表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/51

第30話 散盟

翌朝、目が覚めた。


体が、軽かった。


葵はしばらく天井を見つめた。毎朝感じる重さが——ない。サナティオ・ルクスを唱える前から、どこにも違和感がなかった。


夢を見た気がする。でも内容は覚えていない。


―――――――――――――――――――――


実習室に着くと、カヴィヤがすでにいた。


窓際の台の上に、道具が並んでいた。回復魔法に使う触媒の石、包帯、小さな瓶がいくつか。手際よく整頓されていた。


葵はその台を見た。


昨日葵が「明日も来てもらえますか」と言ったのは、夕方だった。それなのに今朝、こんなに整っている。


——いつ準備したのだろう。


カヴィヤが葵の視線に気づいた。


「念のため」と静かに言った。「使わないのが一番だけど」


悪意はなかった。心配している目だった。


葵は「ありがとうございます」と言って、椅子に腰を下ろした。その考えを、飲み込んだ。


少し遅れてリースが入ってきた。端末を見ながら歩いてきて、扉を閉めた。葵の方を一度だけ見た。


「魔法陣、完成してるか」


「はい」


葵は端末を開いた。昨夜、進捗バーが百パーセントになったのを確認していた。


「じゃあ、やってみよう」


リースはそれだけ言った。準備するでも、手順を確認するでもなく——当たり前のことを当たり前に言う、という口調だった。


―――――――――――――――――――――


葵は端末の画面を開いた。


散盟契約魔法陣——ピクシー。


魔法陣を展開する、というボタンがある。それを押せば、魔力を消費して魔法陣が実体化し、召喚が始まる。


葵は画面を見つめた。


——僕は、死ぬのだろうか。


複数の神魔と契約を試みた人間は、例外なく死んでいる。カヴィヤがそう言っていた。だから来てくれた。台の上に道具を並べた。


怖くない、と葵は思った。


怖くない——それがおかしいのかもしれない。でも怖くない。あるべきところに、何もない感じがした。


ライラが胸元で、わずかに揺れた。葵はその温かさを確かめた。


「行くよ」


葵は画面のボタンを押した。


―――――――――――――――――――――


魔法陣が、床に展開された。


淡い光の輪が広がって——止まった。


何も起きなかった。一秒。二秒。


三秒目に、光が揺れた。


輪の中心から、小さな何かが現れた。光の粒のような存在。翼が二枚。


ピクシーだった。


演習のときと——同じ個体だった。同じ目の色。同じ翼の形。葵を見て、少し首を傾けた。


カヴィヤが静かに息を吐いた。安堵の音だった。


リースは端末に何かを打ち込んでいた。顔を上げなかった。


「また呼んでくれたの」


ピクシーが言った。軽い声だった。


「まあ、ありがとね」


悪い感じはしなかった。明るくて、気さくで——普通に、いい相手だと思った。


でも葵は、胸元のライラの温かさを確かめた。


違う。


何が違うのかは、うまく言えない。ライラと話すとき、葵は言葉を探さなくていい。光の揺れ方だけで、もう伝わっている。でもこのピクシーとは——言葉を使って、それでも何か、届いていない感じがした。


「……よろしく」と葵は言った。


「こちらこそ」とピクシーは答えた。


それは普通の、正しいやりとりだった。


胸元でライラが、ほんのわずかに揺れた。嫉妬でも警戒でもない。ただ——「私とは違う」という静かな確認のような揺れ方だった。


葵はそっと手を当てた。


わかってる、と思った。言葉にはしなかった。でも伝わっていると思った。


光が、温かく揺れた。


―――――――――――――――――――――


散盟は、魔力を払い切った時点で終わる。


ピクシーが消えた後、カヴィヤが葵のそばに来た。


「傷はない?」


「ないです」


「気分は」


「普通です」


カヴィヤは葵の顔を見て、もう一度息を吐いた。「よかった」と小さく言った。本当に、そう思っている声だった。


「リース先生」


葵はリースの方を見た。


「最初から、成功すると思っていましたか」


リースは端末から顔を上げた。少し間を置いた。


「思ってたよ」


「なぜ」


「君のデータを見れば、わかる」


それだけだった。どのデータか、何がわかるのか——リースは言わなかった。端末に視線を戻した。


葵はその横顔を見た。


目だけが、少し笑っていた。


―――――――――――――――――――――


実習室を出ると、廊下はもう昼前の光だった。


葵は一人で歩いた。


リオを助けたいと思った。散盟の魔法陣を作った。召喚を試みた。成功した。


でも——なぜ死ななかったのか、葵には説明できなかった。


リースは「データを見ればわかる」と言った。カヴィヤは「よかった」と言った。


どちらも、「なぜ成功したのか」を教えてくれなかった。


——僕は、誰かに助けてもらったのだろうか。


それとも——最初からこうなると、決まっていたのだろうか。


どちらの方が、怖いのか。


答えは出なかった。


「ライラ」


「うん」


「僕が死ななかったのは——なんで?」


ライラは少し間を置いた。


「……わからない」


葵はその「わからない」を、黙って受け取った。


「葵」


ライラが胸元から顔を出した。


「リオ、助けられるといいね」


「うん」


葵は歩きながら答えた。廊下の先に、昼の光が伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ