セミナー 〜授業〜
「では、ルイス君、19世紀イギリス文学における特徴を述べなさい」
ブリッグスは鼻からずり落ちた眼鏡を上げもせず
鼻を突き上げ、目を細めてルイスを見た。
蛇に睨まれたカエルのようにルイスはおずおずと立ち上がると、
もごもごしながらブリッグスの質問に答えた。
「・・・サ、サタイ(風刺)です」
「そう、サタイ(風刺)だ。
我が大英帝国の偉大なる文学は風刺に始まり、風刺に終わる。
サタイ(風刺)こそ英国文学の全てと言っても過言ではない。
では、代表的な風刺作家とは誰かね、ポール君?」
ブリッグスは再び別の生徒にその細いきつね目を向けた。
「えっーっと・・・えーっと」
「チャールズ・ディケンズを知らんのかね、君は?
『大いなる遺産』、『クリスマスキャロル』、
『オリバーツイスト』、『二都物語』・・・。
文学史上、稀に見る傑作だ。その他、
『チャタレイ夫人の恋人』を書いたD・H・ローレンス、
『高慢と偏見』を書いたジェーン・オースティンなどなど。
これぐらいの作家名を挙げられんとは、一体、何をこれまで読んできたのだ?
全く、最近の生徒はろくな本を読まんからまともな文学評論が書けんのだ。
どうせ、君たちが読めるのはせいぜい、シドニーシェルダンか、
スティーブン・キングのアメリカン・エンターテイメント小説ぐらいなものだろう。
わたしの答案にもそんな類の感想ばかりしか持って来んのだから
全くもって嘆かわしい。では、トニー君。
その教科書にある15ページの詩を読んでみなさい」
ブリッグスは一通り愚痴ると、今度はクラスで一番、落ちこぼれのトニーを名指しした。
「・・・あっ、ああ、セっ、セミナー(授業)
― フェリシティとミスター・フロストのセミナー(授業)
ここに二人の真実の話し手がいる。
マリーゴールドの花のような頭をしたフェリシティ(3歳)
ちょうど屋根に空いた穴のためにやってきたところだった。
ミスター・フロスト、彼は死んでいる。
彼はその黒い穴に入った。
白の上で。彼は何か私達に言いたい事があるらしい。
二人共、一生懸命、頑張っている。フェリシティは、
家を描いた。ただ、黙って。
考えている振りをして。“一体、私達に扉はあるのかしら?”
彼女はささやく。ミスター・フロストは壁を持ってきた。
それで穴を塞ごうとして。穴は大きくなる。
まるで太陽のように大きく、さらに黒くなっていく。
部屋の周りを歩き回る。フェリシティ、
穴と同じくらい口を開けてあくびをする。
“わたしにはこの話はさっぱり分からなかったわ、
この男は私達に何か言っている”彼女ははっきりと言う。
テーブルの下で。ミスター・フロスト、
彼の話を棒で指しながら、でも彼の声ははっきりしない。
身体をゆすって、指をしゃぶる、フェリシティ。
彼女の手に持つ本を触りながら。
厳粛に。ミスター・フロストの中に雪が降る。
彼はかつてちょっとした短い詩を書いていた。
そして、フェリシティはそこで金てこを見つけた。
(“シークレット・ワールド(秘密の世界なのよ)”
と彼女の母は言った)
ミスター・フロストの世界は秘密だった。
その中には森がある。そこはどこまでも行かなければならないところ。
そして、雪。ずっと雨が降っていた。
私達がいるところに。フェリシティは椅子の上に立っている。
外を眺めるために。“子供は入っちゃいけないのよ”と、
彼女の母は生徒たちに笑顔を送る。
どこまでも行かなければならないところ。あなたは言った、
“子供は入れちゃいけないのよ”(フェリシティは消してしまう、
彼女の秘密の世界を。生徒たちは心配している。
未だ雨が降り続いていることを。彼女の母は翻訳する。
“そういう意味じゃないのよ”と。そして雪が降る。
ミスター・フロストは既にしっかりとはまっている。彼には、
どうしても守るべき約束がある。どこまでも行かなければならないところへ。
(U.A.Fanthorpe著、Voice Offより)」
「さて、トニー君。この詩は韻を踏んでいるかね?
文体における技巧は何を使っている?掛詞とか、頭韻とか、弱強五歩格とか?
スタンザ(詩節)の特徴はどうだね?」
「・・・」
ブリッグスはトニーが答えられそうにないのを見て
ハァーと長々としたため息をつくと、あきれたように声の調子を下げて言った。
「では、トニー君。この詩は一体、どういう意味かね?
これぐらいなら君でも分かるだろ。さぁ、答えてみなさい」
「・・あっ、あの、そ、その、多分、授業が、・・・
その、・・・ミスター・フロストの授業が分からない生徒の気持ちを
書いている詩だと思います」トニーは急にいつもよりしっかりした声でそう答えた。
それを聞いて、ブリッグスだけでなく、
教室にいる生徒たちも全員、トニーを驚いて見た。
「何を寝ぼけたことを言っとるんだ、トニー君。
これはミスターフロストの死に際して
彼が書いた詩について考えているフェリシティの幻想的な話なんだよ。
3行目に“彼は死んでいる”と書いとるじゃないか。
どこを見とるんだ、君は?」
「それは、・・・ミスター・フロストのことを皮肉っているんではないでしょうか?」
「は?」
「つ、つまり、フェリシティは本当は3歳の子供ではなくて、
3歳ぐらいの脳年齢だから“屋根に空いた穴”ってのは恐らく、
“頭の中にできた疑問の穴”という意味だと思います」
「何っ?君は何をおかしなことを言い出すんだ?
ここにはちゃんと“屋根に空いた穴”としか書かれておらんじゃないか。
勝手に想像してそんな意味に自分で解釈するのは誤訳だ!けしからん」
「でっ、でも、疑問の穴を埋めるために
ミスター・フロストの授業にやってきたフェリシティは、
“白の上”、つまりホワイトボード(白板)に書かれた
ミスター・フロストの講義の意味が分からなくて
“わたしにはこの話はさっぱり分からないわ、
この男が私達に言っている話なんて”とテーブルの下でつぶやいたんでしょう?
そうとしか考えられません」
いつもは授業を聞いているのか聞いていないのか
黙って下を向いたままでいるトニーが、今日に限って偉くブリッグスに自分の意見を言い張った。
それにますますブリッグスは憤った。
「なっ、何を生意気な!そんな話は一切、書かれておらん。
逸脱するのはやめたまえ、トニー君。
君はまだ文学の批評するほど知識も経験も積んどらんだろう。
駄文と傑作の違いも見分けられん君にそんな解釈などもってのほかだっ!」
「でも、そうとしか読めません。そこに書いてある、
― あなたは言った、“子供は入れちゃいけないよ”と。
そして、(知識と経験と偏見の)雨は降り続く。
僕には、僕にはこの詩の気持ちがよく分かります」
そう言ってトニーはうつむいて目から落ちてきた涙を腕で拭った。
「何を泣き出すことがあるんだ、トニー君。
もう、いい。今日の授業はこれまでだ。
明日までに全員、今日の詩の感想を提出しなさい。
もう一度、言っておくが、
これはミスター・フロストの書いた詩を思い浮かべる
フェリシティの幻想的な考えを綴った詩である。
これ以外の解釈などありえないことだ。
だから、二度と、そんな素人解釈を持ちだしてこんように。
分かったね?トニー君」
ブリッグスは憤懣やる方ないと言った風にそう言い残すと、
頭に被っている角帽を直し、エヘンと咳払いして教室を去った。
― “そういう意味じゃないのよ”。そして雪が降る。
ミスター・フロストは既にしっかりとはまっている。彼には、
どうしても守るべき約束がある。どこまでも行かなければならないところへ。