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黒の黄昏  作者: GB(那識あきら)
第十話  死が二人を別つまで
38/72

一 急転

 

 

 

「……まァ、上出来なんじゃないの?」

 結い上げた髪を耳当てつきの帽子で隠したレイに、サンが頷きながらそう言った。「昼間じゃないし、大丈夫だろ? 耳当てを下ろしたら、完璧だろうけどさ」

「それはいくらなんでも、季節外れだろ?」

「なぁに、冬はもうすぐそこだ。寒がりさんってことにしとけよ。じゃ、行こか」

 言うが早いが、サンはレイの手をむんずと掴んで、部屋を出ようとする。

「いざゆかん! 我が友よ!」

「だぁーーーー! 待て待て待て!」

 調子の良いサンの手を思いっきり振りほどいて、レイは部屋の戸口に踏み止まった。すっかりサンの勢いに乗せられ、疲れきったように肩で息をしているその様子に、二人の往年の力関係が窺える。

「なんだよー。行かないのか? 折角その帽子見つけてきてやったのにー」

 昨夜、サンは大きなバンダナをレイの頭巾にしようと試みていた。

 ところが、普通に頭を包めば髪を隠しきれなくて、髪を隠すように工夫しようとすると、「変だ」「不審だ」「余計に怪しい」と、ウルスや、ザラシュ、果ては彼らの世話を焼いてくれている家令のシシルまでもが容赦なく突っ込みを入れる有様だった。

 最終的に、「変なんじゃなくて、女みたいなんだ」という、無責任なサンの呟きにレイが堪忍袋の尾を切ってしまい、サンの野望はあえなく潰えてしまったという。

「……悪いけど、俺は別行動をとるつもりだ」

「え? 何? そんな特殊な店に行くわけ?」

 今度ばかりは、サンはレイの一撃を避けきれなかった。彼は頭を抱えながら床にうずくまる。

「……ってー! 冗談に本気で返すなよ」

「お前が言うと、全然笑えねーからだ!」

「くっそー……思いっきり殴りやがって……」

 脳天をさすりながら、サンはゆっくり立ち上がった。いつになく真面目な顔で溜め息をつくと、レイの顔をじっと見つめる。

「……お前さ、この二、三日ずっとイライラしてるだろ」

「……」

「シキのことで、何か……あったんだろ? 俺達には解らない何かが」

「……まあな」

「かといって、何かできる事があるわけでもなし……」

 その言葉に酷く傷ついたような表情を浮かべるレイを、サンは静かに見やった。「せめて、さ、息抜きぐらいはいいんじゃねえの? 彼女を見つけ出す前に、お前が参ってしまってちゃ、元も子もないだろ?」

「サン……」

 二人の視線が交錯する。

 本当に、コイツは昔のままだ。レイは肩の力を抜いた。しばし視線を床に落としてから……眉間に皺を寄せて勢い良く顔を上げる。

「そのテは喰わねえからな!」

「おーや、レイったら進歩したねえ」

「言ってろ。人に物を頼む時は、お願いします、ってんだ」

「お願いします、一人じゃつまんないんで、一緒に行ってください」

 レイのことを拝むようなポーズでそう言ってから、サンは身を起こし、軽く苦笑して腰に両手を当てた。

「……ま、お前のことを心配していない、つったら、嘘になるけどさ」

「とにかく、俺は他にすることがあるから、一緒には行けねえ」

 思いつめたようなレイの様子に、サンは降参のポーズで背を向ける。

「じゃ、ちょっと行ってくらー」

 

 扉の向こうにサンが姿を消すのを見送ったあとで、レイははっと気がついた。

 ――そうだ、帽子の礼、言ってなかった……。

 なんだかんだ言って、サンはやはり自分のことを気遣ってくれているのだろう。あの、「ふざけたあとに、真面目にちょっと退いてみる」サンの得意技を差っ引いたとしても。

 だが、駄目だ。レイには一刻も早く為さねばならないことがあるのだ。

 シキは、レイが死んでしまったと思わされているに違いない。そこまでは、この半年間、散々レイも考えてきたことだった。シキがロイと一緒にいるであろうことは、想像に難くない。「半身」の術が破られてしまった今、それはほぼ事実だと確定してしまっている。そして、ロイがシキを手に入れるために、レイの存在を抹殺しようとするのは、火を見るより明らかなことだった。

 レイは、いつになく晴れ晴れとした表情で、大きく息を吸った。

 ――どうして今まで気がつかなかったんだろう。俺が生きているということを、シキに()()伝えなきゃならない理由なんてないってことに。

 今後のことを考えると、あれ以上詳細な自分の容姿を晒すわけにはいかないだろうが、「レイという名の魔術師」という情報を、あの人相書きに付加させることができたら……。

 と、バタン、と部屋の扉が派手な音とともに開かれ、全力疾走してきたと思しきサンが、大きく肩で息をしながらレイを睨みつけた。

「ちょっと、待て。レイ。お前、これから、何する、気だ?」

「どうしたんだよ、サン?」

「お前、まさか、『俺の名は、レイだ!』とか、なんとか言って、警備隊本部を、魔術で襲撃、しようってんじゃ、ないだろうな?」

 流石にそこまで過激なことを考えていたわけではないが、方向性としては(ほとん)ど図星に違いない。レイは、ぐっと息を呑んだ。

「な、何だよ、サン。夜遊びはやめか?」

 レイのその言葉が終わりきらないうちに、何かに気がついたサンが、暗い廊下を振り返る。

 ほどなく、ウルスが難しい表情で戸口に姿を現した。

「非常事態だ。すぐにここを引き払う。荷物を用意しろ」

 ウルスの口調は厳しかった。聞くなり、慌ててサンが自分の部屋へと走り去る。それを満足そうに見送ってから、ウルスはレイのほうを振り返った。

「丁度良い。その帽子はしっかりかぶって行け。名乗りはともかく、髪の色が知れ渡ると、お前もこれから動きづらくなるだろう?」

 軽く頷いてから、レイは荷物をまとめ始めた。それを確認して、ウルスは(きびす)を返す。

「階下で、シシルが待っている。あいつについていけ」

「あんたはどうするんだ?」

「目立ってはいけないからな。俺とザラシュ殿は別の道を行く。またのちほど会おう」

 

 

 シシルはアカデイア家の家令だ。親子二代で同じ(あるじ)に仕えており、シシル自身がアカデイア家の家政を取り仕切るようになったのは、ここ数年のことだという。

 一見線が細く、頼りなさそうに見えるその身体が、実にしなやかに武器をふるうのをレイ達は知っていた。というのも、昨日、時間を持て余していた元近衛兵との手合わせを、シシル自身が求めてきたからだ。

 癖のない赤毛を揺らしながら細身の片刃の剣を自在に操り、彼は一度はサンの喉元まで迫る勢いであった。流石は、使用人の長でありながら護衛も兼ねるという男。主人の信頼が厚いのも頷ける。

 (もっと)も、鯛は腐ってもやはり鯛であったということか、最終的に刃が突きつけられたのは、剣を弾き飛ばされ空手となったシシルの胸元であったわけだが。

 

 若い家令は広間の扉の前で待っていた。二人が階段から降り立つのを見ると、そのまま先導するように玄関を外へ出る。

「こっちだ」

「非常事態って、一体、どうしたんですか?」

 サンの声に振り返った彼の眼鏡が、カンテラの光を反射して不気味に光る。

「……ダラス・サガフィが捕まった」

「ええっ?」

 あの、豪快に笑う好漢が、とレイは記憶を辿った。

 名実ともにウルス達の同胞(はらから)となったレイは、昨日の午後、主だった面子と引き合わされていた。ダラスは、アカデイアと取引のある古い商店の息子で、短く刈り上げた髪が良く似合う、精悍な顔立ちの丈夫だった。レイは、その顔に見覚えがあるような気がしてならなかったが、どこで会ったのかどうしても思い出すことができず、もどかしい思いは今も胸の奥にくすぶり続けている。

「悪いが、お前達をこれ以上この屋敷に置いておくわけにはいかないんだ。代わりの滞在先にこれから案内する」

 細い目を更に細く、険しくさせて、シシルは暗闇の中へと歩みを進めた。

 

 

 

 ひとけの無い深夜の街路。

 家紋のない二輪馬車が速度を弛めたかと思うと、そこから人影が三つまろび出てきた。

 馬車はまた速度を上げ、闇の中へと走り去っていく。人影達はそれを見送ることもなく、するりと、ある家の裏口へと消えた。

 

 

 暗闇から急に明るい室内に入って、レイは一瞬目が眩んだ。裏口から一直線に奥へと伸びる細い廊下の、糸杉の葉の模様の壁紙が、壁にかけられたランプの光を柔らかく受け止めている。

「問題はないか?」

「はい、ラグナ様」

 先に到着していたウルスが、廊下の真ん中で仁王立ちになって彼らを出迎えてくれた。

「彼は……?」

 そう問うたシシルの眉間に、あからさまに皺が寄る。声も心なしか不機嫌そうな響きを増したようだ。

「上だ。行こう」

 そう言って廊下を進んでいくウルスのあとを、シシルが追った。話についていけずに立ち尽くすレイの脇腹を、サンが肘で突つく。

「俺達も行こうぜ」

「……ああ」

 

「いらっしゃーい」

 重苦しい雰囲気に包まれていたレイ達の逃避行は、不必要に朗らかな声で幕を閉じた。茶色の髪の、日陰の豆の芽みたいにひょろ長い男が、両手を広げて彼らを出迎えたのだ。

「あ、お世話になりますー」

 思わずサンが、調子を合わせて返答する。

 分厚い眼鏡のその男は、サンの手を両手で握ると、大きく何度も縦に振った。そして、酷くあっさりと手を放して、今度はレイの手も同様にぶんぶんと振る。どうやらこれが彼流の握手らしい。

「そんな奴に礼なんて言う必要はない」

 棘だらけの声で、シシルが一喝した。「アカデイア様は人が良いお方だが、俺はお前を信用していない。警備隊なんかに加担する奴なぞ、誰が仲間なものか」

 暖炉の前、長椅子に座ったウルスとザラシュの傍に控えていたシシルは、双眸に怒りの色を滲ませながら、そう言葉を継いだ。

 部屋の主であろうその男は、少し口を尖らせたものの、あまり気にしたふうでもなく、言葉を返す。

「そんなこと言ったって、僕はかなり役に立っているはずだよ? 致命的な情報の漏れは防げているはずだし、警備隊の情報だって得られているでしょ?」

「そう言うのなら、きっちりとおのれの仕事をすることだ。ダラスが捕まったあとで情報を得たところで、何の意味がある!?」

 激昂するシシルの様子に、レイはただ呆然と事の成り行きを見守るのみだ。

「馬鹿言わないでよ。そんなことしたら、僕が情報を漏らしたってことがバレバレになるでしょ」

 家主は、肩をすくめて飄々と続ける。「捕まるのはヤだからね。あそこの連中は優秀だよ。少しでも隙を見せたら、おしまいだ」

「自分がそんなに大事なのか」

 吐き捨てるように、シシルが言った。

 険悪な雰囲気の漂う二人を見比べながら、レイは一人密かに合点した。なるほど、この男は「赤い風」の仲間で、警備隊にくい込んだ間諜なのだろう。少々傍若無人が過ぎる気もするが。

 相手をひたすら糾弾するシシルには少し申し訳ない気がしたが、レイにとっては、この男の主張は充分理解できるものだった。本当に彼の言うとおりに、組織の核心に迫る情報を守りつつ、尚且つ敵側の情報が得られているのならば、その重要な位置取りを簡単に手放すわけにはいかないだろう。たとえ保身が第一義であったとしても。

「大事だよー。自分が大事じゃなくちゃ、生きていけないじゃん」

「そんなことはない。『赤い風』には他人を犠牲にして自分だけ助かろうって奴はいない。お前みたいな、臆病者なぞいない!」

 シシルの拳が怒りのあまりに震えている。だが、瓶底眼鏡の間諜は少しも臆することなく、あろうことかシシルを軽い調子で指差した。

「あー、それ勘違いね。人は誰でも自分が一番なんだって。それに気がついていないだけだよ」

 ――うわあ……そこまで言うか。

 半ば呆れながらレイがふと横を見ると、サンも自分と同じように眉間に皺を寄せて、口をあんぐりと開けていた。

 一気に顔を紅潮させるシシルの後ろで、ザラシュが少し困ったような笑いを浮かべている。ウルスは、というと、何やら楽しそうに、言い合う二人を見比べていた。

 男は、シシルの剣幕に気がついていないかのように、淡々と語り続ける。

「仲間を庇いたい自分がいるから、庇うんだよ? 帝国と戦いたい自分がいるから、戦うんだよ。皆、自分がしたい事をしているだけに過ぎないさ」

「俺達を馬鹿にするのか……!?」

「馬鹿になんてしてないよー。どうしてそんなに僕につっかかってくるのさ」

 男は、そこで初めて心底困ったような様子を見せた。

「じゃあ、お前はどういう理由で俺達の味方をしているんだ?」

 にやにや笑いながら二人を見守っていたウルスが、その間に割って入る。

「決まっているじゃん。皆が暮らし易い世の中にしたいからさ」

 ……それでは、先刻からの彼の主張と真っ向から対立する。それとも、自分はお前達と違って高潔なのだ、とでも言いたいのだろうか。

「からかっているのか、貴様!」

 当然……シシルは怒るだろう。わざと怒らせているんじゃないのか? とレイは思わず溜め息をついた。

「やだなあ、最後まで良く聞いてよ」

 そして、まるで生徒に語りかける教師のような口調で、男は語り始めた。「良いかい? 皆が暮らし易い世の中、だとね、僕だって暮らし易いわけだよ。自分の住環境を整えようとするのが、そんなにおかしいかな?」

 怒りに全身を震わせていたシシルは、その言葉を聞いて、急に憑き物が落ちたかのようにがっくりと肩を落とした。悄然とした様子でポツリ、と呟く。

「本当に、自分さえ良ければ良い、ということなのか……」

「そんなこと言ってないよー。何所に自分独りで生きていける人間がいるんだよ? 自分が快適に暮らすためには、できるだけたくさんの人間も同じように快適に暮らしてもらわなくちゃ」

 静まりかえった部屋の中、男はそれまでとは打って変わって静かな声で語り始めた。

「鍬をふるう人がいるから、ご飯が食べられる。猟をする人がいるから、肉にありつける。綿を栽培する人、布を作る人、服を仕立てる人、道具を作る人、道を作る人……誰が欠けても、僕は生きていけないからね。

 自分さえ良ければ、って考えほど、自分のためにならないものはない。自分を大切にすればするほど、他の人間をも大切にしなければならなくなる。多少面倒なことではあるけどね」

 男は、そこで大きく息を継ぐと、口角を上げた。

「と、いうわけ。満足した?」

「……しかし…………」

「もういい。下がれ、シシル」

 ウルスが、先刻までとは打って変わって厳しい表情で言葉を挟んだ。ちらり、とシシルのほうを一瞥してから、鷹揚と長椅子に背もたれる。

「それで、皆が暮らし易いというのは、どのような世なのだ?」

 凄みのあるその声に、傍観者の立場にもかかわらずレイは思わず息を呑んだ。

「うーんと……そうだね、とりあえず、邪教狩りはやめてもらわないと」

「宗教改革に反対、と?」

 と、ザラシュが問いを投げる。

「いんや? 別に為政者がどんな神様に肩入れしようが、そんなのはどうでもいいことだし、これまでも色んな時代に色んな国であったことだから。でも、他の神々を排除しようというのは……」少しの間。そして静かに続ける。「……ヒトが踏み込んで良い領域じゃ、ない」

 男が口をつぐんだ途端に、沈黙が一同を包み込んだ。

 その幕を無理矢理破り捨てて、ウルスが静かに口を開く。

「だが、奴は……アスラ帝はやめようとはしないだろうな」

「うん。だから、彼には退(しりぞ)いてもらわなきゃ」

 その瞬間、シシルが身震いしたのを、レイは見逃さなかった。(もっと)も彼自身も、部屋の気温が数度下がったように感じたものだったが。

「聞いたか? シシル。とりあえず、彼と我々の志は一致しているようだ」

「は……、はい……」

「親友のダラスが捕まって冷静でいられないというのは解らんでもないが……彼は、味方だ。それも有用な、な」

 下を向いて黙りこくるシシルを見つめながら、男はバツが悪そうな表情で頭を掻く。

「仕方がなかったとはいえ、責任は感じているんだよ。だから、こうやって君達に部屋を使ってもらってもいいよって言ってるんだし……」

「それだけかな?」

 ウルスが、足を組み直し、組んだ両手をその膝の上に乗せた。

「本物の黒の導師に興味があった……という理由もありそうだな」

 大きくはぜた暖炉の炎が、男の分厚い眼鏡にぎらりと映り込んだ。

 

 

「……また何か新しい情報が入ったら教えてくれ」

 外套を身に纏って、シシルが部屋の扉のところで振り返った。視線は逸らしていたものの、その言葉はこの部屋の主に向けられたものだった。

 声をかけられたその男は、屈託のない調子で返答する。

「いいよー。……あ、そうだ」

「何だ?」

「……あ、いや、大したことじゃないから」

 流石のシシルも、思わせぶりなこの台詞に、つい男の顔を真っ向から見つめ返した。

「何だ。気になるじゃないか、言ってくれ」

「警備隊に新顔の可愛い女の子がいたよ。十九歳だって」

 その刹那、シシルの形相が鬼面のように変化した。ふざけるな、とその目が大声で語っている。

「だから大したことじゃないって言ったのにー」

 ――なんだって?

 レイは一呼吸遅れて、男の台詞を反芻した。

 警備隊。騎士団を鼻で笑うウルス達が、一目置く存在だ。強さや体力を求められるそのような仕事に就いた女……十中八九、何かの術師であるはずだ。

 新顔の。

 十九歳の。

「あ、あのっ、その女の子……なんて名前だった?」

「名前? …………んー、とー、……あれ? ……ゴメン、忘れちゃった」

「髪は……髪の色は……?」

 身を乗り出さんばかりにレイは質問を投げつける。対する男は、相変わらず飄々とした態度で、肩のやや下を手で示した。

「こんなぐらいの長さの深い茶色の髪だったよ。意志の強そうな、すごく良い目をしてた」

「深い……茶色……」

 あの髪を、見間違えようはずがない。それに、この人物は「黒の導師」に興味があるということだった。ならばなおのこと、あの黒髪を見逃すはずはなかっただろう……。

 ――違うのか。

 大きく溜め息をつくレイを、サンが心配そうな表情で見ていた。

 

 

 

 そそくさとシシルが辞したあと、男も「ちょっと待ってて」と一言言い置いて部屋から出ていった。

 レイもサンも、呪縛が解けたかのように大きく息を吐くと、空いている椅子に腰をかける。改めて室内をゆっくりと見まわすと、そこは居間のようだった。無駄なく整頓された、飾り気のないその部屋の様子が、レイにはとても懐かしく感じられた。

「……で、彼は何者なんです?」

 サンがウルスにこう問うた時、勢い良く部屋の扉が開かれた。

 筆記用具と帳面を手に持ち、キラキラと目を輝かせて、男は部屋の中へ飛び込んで来た。そのまま、椅子に囲まれた背の低いテーブルのところまで走り寄ってくると、机の上に帳面を展開し、直接床に正座してレイを振り仰いだ。

 あまりの彼の勢いに、一同はただ唖然とその様子を見守る。

「さーて。黒髪の。話聞かせて?」

「え? 話?」

「そ。誰に祝福を授けられたの? 何所で? どうやって?」

 もう、彼を止められるものは誰もいなかった。

 ザラシュは苦笑し、ウルスは他人事と言わんばかりに眉を上げ、サンは大きな溜め息をつく。

 そして、レイは、自分に向けられたその双眸に射すくめられてしまって、訥々と言葉を吐き出し始めたのだった。

 

 戦争が終わった頃に、幼馴染みに誘われて森へ行ったこと。

 森の中で洞窟を見つけたこと。

 その洞窟は異教の祭壇であったらしいこと。

 そして、邪教狩りの騎士達と鉢合わせてしまったこと。

 

 初めて耳にする物語に、サン達はすっかり引き込まれていた。炎のはぜる音と、ペン先が紙を引っ掻く音だけが、静かな室内を支配する。

 いよいよのところで、レイは逡巡した。

 しかし、神の祝福の話をするためには……最後まで語らねばならない。自分自身の語りに、そして、この一風変わった男の瞳に呑まれてしまっていたレイには、他の選択肢は考えつかなかった。

 

 異教の神像を守ろうとして幼馴染みが斬られたこと。

 それを助け起こした自分も斬られたこと。

 

「なぜ、シキは、そんな……」

 サンが震える声で問いかける。レイは眉間に深い険を刻みながら、一言一言を噛み締めるように答えた。

「……神像が、そっくりだったんだ。あいつの母親と」

 ふんふん、と相槌を打ちながら帳面にかぶりついてペンを走らせていた男は、そこでふと動きを止めると、勢い良く身を起こした。

 腕を組み、難しい顔でもう一度帳面を覗き込み、それからレイを指差して大声を出した。

「あーーーー!」

 何が起こったのか理解できずに、全員が目を丸くした。男自身も何かに酷く驚いた様子で、震える指でレイを指し示し続ける。

「レイ、だ!?」

「え? 一体何だよ」

 あまりにも当然のことを指摘されて、レイは眉をひそめた。

 何事か、と固唾を呑んで見守っていたウルス達も、一斉に肩を落として息を吐く。だが、次の瞬間、サンがある事に気がついた。

「ちょっと待て。レイ、お前、名乗ったっけ?」

「そういや、名乗ってなかったな」とウルス。

「そもそも、お互い挨拶しか交わしてはおらぬわ」とザラシュ。

 レイは、思わず立ち上がると、男を見下ろしながら声を荒らげた。

「なんで、俺の名前を知っているんだ!?」

「え……、だって、今日の昼に、その話を別のところから聞いたばっかりだったから。そこに出てきたんだってば。レイって名前が」

「別のところ!?」

「さっき言ったでしょ? 警備隊の女の子。その、君の話に出てきた幼馴染みの子なんじゃないの? 知らなかった?」

 レイの鼓動が、恐ろしいまでに高鳴っている。彼は、一音一音を噛み締めるようにして、言葉を吐き出した。

「シキ、って名前だ」

「そう! そうそう。そんな名前だった。えっとね、お母さんの名前がマニさんっていうんだって」

 全身の力が一気に抜け、レイは大きな音を立てて椅子に腰を落とした。そのまま、ずるずると身体を座面に沈ませていく。

「……見つけた……!」

 

 

 


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