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黒の黄昏  作者: GB(那識あきら)
第十四話  滴り落ちる闇
56/72

三 神話

 

 

 

 ランプの光を映し込んで、茶色の三つ編みが夕焼け色に染まる。

 無言で上体を起こしたリーナは、静かに顔を上げた。

「ヒトと言葉を交わすのは、何千年ぶりだろうか」

 その声は間違いなくリーナのものであったにもかかわらず、その言葉は彼女のものではなかった。いつもより幾分低めの、落ち着いた声。周りをゆっくりと見渡すその仕草。大きな碧の瞳が深みを増し、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

「な、何千年……?」

「死霊か……?」

 喘ぐようにシキが発した言葉を受けて、レイがおずおずと問いかける。問われたユールは、まるで人ごとのように、軽く肩をすくめて首をかしげた。

 その、あまりに無責任な態度に、サンの怒りが爆発した。

「貴様、彼女に一体何を……!」

 ユールは、胸倉を掴まれても特に動じる様子を見せない。眼鏡の奥の瞳をギラギラと輝かせながら、ただひたすら黙ってリーナを凝視している。

「死霊などではあらぬ」

 威厳溢れる態度で、再びリーナが応えた。

「なるほど、我が(あるじ)が我との契約を解かなかった理由は、この逢着のためであろう。永い……永い漂泊であった……」

 室内が急に暗さを増したような気がした。

 

 沈黙を破ることができずに、その場にいた全員がただひたすら立ち尽くしている。リーナという器に入った「何か」は、九人に順に視線を巡らせ、それから微かに微笑んだ、……ように見えた。

「私は、アシアスの最後の巫子。巷間(こうかん)では黒の導師と呼ばれていた者だ」

 黒の導師。

 アスラが糾弾した忌まわしき者の名前。今、彼らの目の前に口寄せられたのが、その者だというのだろうか。

「ちょっと待て、死霊じゃないって、死んでいないってことか? 巫子ってのは不死なのか?」

 レイの声に、リーナ、いや、黒の導師は、彼のほうに向き直った。

「そうではない。私の知り得る他の巫子達は皆、死んでいった。私だけが、身体が朽ち果てたあともこの地に留まらされ、永き年月に亘って、この神殿が忘れ去られ荒廃していくさまをただ見つめ続けてきたのだ」

 導師は、もう一度、ゆうるりと辺りを見まわした。

 何千年という気の遠くなるような永い間、彼――いや、彼女かもしれない――は、ただそこに在る、というだけの日々を重ねてきたのだという。

 それは、恐るべき苦行ではないだろうか。なにものかと言葉を交わすこともなく、たった独り、ひたすら無限と思われる時間を無為に送るというのは。

「最初は罰なのかと思っていた。我が(あるじ)の命とはいえ、定命の者が、大いなる存在を封じるなどという身のほど知らずな行為に及んだ、代償であると思っていた。だが、そうではなかったようだな」

 にっこり、と、今度は明瞭に導師が微笑んだ。

 それは、とても満足そうな笑みだった。

「他の神々だけではなく、我が(あるじ)アシアスですら、今や真の意味で人々から忘れ去られつつある。遥か昔に()の者が蒔いた種は着実に根を張り、世界を蝕みつつある。私は、いつか誰かがその事実に気がつくであろうことを信じていた。罰を受け、この地に縛られているこの自分が、再び人の世に関与することなど許されぬとしても」

 まるで、何かに追い立てられているかのように、導師は饒舌だった。

 その言葉を紡ぎ出すのはリーナの唇のはずだが、誰もがそこに、見知らぬ存在を強く感じていた。

「だが、最近になって、その流れが加速していることに気がついた。何者かが、その種を性急に芽吹かせようとしている気配に」

「それが、十五年前のガーツェの噴火でしょうか」

 その落ち着いた声がユールのものだと解って、サンは驚いて彼を振り向いた。胸倉を掴んだままだった手を慌てて離す。

 ユールは、乱れた襟元を気にすることなく、導師をじっと見つめ続けている。

「十五年……もうそんなに経つのか。まるで昨日のことのように感じられるものだが」

 そこで、導師は少しだけ言葉を切った。

「あの時までは、ルドスの教会が、断続的に、だが連綿とこの神殿に(もり)を遣わせてくれていた。最後の(もり)は知に対して随分と貪欲な人間だった。彼はアシアスの術だけでなく、禁じ手の術も幾つか習得しているようだった」

「禁じ手の術とは……? 暗黒魔術のことかね?」

 そう言ってザラシュが身を乗り出した。導師は、少し怪訝そうな調子で、続ける。

「暗黒魔術? その定義は私の知るところではない。彼はその術のことを単に『魔術』と称していた。(もっと)も、そのお陰でこの神殿はあの灼熱の泥から守られたわけなのだが」

「もしかして……」

 そう言ってから、シキは両手を身体の前で複雑に動かした。歌うような呟きののちに、彼女の身体の前に青白い光の面が閃いた。

「この術のことですか?」

「そうだ」

 導師が頷くのを見て、シキは再び何かを唱えた。魔術の盾は一瞬にして消失する。

「彼は、文字どおり持てる力の全てを使い果たして、神殿を守ってくれた」

 一縷の無念さを込めた声で、導師は言葉を継ぐ。

「そうだ、あとで力を貸してはくれまいか。彼を……弔ってやりたい」

 

 ランプの芯が、低く震えるような音を微かに立てる。

 次に沈黙を破ったのは、ルーファスだった。少し逡巡する素振りで、おずおずと口を開く。

「一体、何が世界を蝕んでいるというのですか?」

 リーナの顔をしているが、リーナではない者――モノ、と呼ぶべきなのか――に語りかけながら、ルーファスは自分の声が震えていることに気がついた。「確かに、大きな戦争がありました。ですが、人々の生活は確実に豊かに、そして住み良くなっていると思います。誰がどのような悪意の種をこの世界に蒔いたというのですか?」

 導師は、その問いに目を伏せた。しばらく黙り込んだあと、そっとリーナの碧眼を開く。

「……先ほどの術、あれを君達は何と称しているのだろうか」

「『盾』だ。古代ルドス魔術『盾』の術」

 レイがそう言うと、導師は苦渋の(おもて)を作った。

「なるほど、古代ルドス魔術。我が故郷の名が、なんとも不名誉な使われ方をしているものだ」

 言葉の意味を図りかねて、皆は黙って続きを待つ。

「だが……それも仕方のないことやもしれぬ」

 

 

 

 突き詰めるならば、信仰とは感謝の気持ちである。

 祈りの言葉は神への願いの言葉であり、賛美の言葉でもある。だが、その単純なことを困難だと感じる人間は決して少なくはない。人々はともすれば妄信に囚われ、自らを失ってしまいがちだから。

 だからこそ、彼はアシアスの巫子に選ばれたことが嬉しかったし、誇らしかった。自惚れは禁物であったから、彼は常に自分を律して、驕れることなくただ素直な心で神に祈り続けていた。

 

「呪文書?」

 神への祝詞を書物に正しく表すことなど不可能だろう。

 何を馬鹿なこと、と彼は眉をひそめたが、それに気づいていない赤毛の修道士は得意げに胸を張ると、ぴん、と伸ばした右手の人差し指を顔の前で数度振った。

「国王様が、遂に下賜なさるそうだぜ。『禁じ手』の術の書を、さ」

「ばかな! あのような、神を(ないがし)ろにする術を、市井に広めようとでも仰られるのか」

 礼拝堂内に、驚愕した彼の声が反響する。色めきたって腰を浮かせた彼に、修道士が不思議そうに問いかけた。

「別に(ないがし)ろになんてしてないだろう?」

 彼は、信じられない、と大きく嘆息してから、修道士に向き直った。

「王の詠む呪文には、神の名が無い。神の真の名を読めぬ者が神の技を賜おうというのだ。これが冒涜以外のなにものだというのか」

 黒い僧衣の裾をひるがえしながら、彼は窓辺へと歩み寄った。

 遠く、家々の屋根の向こう、高台に王の城がそびえ立っている。紺碧の空と、白い山肌と、それに映える赤い尖塔。

 あそこにおわす(たっと)き方は、自分とは違う世界に立っている。

 そう、違う世界。それは身分や出自といったような単に社会的な意味での差異ではなく、もっとずっと根源的なものだ。二方を別っていただけのその暗くて深い溝が、今、自分の周りを取り囲もうとしているのだということに気がついて、彼は思わず両腕をかき(いだ)いた。

「何故だ? 人々の役に立つ技が世に広まることに、どんな問題があるというのだ?」

 おそらく、この修道士は自分が朗報をもたらしたつもりだったのだろう。期待したものとは違う反応に苛ついたのか、少し刺々しく言葉を投げつけてくる。

 彼は大きく息を吐いて、静かに修道士を振り返った。

「そもそもこれは、ヒトの技ではない。ヒトが広めて良いものではない。あくまでも神の御心が全てだ」

「ふん、そりゃ、導師殿はアシアスに選ばれた、偉ーいお方だからな」

 修道士の口元が、歪む。

「あんたは、その能力を独占したいだけなんじゃないのか!?」

 顔を背けてそう言い捨てて、修道士は靴音高く去っていった。

 黒の導師は、憂いをその瞳に湛えて、静かに(おの)(あるじ)の名を呟いた……。

 

 

 

「神の真の名?」

 導師の語りが途切れたところで、シキとレイが同時に口を開いた。

「思わぬところから助けが入ったものだな」

 少しだけ苦笑しながら、ザラシュが孫弟子達を振り返った。「これが『宿題』の答え、だよ」

 そうして、再び導師のほうへ向き直る。

「術師の資質として最も必要なことは、真実を見極める力、だ。それは書物で伝えきることができるようなものではない」

 ザラシュのこの言葉に、導師が目を細めた。

「君は気がつくことができたのだね」

「四十年かかりましたが、な」

 ザラシュは少しだけ得意そうに微笑んで、言葉を重ねた。

「古代ルドス魔術は、神を迂回するものだ。この世の全てに宿る多くの神々一柱々々に語りかけねば成せなかった技を、言の葉と印の力で無理矢理に起動させる……、なるほど、だから『禁じ手』の術、と」

「そうだ。そして、ヒトが呪文書という概念を手に入れてしまったことで、我が(あるじ)への祝詞も不完全なままに同様に記録され、形骸化してしまった。彼の罪は計り知れぬ」

 導師が、拳を握り締めた。

 あまりに痛々しいその気配に、一同はただ息を呑む。やがて、皆を代表するかのように、ユールが静かに問いを発した。

「彼、とは?」

「ルドス王国最後の王だ」

 

 ルドス王家の人間がその不思議な術を使うようになったのは、建国時まで遡る。いや、その技があったからこそ、ルドス王国は成立したのだろう。「禁じ手」の技を駆使した残酷な征服者として後世に知られる初代王は、黒髪を風になびかせながら、天府の統一を宣言した。

 そう、黒髪。

 王家の当主は、王であるとともに巫子でもあったのだ。彼らが仕えていた(あるじ)の名は明かされなかったが、王位とともにその神との契約も次代へと受け継がれていったのだった。

 

 導師は、淡々と語り続ける。

「歴代の王達は、皆、野心的な人間だったと聞く。契約の(あるじ)がそうであったからなのか、王達がそうであったからこそ(あるじ)に選ばれたのか、因果は解らぬ。神と巫子は少なからず同調するものだからな」

 いつの間にか、ランプが、少し光量を減じていた。

 だが、誰もが導師の言葉に夢中で聞き入り、そのことを気にする者はいない。薄暗さを増した室内に、ただリーナの声だけが響き渡っている。

「最後の王は、私が見聞きした限りでは、一番その傾向が強かったように思えた。ルドスという一国の支配者では飽き足らず、世界の支配者を望んでいたように思えた。他の神々さえも排除して、(あるじ)とともにおのれの王国を打ち立てようとしているようだった」

 伝説として語り継がれてきた物語とは違う「真実」が、今、解きほぐされようとしている。

 契約の神を裏切ったのではなかったのか。

 そのために、ルドスは滅んだのではなかったのか。

「王は、遂に呪文書を下された。そして、『禁じ手』の術の隆盛により、他の神々への信仰は急速に薄れ始めていったのだ」

 

 

 

 ――このままでは、いけない。

 

 祭壇に祈りをささげる彼の頭に、囁きかける者がいた。

 

 ――()の者が伝えし業は、この世界を歪ませる。

 

()の者? 王のことですか?」

 

 ――我々は、ただ「そこ」に「在れ」ば良いのだ。何も望んではならないのだ。

 

「我々とは? 貴方は誰ですか?」

 

 ――我々は、ただ在るべき存在だ。それ以上でもそれ以下でもない。自らに仕えし者の言葉を聞き、ただその者を守るのみ……。

 我が巫子よ。()の者を封じるのだ。このままでは、均衡が狂ってしまう。

 

「あ、貴方は、もしや……!」

 

 ――我は白にして、夜明けとともに東からやってくる。

 我の名はアシアス。昼を司り、命をもたらす者。

 ()の者は黒にして、夕暮れとともに西からやってくる。

 ()の者の名は……

 

 

 


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