菓子のような笑みを浮かべた。その笑顔だけで、晴海の心は溶かされていく。どうしよう。見えない耳としっぽが見えてくる。こんなにかわいい生き物とこれからずっと一緒にいられるなんて、とうてい理性で抑えていられない。
「えーと」
翔が唇を尖らせる。桜色の艶やかな唇が甘ったるいクリームに見えてくる。
「名前……」
翔に問われて、晴海は我に返った。
「ああ、晴海。晴れた海って書くんだ」
「晴海さん! これから、よろしくお願いします!」
翔の頭と尻に見えない耳としっぽが一瞬見えたような気がした。
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