表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の黄昏  作者: GB(那識あきら)
第一話  二人の弟子
3/72

二 愚計

 

 

 

 次の日、家事当番であるシキは、夜が明け始める前に鳥の声に助けられて起き出した。身繕いをしてから、まずは母屋の裏へと向かう。

 そろそろ春の息吹も感じられるようになってきたこの頃とはいえ、まだまだ朝晩は冷え込みも厳しく、シキはかじかむ手を息で暖めながら納屋の扉を開けた。手押し車を引き出してくると、飼い葉を二束、水桶とともに積む。いざ厩へ、と納屋の入り口へ向き直ったところで戸口に人影を一つ見とめて、シキはすっと目を眇めた。

「朝早くから、精が出るこったな。連れがあんなのだと、あんたも苦労するよな」

 口を開けば罵倒の言葉が溢れ出してしまいそうで、シキはダンの声が聞こえないふりをした。無言のままで、彼の前を素通りしていく。

「連れねぇな。あんたが知りたい事を教えてやろうと思って来たんだぞ」

 その言葉を聞いて、シキの足が止まった。途端にダンの両眉が得意げに跳ねる。

「俺に訊きたいことがあるんじゃねぇのか?」

 ゆっくりと背後を振り返って、それからシキは真っ直ぐにダンを見据えた。

「あいつが今、どこにいるか教えてやろうか?」

 にやけた口元が実に楽しげに言葉を吐き出す。「そんなに睨みつけんなよ。おお、怖ぇ怖ぇ」

 わざとらしく怯えてみせてから、ダンは大きく一歩を踏み出した。シキのすぐ目の前に立つと、粘ついた嘲笑を投げかけてくる。

「自分が一番あいつのことを知っているんだ、と思ってるんだろう?」

 へっ、と鼻で笑って、それからダンはくるりと背中を向けた。

「来なよ。あんたに現実を見せてやるよ」

 

 

 東の空が徐々に赤みを増していく中、シキは険しい眼差しでダンのあとをついていった。ほどなく街道の脇に生い茂る潅木は絶え、見通しの良い牧草地が目の前に広がり始める。彼の思惑が何であれ、当分待ち伏せの心配はないだろう。シキは心持ち警戒を解き歩調を早めた。

 教会の鐘楼が遠くに見えてきた辺りで、ダンは街道を逸れた。町の南側に広がる耕地をぬって、楠の大木がそびえる風見の丘へと向かっていく。冬を乗りきった小麦の青々とした葉に見送られながら、丘の向こう側へと斜面を回り込めば、見渡す限りの麦畑の一角に、周囲とは少々植生の異なる畑が現れた。小さな掘っ立て小屋が一軒、その真ん中にぽつねんと佇んでいる。

「薬草畑の道具小屋だ」

 シキが黙って先へと進もうとすると、ダンが慌ててその行く手を阻んだ。丘の麓に僅かに生い茂る低木の陰を指差して、自らもそこに身を潜ませる。

「気づかれると、ややこしいだろ。ここにあんたを連れてきたのは、奴には内緒なんだから」

 仕方なくシキも彼に倣って木陰に身を屈めることにした。

「あそこにレイがいるとでも?」

「そうさ」

 下品極まりない笑いを吐き出して、ダンがシキを振り返った。「薬草屋のカレンとな、二人連れ立って夜の遅くにあそこにしけ込んで、それから夜通し、しっぽりずっぽりお楽しみさ」

 その言葉が終わりきらないうちに、小屋のほうから木の軋む音が聞こえた。思わず茂みの隙間に顔を寄せるシキの視線の先、小屋の扉がゆっくりと開かれる。朝靄にけぶる農地を背景に、シキのよく見知った影が戸口に現れた。

 黒いズボンに黒いシャツ、灰色の長外套の裾が風にひるがえる。さらさらと風になびく黒髪を、今まさに首の後ろで一つに束ね、それからレイはこりをほぐすようにして大きく肩を回した。

 シキは身動き一つできずに、ただひたすら息を詰め続けた。と、再び扉が開き、今度は妙齢の婦人が姿を現した。

 イの町の大通り沿いで薬草屋を営む、未亡人のカレン。それがレイの逢瀬のお相手だった。森の向こうから昇り始めた太陽の、まだか細い光にも眩く輝く金髪に、同性も見とれる肉感的な身体。上衣のボタンを閉め終わったカレンは、とろけるような笑顔をレイに向けると、しなやかな指を彼の頬に滑らせた。

 シキの喉が、ごくり、と鳴った。

 カレンの両手がレイの顔を包み込んだかと思えば、レイがそっと身を屈める。降り注ぐ朝の光の中、ゆっくりと二人の唇が重なった。

 黒い髪を、白い指が乱す。小鳥が木の実を啄むようにして、カレンは何度も黄金(こがね)の髪を揺らす。

「おうおう、お熱いこって。カレンの奴、まだまだヤり足りねぇって感じだな」

 ダンの声が、どこか遠くから聞こえてくるようだ。シキはまばたきも忘れて、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 いくら色事に縁遠いといっても、シキももう一人前の大人だ。子供ではあるまいし、彼らがどんな関係にあるのか、先刻までここで何をしていたのか、解る。

 (もっと)も、その行為についてシキがどこまで具体的に()っているのかと問うならば、甚だ心許ないとしか答えようがなかった。何故ならば、彼女は今までそういった話題に触れることを、可能な限り避けてきたからだ。

 彼女が師と仰ぐのは魔術師だ。癒やし手や精霊使いと違い、女が魔術師になることは非常に稀であった。いや、不可能だ、という声の上がらないことが不可解なほど、女魔術師という存在は実質ありえないと思われていた。

 ところが、一体どういう適性があったのだろうか、先生の指導のもと、彼女は魔術に関して素晴らしい腕前を発揮しつつあった。すると今度は他人からの嫉妬や偏見と戦わねばならない。そんな事情もあって、彼女は自分が「女」であることを極力意識しないように、意識させないようにしてこれまでを生きてきたのだ。

 そんな中途半端な自分を、先生とレイだけは受け入れてくれている、理解してくれている、そう思っていた。

『誰のせいで苦労してると思ってんだよ!』

 昨夜のレイの言葉が脳裏に甦り、シキは思わず唇を噛んだ。全ては、自分の願望であり、思い込みに過ぎなかったのだ、と。

 このまま今まで通り三人で仲良く暮らし続けられたらいい。そうレイも考えているに違いない、と思っていた。たとえレイがどんなにあちこちさまよい歩こうと、帰ってくる場所は先生と住むあの家なんだ、と信じていた。今の生活が失われてしまうことを恐れつつも、心の奥底では、そんなことあるわけない、と高をくくっていたのだ。

 ――だって、……一緒にいたかったから。

 振り返れば、いつだってそこにはレイの姿があった。野原を転げまわって遊んだ時も、教会で訃報に涙した時も、先生の家に来た時も。学校に行き始めて友達が増え、お互い少し距離を置くようになっても、視界のどこかにはいつも彼の姿があった。

 卒業後、先生の下で本格的に魔術の修行を始めた頃から、レイの態度はよそよそしくなってきた。(もっと)も、先生はそのことをとても歓迎しているようだった。お互いを好敵手と意識することができたのは幸いだ、そう先生は喜んでいた。これでこそ修行の効果が上がるというものだ、君達はもう子供じゃないんだからね、と。

 それでも、どんなに愛想がなくとも、シキの隣にはレイがいたのだ。時には喧嘩もしたけれど、二人で力を合わせて家事をこなし、競い合いながら修練を積んできた。

 ――もう、一緒にはいられないのだろうか。

 ちょっとしたことですぐに調子に乗っては先生に叱られ、でも全然懲りた様子もなく、先生が向こうを向けばまたすぐにふざけてみせたり、そうかと思えば別人のごとく神妙に修行に取り組んだり。そんなレイの様子は見ていて飽きなかったし、楽しかった。悪戯っぽく笑う顔も、得意げに胸を張る仕草も、真剣な表情で呪文を唱えるさまも、……素敵だった。

 先生の合図で、レイはその勝ち気な瞳を僅かに細めると、厳かな指遣いで空気中に魔術の印を描いた。囁くような詠唱は、普段の彼の言動からは想像もつかないほどに繊細で、シキはただ黙って彼のしらべに聞き惚れるのだった……。

「すげぇよな、あの女」

 突然の濁声に、シキの心は一気に現実に引き戻された。「朝までハメまくって、そのまま畑仕事かよ。一体いつ寝るんだ?」

 枝の隙間から見える世界には、既にレイの姿は無かった。薬草の世話をするカレンの金髪だけが、畝の陰にちらちらと垣間見える。

 家事を当番制にしよう。レイがそう言い出したのが、一年前。丁度先生が州都へ遠出することが増えた頃だった。その結果、レイとシキの生活周期はお互いにバラバラとなった。同じ家に住みながら、彼と全く言葉を交わさない日もあった。

 ――なんだ、レイはもうとっくに……

 おのれが気づこうとしなかっただけで、とっくの昔にレイは自分の傍にはいなかったのだ。シキはすっかり血の気の引いた頬で、ふらりとダンのほうを振り向いた。

「なあ、深刻になるなよ」

 ダンが少しだけ気の毒そうな表情を作ってみせた。

「あの女がどういう奴か、あんたも知らないわけじゃないだろ? 俺だってな……」と、一転して卑猥な身振りを披露して、「まさしく、同じ穴のなんとやら、ってな。そんなわけだから、あまり気にすんなよな?」

 慣れ慣れしく肩に置かれたダンの手を、シキは反射的に払いのけた。その手が、肩が、小さく震えているのに気づいたダンの目が、ねっとりと細められる。

「気が強い女は嫌いじゃないぜ。口うるさくなければな」

「私に構わないで。……それから、レイにも」

 悲痛な面持ちで、それでもシキはレイの名を最後につけ加えた。

「同じ穴のムジナだと言ったろ?」

「レイは、あなたとは違う」

 はっ、と派手な嘲笑を吐き出してから、ダンがシキの至近に迫ってきた。

「いいことを教えてやろう。今日の晩、東の森近くで、一仕事する予定でな。

 俺の仲間がナガリャの町で知り合った旅人なんだが、独り身の行商人らしくてな、大きな金剛石を嵌め込んだ首飾りやら何やら、物騒な物をしこたま持っているんだとよ。

 可哀想に、夜盗に狙われたら最後、そいつは身ぐるみ剥がれて殺されちまうに決まってる。だから、そうなる前に俺様が保護してやろう、ってな」

「保護?」

 彼女らしからぬ攻撃的な調子で、シキは鼻で一笑した。鋭い視線に、刹那ダンが怯む。

「物は言いようってな。……勿論、レイのヤツも協力してくれるんだぜ」

 シキが表情を一変させるのを見て、ダンは至極満足そうに相好を崩した。

「言っとくがな、ヤツを説得しようとしても無駄だぜ。一人前の男が、オトモダチに説教されたぐらいでやめるなら、最初からやろうって言うわけないだろ?」

 なるほど、そうかもしれない。シキはきつく下唇を噛んだ。非常に不本意ではあるが、ダンの言うとおりに違いない。

 だが、だからといって、このままレイが犯罪に手を染めるのを、指を咥えて見ているわけにはいかなかった。彼が彼の道を邁進するというのならば、最初に踏み出すその一歩の向きを、大きく違えさせてしまえばいいのだ。力ずくでも。

「腕にものを言わせて、って顔だな。怖ぇ怖ぇ」

 腹が立つほど白々しい口調で揶揄してから、ダンが明後日の方角を向いた。

「ま、あんたにヤツが捕まえられたら、の話だな。あいつ、今日も帰らないって言ってたろ?」

 愕然としたのち、一気に殺気立つシキに、ダンの腰が引ける。

「おいおい、なんて顔してんだよ。やる気か?」

 それから、少しだけ引きつった笑みを口元に浮かべて、胸を張った。「でも、できねぇんだよなあ? 俺、何もしてねぇもん。無抵抗の人間には手を出せねぇよなあ、術師さまよ」

「悪事を謀っているだろう」

「証拠があるのかよ?」

 抜け目のない瞳をシキに向けて、ダンが喉の奥でくつくつと笑った。

「それに、俺の邪魔をしたところで、今度はレイのヤツが首謀者になるってだけのことだしな」

 今度こそ、シキの瞳に絶望の色が入った。そんなことになってしまったら、間違いなくレイは破滅する。

「警備隊に密告してもいいんだぜ? ダン・フリア様を捕まえるとなれば、現場を押さえるしかないだろうが、そうなりゃ、レイだって一蓮托生だ」

 自分には、何もできない。レイを助けることができない。そう考えた途端、シキの胸の奥がカッと熱くなった。潤み始める目元に力を込めるべく、奥歯を強く噛み締める。

 対して、すっかり調子を取り戻したダンは、手振りも豊かに熱弁をふるい続けた。

「大体、だ。そんなに深刻になるようなことじゃねぇだろ? 人殺しするわけじゃなし。そもそも、そのためにヤツの力が必要なんだからな。魔術でちょちょいと、標的を眠らせるのがヤツの役目さ。どうだい、実に紳士的じゃねぇか」

 そこまで言って、ダンは鷹揚に腕を組んだ。微動だにしないシキを、しばし無言で見下ろす。

「それとも……ヤツの代わりに、あんたがするか?」

 思いもかけない申し出に、シキは眉間に皺を刻んだまま顔を上げた。

「俺ぁな、常々あんたに一目置いてるんだ。女のくせに、媚びねぇし、ギャアギャアうるさく出しゃばらねぇし、それに強ぇしな。今だって、泣き喚きもせずに頑張ってる。正直、あんなヤツのせいで悲しむあんたを見たくないんだ」

 どの口がそれを言うか、と叫びたくなるのを必死で抑えて、シキは強く口を引き結んだ。視線の先では、ダンが悪魔の笑みを浮かべて立っている。

「あんたがレイの代わりに手伝ってくれる、ってんなら、ヤツには適当な理由をつけて、計画は中止だとでも言っておくが……、どうする?」

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ