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黒の黄昏  作者: GB(那識あきら)
第六話  虚空を掴む指
23/72

二 潮境

 

 

 

 ルドス警備隊の本部は、町の中心部にある。

 大通りに面した、三階建ての重厚な石造りの建物は、かつてルドス自治領の領主の持ち物だったという。それが、(さき)の戦争を経て、峰東州の知事に就任した帝国の公爵家の物となり、それを譲り受ける形で現在の本部となったのだ。

 二階にある会議室では、遊戯室として使われていた時の調度品が、多少場にそぐわないながらもそのまま利用されている。マホガニーのテーブルが六つ、そのそれぞれに配置された革張りの椅子。かつて館の(あるじ)とその客がゲームに興じたその場所に、今、えんじ色のジャケットを着た二十余人の警備隊隊員が座っていた。

 

「残念ながら、ハズレだったぞ」

 大きな両開きの扉を押し開けて部屋に入るなり、忌々しそうに隊長が言った。部下達の視線を一身に集めながら、壁際にしつらえられた黒板の前へとツカツカと歩み寄る。

「どういうことですか?」

「どうもこうもない。昨日の奴らは、単なる窃盗団だった。反乱団と名乗れば箔がつくと考えたらしい、相当の馬鹿だな」

 名誉の負傷もかたなしだぁ、と部屋の隅から嘆き声が上がる。昨夜の捕り物で、屋根に逃げた男に重石をぶつけられた隊員が、包帯の巻かれた頭を大事そうにさすった。

 現帝が即位して以来、マクダレン帝国は着々とその領土を広げていった。同時に、それを快く思わぬ者の数も、兵の進んだ距離の分だけ増えていった。彼らの一部は、不承不承ながらも新しい社会の枠組みに呑み込まれていったが、残る一部は、抵抗分子となって、事あるごとにあちこちで小競り合いを起こしていた。

 それが、この三年ほど前から、急になりを潜め始めたのだ。

 皇帝陛下の威光がようやく民草に浸透したか。最初のうちこそ、役人達はそう得意げに頷いていたが、ほどなく彼らはそれが間違いであることに気がついた。表立った抗議行動に出ていないというだけで、造反者達は依然としてその矛を収める気がないのだということに。

 皇帝の失政をでっち上げ、不穏な噂を流布しようとしたり、禁じられた異教を復興させようとしてみたり、……それまでただ闇雲に反抗していた連中が、明らかに何か一つの意志の下に蠢いている気配に、中央は戦慄し、即座に各地の警備隊に通達を出した。各町、全力をもって、皇帝陛下の治世を守るのだ、と。そしてその通達書以降、「反乱団」という名称はたびたび公文書を賑わすことになった。

 局地的な騒乱の種に過ぎなかった有象無象を、一つの組織としてまとめ上げた者の存在については、未だ明らかにはされていない。最近になって「黒の導師」という通り名が囁かれるようになってはきたが、依然としてその正体は諸説入り乱れている有様だ。彼らが何者で、どこから来て、一体何をしようとしているのか、町の治安を守る警備隊としては、どんな僅かな情報でも喉から手が出るほど欲しかったのだ。

 偽反乱団のせいですっかり意気消沈してしまった一同を鷹揚に見渡しながら、隊長は片方の口元をすっと引き上げた。

「だが。収穫がゼロというわけではないぞ」

 そう言って彼は、傍らの文机の上から白墨を一本手に取った。そして黒板に『赤い風』と大きく板書した。

「連中は、反乱団のことをこう呼んでいた」

 芝居がかった様子で、隊長はコツリと黒板を軽く叩いて示す。それを合図に、ざわめきが細波のように室内をそっと渡っていった。

 こうやって名前が与えられるだけで、靄か霞のようだった存在が急に現実味を増してくるのだから、不思議なものだ。

 と、隊員達の誰もが真剣な表情で白墨の文字を注視する中、場の雰囲気にそぐわない素っ頓狂な声が、最前列からやや控えめに湧き起こった。

「あ……あか……、赤い、何だぁ?」

「何だとは何だ」

「赤い、の次は、なんて書いてあるんスか? 読めないんスよ、字が汚くて」

 赤みがかった茶髪の青年が、余計な一言とともに黒板を指差した。

 隊長の目が、つうと細められる。

「目の悪さを私のせいにしないでもらいたいな、ガーラン・リント」

「そんなことないスよ。なんならここから隊長のうなじのキスマークを数えてみましょうか?」

「見えないものが見えて、見えるべきものが見えないのか。医者に行ったらどうだ」

 不敵な笑顔を湛えつつ、二人は楽しそうに悪態の応酬を重ねていく。残る隊員達も慣れたもので、今日はどちらに軍配が上がるのかと、彼ら二人のやりとりをにやにやと見守っていた。

「二人とも、いい加減にしてください」

 窓際の椅子に座っていた、蜂蜜色の髪の女性が、冷ややかな声で幕を引いた。ポニーテールにした長い髪が、彼女の溜め息とともに優雅に揺れる。副隊長の肩書きを持つインシャは、隊内で唯一の癒やしの術の使い手だ。

「私はいたって真面目だが。不真面目な部下を持つと苦労して敵わんな」

「あ、ひっでえ、全部俺のせいかよ」

「いい加減にしてください」

 声ばかりでなく視線まで凍りつかせながら、インシャはもう一度同じ言葉を繰り返した。

 隊長が降参のジェスチャーを作って、彼女のほうを見る。

「厳しいねえ。我らが女神達は、皆、実に手厳しい」

「皆?」

 隊長の言葉を受けて、ガーランが不思議そうにそう呟いた。一呼吸置いて、一同が「あ」と声を漏らして一斉に後ろを振り返った。

 一番後ろの椅子に静かに座っていたシキに、全員の視線が集まる。シキは表情を変えずに、無言でその視線を受け流した。

「たおやかな女性をお望みでしたら、来る場所を間違えていらっしゃるのではありませんか」

 インシャの声で我に返った隊員達は、少しばつが悪そうな表情のまま、前に向き直った。隊長が咳払いをして、場を仕切り直す。

「とにかく。明後日には収穫祭も控えていることだし、各人、気を抜くなよ」

 それから、にやりと笑ってつけ加えた。「ガーラン、サボるなよ」

 

 

 町の治安維持は、元来、町民達自らが結成する自警団の仕事だった。

 稀に、自らの騎士にその仕事を担わせる領主も存在したが、基本的に騎士が自警団の仕事に直接関わることはなかった。城を守り、来るべき戦争に備えて自己を鍛練する、……騎士はあくまでも、主従関係を結んだ領主のための存在であった。

 だが、帝国の侵攻によって一気にその図式は崩れ去った。皇帝陛下直属、領主預かり、という身分の者達が、警備隊として各地に配備されることになったのだ。

 (もっと)も、戦争による人材不足から、大部分の警備隊は騎士団との兼任者で占められている。ルドスでも、専任の警備隊員はたったの二十八人しかいない。

 しかし、貴族や郷士の子弟が(ほとん)どを占める騎士団と違い、警備隊は高価な装備を必要としないこともあって、完全に実力重視の世界だった。出自も性別も問わず、剣士に限らず癒やし手や魔術師でも、能力さえ認められれば任命されることができるのだ。

 馬も無く、鎧も無く、その出で立ちは歩兵となんら変わりない。だが、皇帝陛下から賜った、機動性に富む丈の短いえんじ色のジャケットは、彼らの誇りの象徴だった。

 

 その警備隊の誇りの象徴を、何のありがたみもなさそうに無造作に袖で腰に結わえ、ガーランは大きく伸びをした。

 二日後に迫った収穫祭の準備で、ルドスの街中が浮かれていた。もう日が沈んで随分経つというのに、まだまだ街は活気に満ち溢れている。その喧騒は、裏通りを歩く彼らの耳にも楽しげに飛び込んできた。

「あーあ、かったるいなあ」

 彼は持っていたカンテラの覆いを少し明け、三本目の煙草に火をつけた。深く煙を吸ってから、巡回の相棒であるシキのほうをちらりと窺う。

「ルドスの収穫祭は初めてなんだろ?」

「はい」

「楽しいぜー。特にパレードがな、近隣の町という町から見物客が押し寄せてくるんだ。そりゃもう、凄い人出でな」

「そうなんですか」

「まあな」

「……」

 ……再び会話が途切れ、沈黙が二人を包む。

「疲れたろ、もうそろそろ引き上げようか」

「疲れてません」

 可愛くない、とガーランは大きく煙を吐いた。とはいえ、それはこの半年の間に嫌というほど思い知らされていることではあるのだが。

 溜め息とともにがっくりと大袈裟に肩を落としてみせて、それからガーランは低い声で囁いた。

「あとをつけている奴がいるな」

 瞬時にして、シキの瞳に力が込められる。それに応えて、ガーランもそっと眉間に皺を寄せた。

 二人は、背後を振り返ることなく平然と歩み続ける。

「……一人、ですね」

「ああ。祭りの前ってんで、酒でも飲んで気が大きくなっている三下だろう。特にこの辺り、ガラの悪い連中が揃ってるからなあ。日頃の憂さ晴らしに、赤ジャケットにちょっかいかけてやろう、ってとこだろうな……」

 そっとカンテラを持ち直し、ガーランはシキに目配せをした。

「面倒だから、振りきっちまおう。あの角を曲がったら走るぞ」

 何事も無かったかのように二人は歩き続けた。三丈進んで、煤けた板塀の角を左に折れる。

「二角向こうで右に曲がろう」

 小声でそう指示するや否や、ガーランは駆け始めた。それまでの気だるそうな態度からは想像もできない俊敏さで、暗い路地を音もなく走り抜ける。宣言どおりに辻を右に曲がった所で、傍らにシキの姿が無いことに気がつき、ガーランは驚いて足を止めた。

 慌てて元の裏道に戻り、闇に目を凝らせば、遥か後方、先刻の曲がり角に蠢く二つの影が辛うじて見てとれた。

「ちょ、待てよ、あンの馬鹿野郎」

 小さく毒づいてから、ガーランは来た道を全速力で戻り始めた。

 角に近づくにつれ、影の形が明瞭になる。むやみやたらに両手を振りまわして暴れている男の影を、小柄な影がひらりひらりと翻弄していた。間合いをとっては、打撃を受け流し、相手の懐に潜り込む。その機敏な動きは、見事としか言いようがない。

 ガーランが現場に到着する直前、男の影が大きく体勢を崩して石壁に寄りかかった。対するシキは構えを解くことなく、僅かに重心を左足へと傾ける。

「いい加減にしろ!」

 容赦なく繰り出されたシキの右足が、男の顔面すれすれのところで大きく空を切った。彼女がとどめの回し蹴りを放とうとした瞬間、ガーランが背後から彼女の身体を思いっきり引いたのだ。

 声にならない悲鳴を上げて、男がもんどりうって逃げ出していく。

 ガーランは、安堵の溜め息とともにそれを見送った。そして、ふと、右の手のひらに感じる柔らかい感触に気がついた。シキを止めようと咄嗟に彼女の胴に回した両手のうち、右手がしっかりと胸のふくらみを鷲掴んでしまっていたのだ……。

「何するんですかッ!」

 シキの、振り向きざまの張り手を頬に喰らって、ガーランはただ呆然とその場に立ち尽くした。

「そうだ、女の子、なんだっけ」

 半年前、二人目の女性隊員がやってくるという噂に、警備隊本部は沸きに沸いた。何歳なのか、既婚者か否か、隊員達はひとしきり各々の好みの女性像について語り合ったのち、一転して至極控えめに頷き合った。曰く、どんなに筋肉達磨だとしても、オバサンだとしても、女性が増えるというだけで幸せじゃあないか、と。

 果たして、隊長に連れられて現れた新隊員は、むくつけき大女でもなければ年増でもなかったが、それ以前にとても女性とは思えぬ、かといって男性とは勿論違う、しかも子供のようで子供ではない、ひたすら不可思議な存在だったというわけだ。

 真っ赤な顔で肩で息をするシキを、ガーランはまじまじと見つめ直した。やはりどうしても「少年」としか感じられない。居心地の悪い妙な違和感に苛まれて、彼は頭をがしがしと掻き毟った。

 

 

 非礼を詫びようともせずに頭を掻き続けるガーランを、シキは冷ややかな目で見つめ続けた。怒りで上気した頬がようやく治まり始めたところで、攻撃的な口調でガーランに問いかける。

「何故止めたんですか」

 シキの問いに、ガーランも険しい顔で言葉を返してきた。

「お前こそ、何故わざわざ喧嘩を売るような真似をした?」

「喧嘩など売っていません。『何か用か』と訊ねただけです」

「それが喧嘩売ってる、ってんだよ。酔っ払いの下っ端野郎なんざ、放っておきゃあいいんだ」

「ですが、この程度で問題を起こすのならば、どうせきっとまたどこかで騒動を起こすはずです。それなら、今ここで、きっちりとカタをつけたほうがいい」

 一片の迷いもなく、シキは言いきった。それを聞いたガーランが、大きく肩を落とし両手を腰に当てる。

「いや、まあ、確かにそういう考え方もあるにはあるが、時と場合ってものがあるだろう? あんなチンピラをこんな状況で叩きのめしたところで、意味なんてねえよ」

 理不尽に思える物言いに、シキは露骨にむっとした表情を作った。

「じゃあ、みすみす悪党を見逃せ、と」

「そうじゃない!」

 そう声を荒らげてから、ガーランはそっと眼差しを緩ませた。

「お前は強いさ。見た目差っ引かなくても、な。素手で一対一なら、たぶん隊長にも勝てるんじゃねえか? だからさ、折角のその力を汚さないでくれよ」

 ちから、という言葉の響きに、シキの眉が曇る。

「力ってのは、決して誰かを傷つけるためのものじゃない。わざわざ力を使わなくとも、悪い奴に睨みを利かすことができるなら、それでいいんだよ。今のだってお前なら、足払い一発であいつを転げさせて、ガツンと一言シメたらそれで充分だったはずさ。たとえ相手が悪党でも、傷つけずに済んだほうが気分いいじゃねえか?」

 そこまでを一気に語って、ガーランはまたも大きく溜め息をついた。少し冗談めかした仕草で、小さく肩をすくめてみせる。その様子をシキは苛々しながら黙って見つめていた。

「ま、確かにうちの隊で暴走するのはお前だけじゃないけどさ、でも、ちょっとお前はピリピリし過ぎなんだよ。昨日の捕り物だってそうだ。一人で全部最後までカタをつけずに、援護を待てばいいんだ。少しは仲間のことを信用しろ」

「信用していないわけではありません」

「だーかーら。ちょっとぐらいは俺達を頼れよ、ってんだよ。大体仮にも女の子なんだから、たまには素直に守られてろって」

 副隊長といい、うちの女どもは全くもって可愛くない、と唇を尖らせるガーランの前で、シキは小さく息を呑んだ。

 

『たまには、素直に守られてろ』

 視線を上げた先、黒尽くめの後ろ姿が遠ざかっていく……。

 

 半年前の記憶を振り払うように頭を振って、シキは口元を引き結んだ。足元を見つめながら、手が震えるほどに拳を握り締めた。

 そんなシキの様子に気づいているのかいないのか、ガーランはいつになく落ち着いた声で、静かに語り続ける。

「とにかく、だ。力に呑まれんなよ。力に溺れてしまったら、ろくなことにならねえ。最後は自分に返ってきて、身を滅ぼすことになっちまう」

 ――ちから。

 シキの脳裏に、再度懐かしい声が響く。力こそ全てだ、と。

『彼は七か条の規範に背いた。魔術師としての道を踏み外してしまったのだ』

 師匠の台詞が、レイの声を追いかける。

『あれはもう、我々の知っているレイではなかった。彼は力に魅入られ、力に溺れてしまったんだ……』

 シキは唇を強く噛んだ。

 まさしく、ガーランの言うとおりなのだ。力に溺れ、師を欺こうとしたレイは、師の手によって滅ぼされてしまった。全て、彼が力を欲したがために。

 だが、シキが力を求めなかったというわけではない。日々の修行を何のために行っていたのかと問われるならば、それは間違いなく、知識を、ひいては力を求めてのことだと言えるだろう。

 ならば、何が自分と彼とを別ったのか。シキはその瞳に昏い光を浮かべて静かに顔を上げた。

「でも、私は、私自身のために、力を使う」

 ――そうだ、私は躊躇わない。必要な時には、遠慮なく力をふるう。かつてレイがそうしたように。

 そう決意を込めて奥歯を噛み締めるシキに、ガーランが酷く可笑しそうな表情で言葉を返してきた。

「そりゃ、当たり前だろ?」

 何を言われたのか、すぐには理解できずに、シキはまばたきを繰り返した。

「隊長だって、俺だって、たぶん皆、自分自身のために力をふるってんだ」

 驚きのあまり、シキは身動き一つできなかった。

 ――当たり前?

 おのれの力をおのれのために使うのが当たり前だと言うのならば、魔術師ギルドに誓わされた規範は一体何なのだ。力に溺れるな、と、より良き世のためにのみその力を行使せよ、と、その文言でレイを縛り、その命を奪ったのは、一体どういうことなのだ。

 あまりのことにぽかんと口を開けたまま棒立ちになっていたシキは、我に返るなり再び奥歯に力を入れた。

「違う。力は、より良き世のためにのみ使われなければならない」

 そうでなければ、レイの死が無意味なものになってしまう。彼が許されなかったものを、私だけ許されるなんて、そしてこのままのうのうと生き延び続けるなんて、そんなことはあってはならない。シキは渾身の力を込めてガーランを睨みつけた。

 だが、ガーランは飄々とした表情のまま、事も無げに返答する。

「そりゃー、当たり前だろ?」

「でも、さっきは、自分のためって」

「なんでその二つを別々に考えるんだよ」

 分からない奴だな、と溜め息をついてから、ガーランは胸を張った。

「好きな奴を、好きな街を守りたいから、俺はここにいるんだ。仕事はキツいし、訓練も大変だがな。まあ、給金が良いとか格好よいとか威張れるからとか、そういった雑念もそれなりにあるような、ないような……。でも、余計な衣を引っぺがしたら、最後に残るのは一つだけだ」

 そこで、ガーランは少し照れくさそうに笑った。

「それぞれの大切な何かを守るために、俺達は力をふるう。大切なものを守りたい、と思う俺達自身のために。違うか?」

 

『俺が魔術師になったのは、力が欲しいからだ』

 そう言ったレイの声は自信に満ち溢れていた。

『他人のための力じゃない、俺自身のための力だ』

 疚しさのかけらもなく、彼はそう言い放った。

 そう言って……、シキを助けに来てくれた……!

 

 シキの頬を、何か熱いものがつたっていった。

 急にぼやけた視界の中、ガーランらしき人影が酷く慌てた様子で何かを喋っている。

 身体中が燃えるように熱くなって、頭の芯が痺れるようだ。

 ごうごうとこめかみを響かせる耳鳴りの合間に、微かにガーランの声が聞こえた。

「いや、だから、別に怒ってるわけじゃないんだって。だからさ、とにかくさ、泣き止もうぜ?」

 止めどなく溢れるこの熱が、涙だということを知って、シキの胸の奥が更に締めつけられた。

 ――泣くもんか、と思っていたのに。

 泣けば、悲しくなってしまう。思い出してしまう。だからシキは、もう一生泣かないと心に決めたのだ。決めたのに、どうして今、自分はこうやって涙を流しているのだろう。

「よし、帰ろう? やっぱり疲れてんだよ、な。悪かったよ」

 ガーランに手を引かれ本部へ戻る間ずっと、シキははらはらと涙を流し続けた。

 

 

 勤務を終え家路についたシキは、泣き腫らした目で夜空を見上げた。

 おのれを鎧い、周囲に(ほり)を造り、悲しみを閉じ込めていた。だが、そうすることで、シキは彼への想いや大切な記憶まで、封印してしまっていたのだ。

「レイを、信じてあげなきゃ」

 かつての決心を、シキは今再び心に噛み締めた。

 ――自分を、そして彼を、信じるのだ。

 ――好きだと言ってくれたことを。そして何より、好きだと言ったことを。

 ならば、齟齬はどこから生じているのだろうか。

 静かに微笑む師の姿を思い浮かべて、シキはごくりと生唾を呑み込んだ。

 たった一人の目撃者にして、証言者。そう、全ての鍵を握っているのは……。

 

 

 


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