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黒の黄昏  作者: GB(那識あきら)
第七話  古都の収穫祭
27/72

二 前哨

 

 

 

 大空に紙吹雪が舞い、街路に銅鑼が鳴り響く。遂にやってきた祭りの日、名にしおうルドスの収穫祭だ。

 会議室の窓から下の大通りを見下ろしたシキは、町を埋め尽くさんばかりの沢山の人々に目を丸くした。

「毎年、こんなに凄いんですか?」

 街中を覆う浮かれたような空気に呑まれて、シキはいつになく饒舌に他の隊員達を振り返った。

「……あれ?」

 誰かの気配があったはずなのに、シキの周りには誰もいなかった。自分と皆との間に空いた不自然な距離に、シキは軽く首をかしげる。変だな、と思いつつも、彼女は再び窓の外へ身を乗り出した。そして今度は、そっと背後に注意を向けてみる。

 途端に背中に感じられる、不可思議な空気。いや、視線、と言ったほうが良いのかもしれない。それも一人や二人ではなく……。

 勢い良くシキは背後を振り返った。慌てて目線を逸らせる者、さりげなく横を向いてとぼける者、観念したのかそのままシキを見つめる者、……つまりは、その場にいる(ほとん)ど全員が、シキを注視していたのだ。

 シキの首の後ろがざわめいた。

 漠然とした不安を感じながら、シキは一番後ろのいつもの席に着く。そのまま、何事も無かったかのようにシキは頬杖をついて窓の外を見た。顔の向きをそのままに意識だけを部屋に戻すと……、皆の視線が自分に向けられているのがはっきりと感じられる。

 舐めるように、シキの全身をねめつける幾つもの目。普段とは違う周囲の雰囲気に、シキの背中を冷や汗がつたった。

 

「皆来ているわね」

 副隊長のインシャ・アラハンがポニーテールを揺らしながら部屋に入ってくるのを見て、隊員達は慌てて姿勢を正した。

「ガーランの奴は腹痛で動けないらしいぞ」

 四角い顔の巨漢、エンダが笑いながらそう報告する。「そういや、隊長も先刻から見てないな」

「その二人は頭数には入れていません」

 ぴしゃり、とインシャが言い捨てて、その場は水を打ったように静かになった。

「騎士団組も、今日はえんじのジャケットを着用なさるそうです。大通り沿いは彼らに任せて、我々はその外側を重点的に巡回することになりました」

 そう言って、インシャは傍らの箱から短い杖を取り出した。

「本日は、おそらく呼び子は用をなさないと思います。狼煙杖を各自携帯してください」

 えー、と部屋のあちこちから不満の声がちらほらと上がる。狼煙杖というのは、ロイが製作した「狼煙」の呪文の込められた短杖のことだ。これを天に掲げて「狼煙よ上がれ」と言うだけで、魔術師でなくとも「狼煙」の術を起動することができる。ただ、その効果の発動には魔力が必要となってくるため、慣れない者にとっては苦労や苦痛の多い道具ではあった。

「ガーラン・リントがいないということは……シキ、」

 シキに視線を向けたインシャが、そこではっと息を呑んだ。

 副隊長の細い喉が、ごくりと鳴るのを、シキは見逃さなかった。一体、先刻から何が起こっていると言うのだろうか。シキは胸騒ぎを鎮めようと、両手を強く握り締める。

 インシャは眉根に皺を寄せ、しばらく何かを考え込んでいた。そして、慎重に言葉を継ぐ。

「シキ、今日はエンダと組んでください。ラルフ・クァイトは私と。巡回路の詳細はここにあります。単独行動は避けること。朝の部のパレードが終わった時点で、警邏組は全員一度本部に帰投してください。その他のことは普段と変わりありません。皆の健闘を祈ります」

 インシャが朝礼の終わりを告げると同時に、隊員達は一斉に立ち上がった。黒板に貼り出された地図に群がったのち、一人二人と出動していく。その人の波に逆らって、インシャがシキの傍へと駆け寄ってきた。

「……何があったのですか?」

「え?」

「貴女の気配が……あまりにも不自然だから」

「……不自然、ですか?」

 インシャは軽く溜め息をつくと、険しい表情のまま呟いた。

「……いえ、今までが不自然だったのかも。でも……昨日までと比べてあまりに……」

 そして再び溜め息。シキは否が応でも不安感をかきたてられる。

「エンダなら大丈夫だと思いますが……」

「副隊長!」

「……には気をつけて」

 おのれを呼ぶ声に、インシャが背後を振り返った。彼女の巡回の相棒であるラルフが、苛々した様子で戸口の向こうに立っている。インシャは何か物言いたげな様子でもう一度シキを一瞥して、それから、(きびす)を返して部屋を出ていった。

 ――何に気をつけろと?

 ラルフの大声がきれいにかき消したインシャの声は、一体何を警告していたのか。あとを追ってもう一度聞き質すべきか。悩むシキをエンダの声が打つ。

「おぅい、嬢ちゃん、行くぞ!」

 気がつけば、辺りにはもう誰も残っていなかった。シキは懸念を振り払うように小さく頷くと、エンダの待つ廊下へと駆け出した。

 

 

「嬢ちゃんはこの祭りは初めてなんだってな?」

 軽く顎で人ごみを指し示しながら、エンダはシキを見やった。

「はい」

「もうすぐパレードが始まる時間だ。少しぐらいは見られるかもな」

「え、でも、巡回が……」

「持ち場まで大通りを通って行きゃあいいのさ。ちょっと大回りになるが、まあ問題ないだろ」

「いいんですか?」

 弾みそうになる声をなんとか抑えて、シキは静かに問い返す。先ほどまでの不安な気分が、一気に吹き飛んでしまったような気がした。

 そんなシキの様子を、エンダは浅黒い頬をほんのり染めてうっとりと見つめていた。と、はっと我に返って、気の良い大男は自分の頬を両手でぱちぱちと打つ。

「いかん、いかん、女房に殺されちまわぁ」

 とってつけたような深呼吸を何度か繰り返してから、エンダはやにわに足早に歩き出した。「迷子になるなよ」と肩越しにシキを振り返り、そのまま人垣に消えていく。シキは、大きなえんじ色の背中を慌てて追いかけた。

 

 人出はどんどんその数を増してきている。子供から老人まで、女も、男も、見慣れない民族衣装を着た者、仕事着のままの者。何人かは、シキのジャケットを見て道を譲ってくれたが、(ほとん)どの観客達は、いかにパレード見物に良い場所を確保するかに腐心して、とてもそれどころではない様子だ。

 やがてシキ達は大きな四つ辻を折れ、大通りをあとにした。人波に逆らいながら一角(ひとかど)をくだり、自分達が警邏を担当する街区に入ったところで、どこか間延びしたような女の悲鳴が、人いきれを押し退けるようにして二人の耳に届いた。

「きゃあぁああああぁ、スリよぉ、スリが鞄を盗ったわぁあ」

 シキとエンダはお互い小さく頷きあうと、人混みの中を声のしたほうへと向かっていった。十数歩も行かないうちに、二人の目の前に人垣が立ち塞がった。ひょいと覗いてみれば、人々の輪の中央で、中年の女性が手振りも豊かに何か大声で喚いている。

 人垣を割ったえんじの上着を見るなり、大騒ぎしていた女性は物凄い勢いで二人のもとへ駆け寄ってきた。

「ああ、あなた達、警備隊ね! 助けてちょうだい!」

「どうなさったね」

「私の鞄が誰かに盗られたのよ!」

 そう絶叫すると、女性は右手をぐいっとエンダの鼻先へ差し出した。

「ほら、見てちょうだい! これ!」

 彼女の手には、鞄の持ち手と思われる紐だけが握られていた。両端の真新しい切り口は、おそらくは何か鋭利な刃物で切られたものであろう。

「お金だけじゃないわ、鞄には主人の形見のお守りも入っているのよ! ああ、私、一体どうしたらいいの!」

 みるみる涙ぐむ婦人に、エンダは心底困ったような表情を見せた。

「どうしたらと言われても、この人出ではなあ。とりあえず、本部のほうまで行ってもらえんか。そっちに係がいるから、そこで詳しい話を……」

「まぁあ! あなた、荷物を盗られた可哀想な人間を見捨てるおつもりなの?」

「いや、見捨てるってったって、俺達はこの辺りの警備を……」

「今、盗られたばっかりなのよ? 盗人はきっとまだこの近くにいるはずだわ! それを放っておくというの!?」

 噛みつかんばかりに詰め寄ってくる婦人を前に、二人は思わず顔を見合わせた。大きく息を吐いて、心持ち姿勢を正して、シキが一歩を進み出る。

「放っておくなどしません。警邏の最中にも盗人を探すつもりです。ですから、安心して本部のほうに……」

 シキがそこまで言ったところで、少し離れた所でまたもや女の悲鳴が上がった。鞄がどうとか叫ぶ声に続いて、「泥棒よー!」なんて声まで、喧騒をぬって聞こえてくる。

「ああ、ほら、あなた方がのんびりしているから、他でも被害が出ているじゃない!」

 シキとエンダは、再度顔を見合わせた。

「祭りの初っ端から、えらく飛ばす奴がいたもんだな」

「どうしましょう」

「狼煙杖を使うほどのことじゃねえしな。仕方ねえ、シキ、レンシの組が向こうの区画にいるはずだから、ちょっくら呼んで来てもらえんか。単独行動は厳禁っていっても、この際だ、仕方ねえ」

 エンダは、やれやれと肩をすくめてから、両手を口元にそえて大声を張り上げた。

「おおい、そっちの、鞄を盗られたってオバサ……ご婦人! 警備隊だ。なんとか俺んとこまで寄って来てくれんかね」

 何事かとエンダに注意を向ける人混みに逆らいながら、シキは指示された角を目指した。大通りへと向かう人々でごった返す街路を、人波をかき分けかき分け進んでいく。

 一つ目の四つ辻を通り過ぎたところで、前方からシキを呼ぶ声が聞こえてきた。

「シキ!」

「レンシさん」

 少年のような風貌の小柄な人物が、えんじのジャケットの裾をひるがえして人混みの中から現れた。

「丁度良かった。呼びに行こうと思ってたところなんだ。シキ、エンダは?」

「それが、向こうで、スリの被害に遭われた方が騒いでおられて……」

「ええ? そっちも?」

 二人は揃って絶句して、それから同時にそっと眉をひそめた。

「……とにかく一度合流しよう。俺、ノーラ呼んで来る。シキはエンダの所へ戻れ」

「はい」

 踵を返して、再びシキは雑踏へと身を投じた。四苦八苦しながら人の波を泳ぎきり、やっとの思いでエンダのもとへと到達した。

「レンシ達は?」

「まもなく、こちらへ来られるかと」

 簡潔に返答してから、シキは一段低い声で言葉を継ぐ。「向こうでも出たそうです」

 呆れたとばかりに、がっくりと肩を落とすエンダに、シキが険しい表情で問いかけた。

「毎年、こんな感じなんですか?」

「うーん、例年に比べて出足が早いような気もするが、他の区域がどんな調子か解らんことには、何とも言えんなあ」

 エンダが難しい顔で首をひねったその時、レンシの声が喧騒を突き抜けてきた。

「エンダー!」

 人垣を割って現れたレンシは、一人の女性を連れていた。女性の手には、何やら長い紐状のものが握られている。どうやらこちらと同じ手口で肩掛け鞄を盗られたのだろう。

 息せききって駆け寄ってきたレンシは、やや興奮気味にときの声を上げた。

「ノーラがそこで盗っ人を見つけたぜ!」

 エンダの傍らで、被害者であるご婦人達が色めき立つ。

 と、周囲の喧騒とは明らかに異質な騒ぎ声が、シキ達のいる所へと近づいてきた。

「痛ぇな! 放せよ!」

「つべこべ言わずにとっとと歩け」

 エンダを中心に輪を描く人々の垣根から、警備隊員にしてはやや線の細い赤毛の男がまず吐き出された。次いで十歳ぐらいの少年が、男に右手を引かれて姿を現す。

 じたばたと暴れる少年を見るなり、エンダが驚いた表情を作った。

「なんだ、お前か。最近とんと見なくなったから、足を洗ったんだと思っていたのに」

「俺はやってねぇよ!」

「嘘をつくな。こそこそと他人の鞄を探っていただろう。いい加減に観念しろ!」

 汗の浮いた額に赤毛を貼りつかせて、ノーラが声を荒らげる。だが、少年は一向に物怖じする様子も見せずに、なおも両手足をばたつかせた。

「嘘じゃねぇよ! 俺の身長だと、丁度鞄が顔に当たるんだよ。邪魔だから避けようとしてただけだ。誰があんな貧乏ったらしい鞄を盗るかよ」

「言い訳は結構」

「言い訳じゃねぇって!」

 往来の真ん中で言い争いを始めた二人を横目で見ながら、エンダが盛大に溜め息をついた。

「とにかく、このままじゃ、通行の邪魔なだけだな」と、シキとレンシを振り返り、「オバサン達をあっちの角へ避難させてやってくれ」

 それから、まだ言い合いを続けているノーラ達のほうへ向き直ると、もう一度大きな溜め息を漏らした。

「ま、とにかく場所を変えよう。話はそれからだ」

「話も何も、俺は足を洗った……じゃなくて、もともとスリなんかじゃねぇってば!」

 少年の叫び声を背中で聞きながら、シキとレンシは三人の女性を指示された街角へと誘導する。

「ねえ、大丈夫なの? あの子、やってない、って言ってるけど」

 一人のご婦人が、心配そうにシキに問いかけてきた。応えに詰まるシキの代わりに、傍らでレンシが胸を張る。

「大丈夫です! あいつがスリなのは絶対に間違いないんですよ。ま、確かに、これまでも尻尾を見せることはあっても、肝心なところで尻尾を掴ませてはくれなかったから、だからあんなふうに、平気でとぼけてくるんですけどね」

「でも、もしも本当にあの子じゃなかったら、どうするの?」

 母性本能でもくすぐられたのだろうか、先刻までとは打って変わってご婦人方は盗人に対して同情的だ。

「そうよね。あんな子、私の近くにはいなかったような気がするわ。ええ、私ちょっと、間違いなんじゃないか、って言ってくるわ」

「あ、ちょっと、待ってください」

 制止の声を振りきって、オバサンの一人がエンダ達のいる人混みの中へと飛び込んでいった。慌ててシキも彼女を追って雑踏へと足を踏み入れる。

 その時、聞き覚えのある声が、風に乗ってシキの耳に飛び込んできた。

「この子は関係ないよ」

 シキは、思わず足を止めた。

 愕然と顔を上げれば、人垣の向こうに、頭一つ飛び出した長身の後ろ姿が見える。

「この子、しばらく前からずっと俺のすぐ横で、前の人の鞄から顔を離そうと必死だったよ。スリなんてしている暇はなかったと思うな」

 栗色の髪が、さらりと風にそよぐ。話しかける相手が変わったのか、顔の角度が僅かにこちらを向き、人懐っこい瞳が見て取れた。

 

 ――サン、だ。

 まるで、心臓が喉の近くまでせり上がってきたかのようだった。息苦しさを無理矢理呑み込んで、シキは口を引き結ぶ。

 同僚に事情を説明している暇はない。ということは、支援は期待できないということだ。シキは意を決するや否や、死に物狂いで人混みをかき分け始めた。

 誰かの足を踏んだが、気にしない。わき腹に鞄か何かが当たったが、そのまま力任せに押しきった。背後から追い縋る罵倒の声も、ぶつけた身体の痛みも、今のシキにとっては何も気にとめるものではない。何かに躓いて倒れそうになったが、手に触れた誰かの身体を支えにして、更に前へと進む。

 危ねぇだろ押すんじゃねえ、という罵声とともに、とうとうシキは人垣を抜ききった。

「悪かったな、ボウズ」

 身を屈めたエンダが、少年に詫びている。その横では、ノーラが少し決まり悪そうに首を掻いていた。

「まあ、確かに、お前にしては仕事が雑だったな」

「だから、俺はスリなんかじゃない、って言ってるだろ」

 頬をふくらませながら腕組みをする少年の傍ら、サンの姿は、無い。

 シキは必死の形相で辺りを見まわした。

 少し離れた人垣の向こうに、栗色の頭が見え隠れする。

 

 ――逃がさない!

 このために、警備隊に入ったのだ。

 ここは峰東州一の大都市、ルドス。この街の警備隊員になれば、反乱団の情報も手に入るだろう。そうして、サンを捕まえるのだ。捕まえて、真相を聞き出すのだ。

 レイの仇を討つために。

 先生をしてレイを殺さしめた、その元凶。

 許さない。

 

 シキは躊躇うことなく人の波へと飛び込んだ。

 おのれの名を呼ぶエンダの怒鳴り声も、シキの耳には届かない。

 ぐつぐつと煮えたぎる怒りに全てを忘れて、シキはサンのあとを追った。

 

 

 


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