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第50話 モローの授業

モローが教壇の前に立った。


教科書を開いた。


「今日は共鳴の原則からだね。同質のエネルギーは引き合うんだ。これが属性適性の理論的根拠ね。術者の魂の固有振動数と魔力の属性が共鳴することで、発動効率が上がる——逆属性の魔法が発動しにくいのはこの原理からだね」


抑揚がなかった。説明もなかった。ただ、書いてあることを声に出しているだけだった。


葵は手を止めた。


——逆属性の魔法が発動しにくい。


では自分はなぜ、光属性なのに闇魔法が使えるのだろう。


Sクラスの生徒たちは最初から端末を開いていた。誰も黒板を見ていなかった。家庭教師で習い終わった内容だからだろう。質問も出なかった。出る必要がなかった。


「共鳴の原則をさらに深めると、魂の固有振動数は術者ごとに異なるんだ。これが個人差の理論的根拠だね。同じ魔法でも術者によって発動効率が異なるのはこの原理から——さらに固有振動数の安定性が魔法の精度に直結するんだ。不安定な精神状態では共鳴がぶれ、魔力の出力にばらつきが生じる——」


葵はノートに書き写そうとした。


——「固有振動数」って何だろう。魂に振動数があるってどういうことだろう。そもそも自分の固有振動数はいくつなんだろう。


「さらに共鳴の深化段階として、術者と魔力の共鳴が完全に同期した状態を完全共鳴と呼ぶんだね。完全共鳴下では魔力消費が通常の三分の一に抑えられ——ただしこの状態に至るには固有振動数の完全な把握と——」


言葉が続いた。葵は書き写すのをやめた。


書いても、わからなかった。「完全共鳴」がどんな状態なのか、まったく像を結ばなかった。教科書を読んでいるだけでは、何も見えてこなかった。


「最後に変容と循環の法則。魔法の本質は外界を変えることではなく、術者自身が変容することである——」


モローはそのまま次のページをめくった。


「第四章、六つの実践原則。意図の原則——明確な意識と意図が魔法の発動条件。曖昧な願いは曖昧な結果しか生まない。心の雑散は力を分散させ、集中は力を増大させる——」


葵はノートに書き写すのをやめた。


書いても、わからなかった。「雑散」って何だろう。「意図」と「意識」はどう違うんだろう。言葉が積み上がるだけで、何も像を結ばなかった。


「象徴の原則——象徴はそれが指し示すものと照応により繋がっている。名前・図形・色は実在との接続点となる——」


誰かが小さくあくびをした。モローは気づかなかった。ページをめくった。読み続けた。


モローはそこで教科書をぱたんと閉じた。


「はい、今日はここまでです」


葵はノートを見た。書き写した言葉が並んでいた。でも、何一つわかっていなかった。


ルシアンを横目で見た。


端末を開いていなかった。教科書に視線を落とし、ノートに何かを書いていた。葵のノートとは明らかに違う密度で。


——エリックの言った通りだ。


葵は前を向いた。モローはすでに教室を出て行こうとしていた。


ーーーーーーーーーーーーーー


午後、魔法の実技演習があった。


校庭に出て、各自が魔法を発動する。担任が評価をつける形式だった。


生徒たちが順番に魔法を放った。火属性、風属性、水属性——それぞれが鮮やかに発動させていった。家庭教師で鍛えられた精度だった。


葵の番になった。


モローが手元の端末を操作しながら、流れるように言った。


「はい、小春くんどうぞ」


葵は息を吸った。


闇魔法の上級——無詠唱で、意識を集中させた。


黒い光が葵の手のひらから広がった。周囲の空気が一瞬重くなった。上級魔法特有の魔力の波動が、校庭全体に広がっていった。


静かになった。


モローが端末から顔を上げた。一瞬だけ、葵を見た。


「……はい、次の人」


「あの、評価は」


葵は思わず口を開いた。


モローが振り返った。穏やかな顔だった。


「小春くん、理論は理解できているかな?」


「……それは」


「では闇魔法の原理を説明してみて」


葵は黙った。


説明できなかった。発動はできる。体が知っている。でも言葉にできなかった。


「……説明、できません」


「そうだよね」


モローは柔らかく笑った。


「まぐれで発動できても、それは魔法とは言えないよ。偶然と実力は違うからね」


端末に何かを入力した。それだけだった。


「はい、次の人」


葵は列に戻った。手のひらがまだ黒い光の余熱を帯びていた。


——まぐれ。


「……あの人、嫌い」


ライラが言った。


葵は少し笑った。「そっか」


ーーーーーーーーーーーーーー


演習が終わって校庭から教室に戻る途中、エリックが葵の隣に来た。


「気にするな」


「……気にしてないです」


「また嘘をつく」


エリックは少し間を置いた。


「お前は私に勝った男だ」


葵は何も言えなかった。


「お前のすごさは知っている。あの男には関係のないことだ」


それだけだった。エリックは前を向いたまま、教室へ歩いていった。


葵はその背中を見ていた。


——私に勝った男だ。


手のひらの余熱が、まだ消えていなかった。

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